01 風車の国の姫
いつだかわからない時代の、どこだかわからない国での話。
その国は砂漠のオアシスにあり、巨大な風車で地下水をくみ上げていた。しかしある時を境に風車は止まり、国民は水不足に悩まされるようになった。
それから300年。
城の姫君は毎日、止まったままの大風車を見て育った。カーテンから朝日が差し込み、いつものように初老の侍女が朝食を運んで来た。
「姫さま、おはようございます」
あかねはもう天蓋つきのベッドから起きて、寝間着をぬぎかけていた。侍女がそれを手伝った。
これくらい一人でするのに。あかねはいつも思うが、侍女は「いけません」とたしなめる。「お姫さまは自分でなさらなくてもよいのです」
あかねは顔を洗い、裾の長い絹のドレスに着替えた。胸元には凝った刺繍やシャーリングが施されているが、これでも地味なほうだ。髪に真珠の飾りをつけて、着替えは終った。
紅茶とパン、はちみつ、サラダで朝食をすませた。
「これから街を見てくるわ」
あかねは馬車を用意させた。最近、朝食後に馬車を走らせるのが日課になっている。
城を出るとき、若い侍女がすがるように言った。「いけません、姫さま、まだ良牙さまもいらっしゃらないのに」
「大丈夫よ。すぐ帰るから」
良牙はあかねの近衛隊長である。
あかねは馬蹄の音を聞き、馬車に揺られながら、わずかな従者をともなって大通りへ出た。少し離れてからあらためて城を見ると、大風車と城の全貌が見える。
城の中央から少し北の塔に、風車は白い羽根をひろげていて、花みたいに見える。どんなに強い風をうけても風車が回ることはない。だが、国の紋章にもなっている風車は、豊かさの象徴として、数年に一度羽根がはりかえられる。あかねは造花の役目しかはたさないそれを毎朝見あげていた。
城から離れ街へ入ると、馬車の窓からときおり外を見た。露店が建ち並び、日差しの中で女は水や果物を売り、男は家畜をひいている。小さな女の子がボールを持って走って行った。あかねは微笑ましく思ってそれを目で追った。
ガタンッ
いきなり馬車は停まり、馬の高いいななきが聞こえた。
「な、なに!?」
乱暴に馬車の戸が開かれた。
「手はずはいいな」
低く小さな声で、乱馬は言った。乱馬の声に、男女を含めた十数人の者がうなずいた。
「確認だ。おまえ達は横から、おれとシャンプーは正面から馬車を襲う。車内に入るのはおれだけでいい」
「了解ある」
シャンプーが乱馬にくっついた。乱馬たちは、王家の風車の紋章が入った馬車が近づくのを見計らって、裏道から大通りへ飛び出した。乱馬が振りかざした剣に驚いて、馬はいななき、後ろ足で立ち上がった。
乱馬は馬車の従者をなぎはらうと、馬車の戸を開けた。
「おとなしくしろ! 馬車は占拠した」
目が慣れて馬車内が見えてきた。身なりのいい女がいた。
「第三皇女のあかね・ド・テンドウに間違いないな?」
女は数歩あとずさった。
「無礼者!」
女の声が車内に響いた。女はまだなにか言おうとしたが、その前に乱馬は女の肩をつかまえた。女は思ったより子供っぽい顔をしている。
「大人しくしな。暴れなければ傷つけない」
「はなしてっ……痛」
乱馬は肩を掴む手に力を込めた。
「教えろ。水の城はどこにある」
「…」
「言え」
女は顔をそむけたままだ。女に剣をつきつけたくはないのだが。
「水の城など知りません。知っていても賊に教えるもんですか」
乱馬が剣をあげようとしたとき、外から仲間が呼んだ。
「若頭! 追手がきました」
「なにっ」
予定よりずっと早い。乱馬は女をはなした。女は車内の隅へ逃れた。
「いいか、おれは狙って盗めなかったものはねえ。必ず聞き出してやる」
乱馬たちは風よりも早く馬車を離れた。あとには、刀傷のついた馬車と、倒れている従者たちが残った。
あかねが城に着くと、侍女たちがいっせいに気づかった。
「三の姫さま! ご無事でなによりです」
「こんな日の高いうちから盗賊に遭われるなんて」
「さ、お水を。ぶどう酒の方がよろしいですか」
「それよりお召し物をゆるめたほうが」
あかねは大丈夫よ、と言ったが、侍女たちはいっせいに押しかけて離れようとしない。あかねの馬の側にいた、近衛隊長の良牙が前に出た。
「姫さまはお疲れだ。それにまず、父王の早雲さまにご報告せねばならない。後にしてくれ」
侍女たちは退いた。良牙に手をとってもらい、あかねは馬からおりた。
「ありがとう、良牙くん」
盗賊に襲われている馬車へ一番にかけつけてくれたのは良牙だった。彼は若くしてあかねの近衛隊長になった。誠実で勇気にあふれ、兵をまとめる力もある。なぜ良牙が皇女の近衛隊長より先に出世しないのか、不思議に思うものもいた。しかしそれは良牙みずから、今の地位にとどまることを望んだからだった。
「王がお待ちです」
「ええ」
あかねは玉の間へ行った。ここは非公式の謁見や、個人的な会合に使われる間である。口ひげをたくわえ、冠を頭にいただいた父王の早雲が、上座の椅子に座っていた。机を囲むように、第一皇女のかすみ、第二皇女のなびきが座をしめている。
父王が言った。
「あかね、なんて不用意なことをしたんだい。近衛兵が追いつかなかったら今頃はどうなっていたか」
「すみません」
「でも無事でなによりね」 とかすみが言った。
「あかねはいくつになってもおてんばがなおんないのね」 となびき。
それを聞いて、つい言い返してしまった。
「でも結局何もされなかったし、盗賊なんか怖くないわ」
「そういう問題じゃないだろう。とにかくこれからは、兵をつれずに城から出るなんて軽率なことはしないように」
「だって…窮屈で」
「大事な身体なんだから」
あかねはたまらなくなって、「失礼します」と言い捨てると、玉の間から飛び出した。かすみが呼び止めたが構わなかった。シャンデリアに照らされた大広間を駆け抜け、スカートを持ち上げると2段とばしで階段を駆け上がった。
自分の部屋のある水蓮の塔を昇り切ると、寝室へ飛び込んだ。後ろ手でドアを閉め、息をととのえた。
「姫さま。三の姫さま、どうなさいました」
背中のドアから侍女の声がする。
「なんでもないわ…しばらく一人にして」
あかねは部屋の窓のところへ行った。窓際の椅子へ座り、窓を開け放って、そこへ頬ずえをついた。
外の空は今日も快晴だ。下界には街がひろがっている。一見栄えているように見える城下町も、実はどんどん人が減ってきている。生活用水がないせいだ。さっき馬車で通った大通りも、昔は大風車からのびる運河だったのだ。
街の砂漠の境にある防砂林は砂に侵食され、半分が消えたという。
こんな思いをしているのは私だけじゃないのに。さっき、お父様に失礼をしてしまった。お姉さまの言うとおり、軽率なところはなおらないのかもしれない。少ししか時間は残っていないのに、いい娘、いい妹、いい王女であろうとすればするほど、たまらなくなる。
昼食も断って、部屋でぼんやり過ごすうちに、日は暮れかかっていた。気分も落ち着き、初老の侍女に入室を許した。初老の侍女は、若い娘を連れて入って来た。
「姫さま、ご所望なさっていた、姫と同い年の側仕えでございます」
そういえば、同い年の侍女が欲しいと言ったのを思い出した。話相手がいれば気がまぎれると思ったのだ。
「あなた、顔をあげて」
連れられてきた少女は
はにかみながら顔をあげた。髪をおさげに結った、健康そうな娘だ。
あかねは初老の侍女に、夕食は父王達ととらず一人で食べると言い、部屋からさがるように命じた。おさげの少女と話してみたかった。
「あなた、名前は?」
「乱…乱子と申します」
「今日からよろしくね。あたし、話し相手が欲しかったの。年の近い侍女がいなくって」
「こちらこそ。よろしくお願いいたします」
乱子が言葉を選び選び話すのを見て、あかねは微笑んだ。
「ふたりだけのときは無理に敬語を使わなくていいわ。仲良くしようね」
「えっ、あっ、ありがとうございます」
乱子は頬を赤らめた。あかねの前なので緊張しているのだろう。
「じゃあ早速お茶を入れてもらおうかしら。一緒にトランプしましょう。少し気分を明るくしたいの」
乱子のいれた紅茶はおいしかった。あかねと乱子はお茶を飲み、お菓子を食べ、トランプをくりながらおしゃべりを楽しんだ。緊張がほぐれてくるにつれて、乱子の言葉づかいにときどき驚かされた。
「ちくしょっ! またババかよ」
「乱子ちゃん?」
「あっ!? お、おほほほほ。あたしったらつい、下町の言葉が出ちゃって」
「街では女の人もそんな風にしゃべるの?」
「ま、まあ大体は。あたしは旅芸人だったから、あんまり上品なほうじゃないけどね」
「旅芸人? 素敵ね。どんな風に暮らすのか教えて」
あかねは乱子から、夜霧の冷たさや人情のあたたかさについて聞いた。食い逃げのコツについて話している途中で、さすがにまずいと気付いたのか乱子はしどろもどろになった。
「乱子ちゃんて面白いのね!」
あかねはひとしきり笑った。気付くとすっかり夜になっていて、窓から夜気が入ってくる。乱子は窓を閉め、鍵をかけてくれた。ふたりは一緒に夕食をとった。乱子のおさげを見ていて思い出したのだが、昼間の盗賊の男も、髪はおさげで、ずいぶん若かった。
あかねは乱子と思いのほか気が合って、嬉しかった。
「あたしもいつかそんな旅をしてみたいわ。きっと無理だけど」
「どうして? お姫さまなんだから、好きなときに豪華な旅をすればいいじゃない」
あかねは乱子を見た。乱子に悪気はなさそうである。
「乱子ちゃんはこの国に来たばっかりだから知らないのね。あたし、来年の誕生日には死ぬのよ」
「ええっ」
「あたし、生贄にされるの。この国では雨乞いの儀式に、王族の女を、あの大風車に捧げるの。生れたときからあたしに決まってて、とっても名誉なことなの」
「なんでっ!? そんなの断っちまえよ!」
あかねは首を振った。
「あたしのお母さまもね…あたしの小さなときに生贄になったの」
「馬鹿。雨乞いなんて当てにならねえよ! 今すぐやめちまえ。井戸でも掘ればいいじゃねえかっ」
きっとあたし、今、泣きそうな顔をしている。乱子の純粋な言葉を聞いていると、胸が苦しい。涙をこらえきれなくなって、あかねは下を向いた。
「司祭さまは、雨が降って国の人も幸せになるし、あたしは天に召されてから本当の幸せが手に入るっておっしゃったわ。あたしもそうなるように毎晩寝る前にお祈りしてるの。でもね、お父さまやお姉さまたちにやさしくされると、あたしがもうすぐ死ぬから優しいんじゃないかって…。そう考えてしまうのが嫌。本当はね―――
あたし外に出たい。街に出て、友達を作ったり、遊んだりしたい。あたし、死にたくない」
涙のつぶが膝に落ちた。乱子があかねを見ている。やっと涙がおさまると、あかねは無理に笑顔を作った。
「ごめんね。気にしないで。ああ、もうこんな時間」
立とうとしたあかねを、乱子は制した。乱子は真剣なまなざしであかねを見つめた。
「いいか、よく聞け。天国にいけるなんてのは嘘だ」
「乱子ちゃん…」
「どうせ祈るんなら、死にたくない、生贄なんかくそくらえ、って祈れ。嫌なものは嫌って言え。おれはずっとそうやってきた。チャンスは必ず来る。お前が気付いていないだけで、すぐ近くまで来てることだってある。大事なのはいつだって運命を選ぶ準備が出来てることだ」
口調も力強く、さっきまでとは別人みたいだ。あかねは驚いたが、乱子は微笑んで、今度はやさしく言った。
「いったんあたしは部屋から出て行くけど、だまされたと思って、今すぐ窓に向かって祈ってみて。死にたくないって。いい? あたしの教えたお祈りは、必ずチャンスを呼ぶのよ」
乱子はすっかり薄暗くなった部屋から出て行った。あかねはぽかんとしていたが、すぐに、お祈りをしてみる気になった。いつもベッドに向かってやるみたいに、窓に向かってひざまずいた。十字を切り、胸の前で手を組み合わせて、目を閉じた。
「主よ。今日も、民にパンと仕事をおあたえくださったことに感謝します。私を盗賊からお守りくださったことと、新しい友人をおあたえくださったことに感謝します。それから…」
あかねは即興で祈りの言葉を考えた。
「それから、あたし、本当は天国に行きたくありません。本当はもっと生きていたい。今まで嘘をついていたことをお許しください。どうかたくさん雨が降りますように。どうかみんな幸せになりますように」
がたっ、と音がした。
あかねはそっと目をあけた。窓の外で紐が垂れ下がり、かすかな月光に照らされて揺れている。
怖いより、好奇心のほうが強かった。あかねは窓を開けた。
|