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03 二人の距離

「まだあのお姫さん抱いてないって本当かよ」
 昼食の席で、仲間の一人が言った。下世話なやつだ。乱馬は答えた。
「そうだよ」
「もったいねえなあ。あんなにかわいいのに」
「けっ、どこが。あいつはすごい はねっ返りなんだぜ。…それに、水の城のことを聞き出すまでは、客扱いにしとくんだ」
「なんでぇ? てめえの女にしてベッドの中で聞けばいいじゃねえか」
 男の言葉に周りが笑った。
「うるっせえ。もう構うな」
 乱馬は自分の部屋に引き上げて、ソファに寝ころがった。ここしばらく、あかねにベッドをゆずっているからソファに寝る習慣がついてしまった。
 あかねと会うまで乱馬は女が苦手だった。どう扱っていいのかよく分からないし、人を好きになっているときの自分が嫌いだった。他人に心を奪われている状態が不安だった。だが、初めてあかねの笑顔を見たときから、乱馬の心にはあかねが住んでいた。
 水の城のことが終ったら、と乱馬は思った。水の城のことが片付いたら、あかねに、一緒に行こうといおう。あかねも盗賊の暮らしを気に入っているようだ。一儲けしたら旅に連れていってやろう。あかねはどこにも旅に出たことがないと言っていた。きっと喜ぶ。景色のいい、花のきれいなところへ連れてってやるんだ。
 乱馬は自分の想像ににやりとした。
 足音がした。あかねか? 乱馬はソファから飛び起きたが、すぐさま元のとおりに寝そべり、眠ったふりをした。
 そっとドアが開いて、あかねが入ってきた。
「乱馬」
 まだ狸寝入りをしていよう。
「寝てるの…?」
 あかねは足音を小さくして、ソファに近づいてきた。すぐ近くにあかねの気配があった。自分を見ている。そのまま、数十秒が過ぎた。どきどきする。あかねは寝ているおれをみて、何を思っているのだろう。
 乱馬は目をあけた。
「あかね…」
「ごめん、起こしちゃった?」
「いや、いいよ」
 乱馬は起きてソファに座った。あかねはポケットに手をやって、
「あのねえ、乱馬にプレゼント買ったの。これ」
 小さな包みを取り出した。「あけてみて」
 包みを開くと、中からは首飾りが出てきた。長めの鎖に、茶色い小さな宝石がついている。
「おれに?」
「似合うと思うの」
「ありがとう」
 あかねにお礼を言うのはなんだか変なかんじがした。乱馬は頭から首飾りをかぶった。
「そのネックレス、琥珀がパンダの模様になってるのよ。面白いでしょ」
「へえ」
「――― それからあたしね、そろそろ水の城のこと言おうと思って」
 乱馬は身を乗り出した。
「うん、頼む」
「水の城のことは亡くなったお母さまから聞いたわ。あたしは次の雨乞いの生贄になるだろうからって。あたしはただの昔話だと思ってたんだけど。『大風車の中には呪いがかけられていて、水のお城が封印されてる。風車がまわりはじめるとき、水のお城への道が開く』って言ってた」
「大風車か」
 大風車に鍵があるのなら、城に入らなくてはいけない。しかし、あかねをさらった一件があるから警備は厳しくなっているだろう。特に、あかねの近衛隊長だった男が捜索隊を結成し、死に物狂いであかねを探しているという噂だ。乱馬が考えをめぐらしているところへ、あかねが言った。
「大風車の中へまでは案内できるわ。今までありがとう。あたし、お城へ戻る」
「うん…えっ。なんだって?」
「お城に帰るわ」
「なんでっ? 嘘だろ!? 城が恋しくなったのか?」
 あかねはかぶりを振った。
「ちがう。パンダ団での暮らし、とっても楽しかった。短い間だったけど…。やっぱりあたしは、雨乞いの生贄になるわ」
「何言ってんだ」
「それで雨が降るって信じられてるんだから、あたしの他にできる人いないわ」
「迷信だろ。お前、生きたいって言ったじゃねえか!」
 乱馬はあかねの肩をつかんだ。
「乱馬が外の世界を見せてくれたから、あたし、強くなれたの。もう逃げないでいられる」
「バカ。目ぇ覚ませ! 水の城のことが終ったら、おれと一緒に来い。みんなもお前を気に入ってる」
「自由になりたいなんて思ってたあたしは子供だったの。辛いのはお父さまも国の人も同じだって知ってたのに、逃げようとした」
 あかねは、自分の手を重ねて、ゆっくり肩から乱馬の手を外した。
「私はこの国の王女です。たとえ気休めの雨乞いでも、民の不安を取り除き、王の威厳を守るためなら命は惜しくありません」
 目の前の少女がそんな風に考えていたなんて。乱馬は拳を握りしめた。あかねがひどく遠い。自分の言葉があかねには届かない。
「―――わかった。水の城へは今晩出発する。みんなに仕度するよう言ってくる。夜、動くから、お前も寝ておけ」
 口では納得したようなことを言ったが、あかねをみすみす死なせる気はなかった。あかねだって内心ではおれと一緒に来たいはずだ。塔からさらったときみたいに、もう一度、救い出してやる。乱馬は声に出さずにあかねに向かって言った。
 乱馬は部屋を出て、父の玄馬と逃走の準備をして、部下たちと城への侵入経路を練った。



 やがて、夜は来た。乱馬は馬の後ろにあかねを乗せ、最初の夜と同じように街をかけぬけた。今夜は特別蒸し暑い。乱馬は背中のあかねを意識した。死にに戻る女を乗せて、乱馬の馬は走った。
 警邏の者に目をつけられないよう、裏道をいくつも経たあと、パンダ団の馬は城の外へ着いた。今夜のメンバーは少数精鋭だ。残りはアジトの荷をまとめて、合図ですぐ出発する準備をしている。
 乱馬はあかねを降ろし、城の外塀を登るため、ロープをかけた。パンダ団の皆が夜の闇にまぎれて塀を越えた。
「あかね、おれは最後にいくから、先にのぼれ」
「うん」
 そのとき、高い笛の音が響いた。
 ピリリリリリッ
 周囲を取り囲むように、警邏の兵が現れた。塀の向こうも騒然としている。同じように囲まれているらしい。
 警邏の者の仲から、男がひとり進み出た。
「姫っ。ご無事でしたか!? 観念しろ、盗賊パンダ団!」
「良牙くん…!」
 あかねがつぶやいた。とすると、この男があかねの捜索隊を指揮しているという男か。乱馬は剣を抜いた。じりじりと包囲の輪はせばまってきた。こう相手が多くてはどうしようもない。
 最初に2人の兵が飛びかかってきた。乱馬の剣は闇の中で一閃した。一人目は胴を、二人目は足を切ってやった。
 兵たちはそれを見てひるんだ。雑兵には太刀筋すら見えていないはずだ。乱馬は火中天真甘栗剣という、高速の剣術を使う。
 良牙が乱馬におどりかかった。乱馬は剣の腹で良牙の剣を受け止めた。
 ギィン、と冷たい音が響いた。
 こいつの剣、重い! 乱馬は受けながら思った。なかなかの腕力だ。刃がきしんだ。
 乱馬と良牙が刃ごしににらみ合っていると、兵たちがいっせいに乱馬にとびかかった。乱馬は蹴散らしてやろうともがいたが、剣は手からもぎ取られ、手足は地面に押し付けられた。
「あかねぇっ」
 あかねも乱馬に向かって何か叫んだが、兵に押しとどめられていて、乱馬に近づくことはできない。良牙は剣をおさめ、あかねを連れていくように命じた。あかねは兵に両腕をひかれて行った。
 良牙がこちらへ来た。乱馬は兵たちに圧迫されて、息をするのもやっとだ。
「お前が盗賊の親玉か。よくも、あかね姫をさらったな!」
 良牙は乱馬の横っつらを殴った。口の中が切れて、鉄の味がした。
「こいつを牢へ連れていけ」
 良牙の命令どおり、兵たちは乱馬をひったてて行く。乱馬は暗い廊下をとおり、城の一角の石造りの牢へ連れてこられた。兵は牢をあけると、乱馬を突きとばすように中へ入れた。乱馬はつんのめって地面に両手をついた。
 乱馬は立ち上がって、顔をあげた。
「乱馬」
 奥から声がした。呼んだのはシャンプーだった。
「おう、シャンプー。お前らもつかまったか」
 牢の奥にはシャンプーも含めて5人の仲間がいた。
「私達、みんなつかまった。他の牢にバラバラにされて、全員つかまってるある」
「そうか…」
 乱馬は兵たちに引っ張られたり、突かれたりしたので、服を払った。特に良牙に殴られた頬は痛んだ。口の中の血とつばを何度も飲み下した。
「怪我はねえか?」
「私は大丈夫ある。乱馬は?」
「おれも平気だ」
 やい静かにしろ! と牢の外で番兵がどなった。乱馬たちは声をひそめた。
「それから、お頭や飯炊き女たちもつかまってるある」
「なんで? 逃走準備係のやつらまで」
「私達パンダ団の動き、城側につつぬけだたね。私たちがアジトを出てすぐあと、ガサ入れあった」
 今夜城に忍び込むことは、今日の昼間に決めたのだ。それが城に漏れていたとなると、ずいぶん情報が早い。
 シャンプーはぐっと低いトーンで言った。
「私は思うのだが…。ユダ(密告者)はあかねある」
「何言うんだよ。あかねがそんなことするか」
 乱馬はそう言ってみたものの、考えられないことではない、と思った。あかねは外部の人間だし、わりと自由にさせていたから、情報をもらそうと思えばできたはずだ。
「密告者の詮議はあとだ。シャンプー、お前も脱出すること考えろ」
 乱馬は牢の中を見てまわった。鉄の格子の扉以外はすべて石で出来ている。窓もない。力ずくで出るのは無理のようだ。乱馬は格子の間から廊下に向かって手をのばして言った。
「番兵さん! 番兵さん。喉が渇いた。水のませてくれよ」
「おとなしくしてろ。お前ら今入ったばかりだろ」
「頼むよ。コップ一杯でいい」
「うるさい」
 番兵は持っていた棒で乱馬の腕を叩いた。乱馬は手をひっこめた。
「いってえなぁ」
 まあ、飢え死にさせるつもりがない限り、いつかは水が手に入るだろう。乱馬は待つことにした。一時間ほど経った。さっきの捕り物で怪我をした仲間のうめき声と、羽虫の音がする。足音が近づいてきた。廊下の番兵が交代するらしい。乱馬はさっき水をくれなかった番兵が行ってしまうのを見届け、言った。
「番兵さん! 水を飲ませてくれよ」
「ん、ああ」
 番兵は一度外へ出て、コップを持って戻ってきた。ほら、とコップを渡された。
「ありがとよ」
 乱馬は受け取り、牢の中へ手をひっこめた。頭から水をかぶった。肌をつたう水音の他に、骨のきしむ音がした。服の中で自分がひとまわり小さくなるのがわかる。実は乱馬は、水をかぶると女に変身する体質である。
 これは剣の修行中、ある呪いにかかったせいなのだが―――話が長くなるので割愛する。とりあえず乱馬は女になってしまう自分を恥じていて、仕事で必要な時しか女にはならない。今は胸も果実をさげているみたいに重いし、又の間もスースーする。仲間たちは、何度目かに目にする乱馬の変身を、珍しげにみていた。
 乱馬はとびきり高い女の声で叫んだ。
「きゃーーーっ、乱馬よ! 乱馬が逃げたわぁーっ」
 番兵がやって来た。らんまは格子にすがった。
「盗賊の男があたしと服を取りかえて逃げたわ!」
「なに!? 一体どこから出たんだ。…うん、確かにこの牢に、お前みたいな娘はいなかったな」
「あっち! あっちへ逃げたわ。待ってよ! 追いかけるならあたしをここから出してからっ」
「わかった」
 らんまは番兵に手をひかれて、牢を出た。番兵の背中にまわると、らんまは、思い切り後頭部をなぐった。番兵の身体はぐらりと揺れて、倒れた。腰の剣を奪って自分の腰にさし、鍵束をシャンプーに渡した。
「これでおやじたちを出してやってくれ。おれは行くところがある。みんなはおやじの指示に従って早くずらかれ」
「らんまっ、どこに行くある」
「おれのことは待たなくていいぞ!」
 らんまはそう言って、たくさんの牢に面した廊下を走って行った。城の庭に出た。城の大風車のおかげで、いまどこにいるのかがわかった。あかねはどこにいるのだろう。心当たりは、あかねの部屋のある水蓮の塔しかない。そこへ行ってみていなかったらアウトだ。
「待ってろよっ」
 らんまはそうつぶやいて走った。
 たとえあかねがパンダ団を裏切ったのだとしてもかまわない。あかねが密告者だとしたら、本当はパンダ団と乱馬を憎んでいたのだ。さげずんでいたかもしれない。心を許しているように見えたのは、おれの欲目だった。それでもむかえに行きたい。なにがなんでも、あかねを死なせるような最後は嫌だ!
 らんまは水蓮の塔の裏口へまわった。侍女や庭番が出入りするところだ。裏口には番兵が立っていた。以前はいなかったのに。パンダ団の一件で警備が厳しくなったのだ。
 らんまは大きな音を出したくなかった。そっと近づくと、剣のツカで2度番兵を殴った。水蓮の塔へ入り、炊事場を抜け、大理石の階段を駆け上がった。その間誰にも会わなかった。
 大きな扉の前へ来た。あかねの部屋だ。乱馬は静かに戸を開け、身をすべりこませた。
 部屋の中は灯りがない。あかねはいないのか? 乱馬は見回した。最初にここで会ったとき、一緒にトランプをした窓辺に、月明かりがさしていた。ベッドの横にあかねがいた。よかった。あかねは力なく絨毯の上で横座りになって、大きなベッドによりかかり、つっぷしている。最初に会った日の夜のように、長いすそのドレスを着ている。
 らんまは近づいた。あかねは寝ているのか、泣いているのか。死体のように動かない。
「あかね?」
 らんまの声に反応して、あかねが顔をあげた。泣いているようだ。頬がかすかに濡れている。
「乱子ちゃん…」
「大丈夫?」
「聞いて。あたし、大変なことをしてしまった。大切な人を裏切るようなことしたわ」
「それ以上言わないで。心配しなくていいから」
 らんまはとっさに乱子としてそばに座り、あかねの肩を抱いた。
「髪飾りを売って…乱馬に、大事な人にプレゼントを買おうとしたの。でも髪飾りはすぐにあたしのものだって、わかって。城に連絡が。良牙くんが探してて。こんなつもりじゃなかったの」
「大丈夫よ。乱馬は逃げたわ」
「ほんとう!?」
「ほんとう。パンダ団のみんなも無事よ」
「あたしを安心させようとして言ってる?」
「ううん。あたしはしばらく乱馬の身代わりになって、逃がす手伝いをしたわ。この服、乱馬のよ」
 あかねは初めて乱子の服に気付いたようで、濡れた服のすそをつかんだ。
「ほんとだ…」
「あかね、一緒に城を出よう!」
 乱子は立って、あかねに手をさしのべた。
「旅をしてみたいんでしょう。乱馬が、盗賊が嫌なら、あたしが堅気の知り合いのところへ送り届けてあげる」
 あかねは「ちがう」と言った。
「なんでそう意地になるの。生贄になりたくないでしょう。本当は生きたいって言っただろ?」
 らんまは強引にあかねの手をとったが、あかねは立とうとしなかった。
「意地悪ね。乱馬と同じこと言うんだから」
「なんでもいいんだ。どこかで生きててくれれば。行こう。行こう!」
 あかねはらんまの手を放した。最初の夜はさしのべた手をとったのに。らんまはたまらない気持ちだった。こんなに強情な女は見たことがない。だが、おれはあきらめない。あかねの気持ちが変わらないなら、どんな方法でもいい、あかねを追いつめるものを取り除いてやる。

(そーいやコミックにも「二人の距離」って題、あったな)

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