アメリカでの出会いの中から
自分の国とは異なった文化に触れて、改めて日本という国が見えた。
一ヶ月の短期留学を終えた私の気持ちは、行く前と明らかに異なっていた。世界の中心の国でいろいろなことを学び、たくさんの人と出会うことができた。出会いの中か
らの発見したことは、数えきれないほど多い。その中でも、特にアメリカの高校生と日本の高校生との文化や価値観の違いをよく考えた。そして異文化を自分の目と肌
で感じた私は、新たな自分を見つけるこ とができたのだ。
私はガバナースクールの生徒たち90人と交流した。ガバナースクールとは州知事が州内の高校生を対象に国際的視野を広げるために実施しているサマースクール
である。同じ大学の寮に寝泊りし、食事や休み時間などいつでも彼らと交流することができた。彼らは選ばれただけあって、とても個性豊かである。誰一人同じファッショ
ンをしている人はいない。私はアメリカの高校生は一番に「自由」を大切にしていると考えていた。しかし聞いてみると、自分の予想と反し、みんな口をそろえて「個性」だ
と主張する。この国では、みんなと同じでなければ恥ずかしいというわけでもなく、一人一人が自分の考え、個性に誇りを持っている。日本では、女子高校生が同じよう
な服装をし、同じような髪型をするのが流行っている。日本のように、同じようにしないと仲間はずれにされるということはない。日本にいると感じないが、服装や髪型が
同じとはとても怖いことである。ほかの人と同じだと、自分自身の個性がなくなり、自分の存在がなくなってしまう。私がアメリカにきて、は
っと気づかされたことだ。
このガバナースクールにはアメリカ国家を象徴するように、さまざまな人種や民族の人がいた。だが多数が白人で、アジア系やヒスパニック系、アフロアメリカンなどが
少数だったという悪い面も見られた。でもみんなとても仲がよくて、男女関係なく楽しそうに食事をしたり、一緒に行動したりしていた。そして私たち日本人も彼らは自然
と仲間に受け入れてくれた。人種差別なんていう言葉は、彼らの中に必要ない。日本は外国人との交流に慣れていないということもあるが、外国人に神経質になりすぎ
ている。もし私の学校に留学生が来たら、はたして特別扱いせず、普通の仲間として受け入れることができるのだろうか。しかしながら私自身、差別はよくないと思って
いながらも、少しの間黒人の生徒を避けていた。ほんとうに情けない。だが、打ち解けていくにつれてそんな気持ちは消えてしまっていた。
彼らは自分の民族、文化、宗教にしっかりとしたプライドを持っている。彼らはお互いにその違いを認識し、理解している。そのことを受け入れようとしなかったり、理解
しようとしてもらわないところから差別が生まれるのだ。今の日本人ははたして自分の民族や文化、宗教に誇りを持ち、他民族を理解しようとしているのか。日本人のほ
とんどは、特定の宗教を持っていない。外国人からとても不思議がられることだ。正月は神教、クリスマスはキリスト教、死ぬ時は仏教などと説明したら、不思議そうな
顔をしていた。だが私は日本文化に誇りを持っている。武道は英語Budo にもなっていて世界的に有名であり、そのことについてたくさんの質問をされた。私たちは、彼
らに書道と折り紙を教えた。書道の授業では彼らの名前を漢字に当て字してあげたら、とても喜んでくれた。折り紙の授業でも飛行機を作って競い合ったり、新聞紙で
かぶとを作ったりした。私たちがアメリカという国に興味を持つように、彼らも日本にとても興味を持ってくれている。それは私にとってうれしい悲鳴であった。なぜなら、
質問されても答えられないことがあったからだ。英語だからということもあったかもしれないしかし私は日本についてどれだけ知っているだろうか。彼らは、とても国際意
識が高い。世界の中での日本の役割をどう考えるか、という難しい質問や政治、経済についてよく日本人に尋ねてきた。そういった質問に自信を持って答えるために、
自分の国についてしっかり学ばなければならないということを思い日本とアメリカの高校生のレベルの違いを感じた。私はガバナースクールで、国際情勢やアメリカが抱
えている問題についての授業を受けた。日本からの視点ではない、今までに考えたことのないような考え方も学ぶことができた。日本ではこのようなことを学ぶ機会が
少ない。これは自分が興味あることなので、アメリカの高校生達を少しうらやましく思う。
彼らだけでなく、外国人のほとんどは、母国語のほかに数か国語を話すことができる。アメリカの高校生は、このガバナースクールで、日本語の授業が毎日あった。
彼らにとって、日本語は初めての言語であったが、私たちを相手にして日本語の練習をしていた。そしてなぜ日本人が外国語がなかなか上達しないか分かった気がす
る。それは口に出してしゃべろうとしないからだ。彼らは習った単語をとりあえず口に出してみる。そうすると、直してあげる事ができるので、どんどん日本語がうまくなっ
ていく。渡米当初は、彼らの言ってる英語がわからず、黙ってしまいがちで、みじめな思いをした。こんな彼らを見ていて、私は失敗を恐れず、積極的に話そうと決心し
た。多少間違えてもどうにか通じるものだ。自分の英語の上達度を実感するようになり、だんだん外国人と話していることが楽しくてしょうがなくなっていた。人間は言葉
でコミュニケーションするだけではなく、心でコミュニケーションすることができる。言葉は違うけれど、お互いに理解しようとして心を開けば、必ず通じるものがある。そし
て、私の英語に対する考え方が変わった。今以上に英語を勉強しなければならないと思う。もっと自分を伝えたい、もっと分かり合いたい私の素直な気持ちからである。
アメリカにいる私は、多民族国家の中にいる一人の外国人だった。彼らは本物の日本人を見るのが初めてと言う人がほとんどで、私が言ったこと、行動したことが日
本人観となる。外国人から見ると、私自身が日本であり、その怖さと責任の重大さを肌で感じた。しかしながら、そのことを意識することによって私は責任ある行動をと
れたと思う。アメリカに来て今までの日本の自分を見直す事ができた。日本、そして自分のことは、外から違う立場でみると全く異なって見える。アメリカ生活の中から価
値観、信念、文化、人種問題などたくさんのことを学んだ。でもまだ、アメリカを覗いただけにすぎない。世界は広い。自分から異なる世界に飛びこみ、自分の目と心で
感じることが大切である。百聞は一見に如かずというが、まさにこの言葉がもっとも的確である。たくさんの友人もできた。アメリカの高校生、異なる国の同年代の人々
とふれ合い、交流することによってできた絆は、言葉の壁を越えて、今でも続いている。彼らが教えてくれた個性、自立心、民族の誇り、やさしさは私に新たな道を示し
てくれた。彼らと出会えたことを本当に感謝している。なぜなら今までにない自分を見つけられたのだから。