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日本史/世界史の基礎知識
2001年03月
(Vol. 21)
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★今週のまとめ(日本史編)★
「テーマ:武家政治の成立と発展(5)元の襲来」
1.元の襲来
元の使者の来日
元は高麗・南中国を従え,日本遠征を計画する.
元は数回にわたって使者を送るが,北条時宗は使者を退け,防備を固める.
1274年:文永の役
元・高麗の混戦軍(約4万人)
対馬・壱岐を略奪し,博多に上陸する.
新兵器(毒矢・てつはう)によって日本軍を圧倒する.
元軍の前進をくい止めたのは,たまたま起こった暴風だった.
1281年:弘安の役
幕府は再来に備えて諸国の武士を動員し,防塁を築く.
朝鮮半島からの東路軍(約4万人)と南中国からの江南軍(約10万人)が襲来.
このときも暴風にあい,元軍の大半の艦船は沈没し,遠征は失敗する.
元寇の影響
鎌倉幕府の命令が全国に及ぶようになる.
海外からの侵略によって,日本人としての自覚がめばえた.
多くの戦費により,幕府の財政は行き詰まり,御家人の経済を困難にした.
2.鎌倉幕府のおとろえ
御家人の経済危機
元寇に対する準備・出陣により多くの費用を負担.
海外からの侵略に対する防衛戦→ 土地も恩賞ももらえない
日宋貿易による銅銭の大量流入による貨幣経済の一般化
御家人は高利貸しからの借金にたよる.
幕府の御家人救済対策
↓
1297年:徳政令
御家人の領地の売買を禁止.
20年以内の売買による土地を無償で御家人に返還させる.
御家人に対する金銭貸借の訴訟は受理しない.
↓
しかし経済はかえって混乱
御家人の北条氏への反感が強まる→ 北条氏の専制化が強まる
有力な守護の中には,御家人を家来とするものも出てくる.
↓
鎌倉幕府の土台がゆらいでくる
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〜〜〜〜〜〜〜◆今週のワンポイント・レクチャー◆〜〜〜〜〜〜
<元軍敗退の理由>
元軍の敗因としては,特に弘安の役では,日本軍が3ヶ月近くも元軍を上陸させなかったことが第一にあげられる.そのためには,鎌倉幕府という強固な武家政権が存在し,そのもとに御家人だけでなく非御家人・一般農民をも動員した総力戦でのぞむ体制が必要だった.
また元軍には,長途の海路遠征からくる疲労と厭戦の気配が広まり,とりわけ強制的に動員された高麗・南中国の軍隊の戦意喪失,また征服地で強制労働によって急造された数百隻におよぶ艦船のもろさ,さらに高麗をはじめ,宋・安南などの征服された地域の人々の背後からの抵抗なども大きな原因となったといえる.
これに加えて,暴風や島国という自然的条件が重なり,日本に有利に働いたのである.
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〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜◆今週のコラム◆〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<日本軍の戦い>
外国の事情にうとく対外戦争の経験のない日本軍は,元の襲来を迎えてなやまされた.そのひとつは,戦法の違いだった.源平合戦のときと変わらないよろい武者の一騎打ちで,互いに名乗りをあげて,一方からかぶら矢を射て,相手から返し矢があり,これを合図に戦いを始めるという日本軍は,雨のように矢を射かけて襲いかかるモンゴル軍の集団戦法に太刀打ちできなかった.
さらに,モンゴル軍の新兵器が日本軍をなやませた.強力な弓矢に毒矢もあり,長槍を構えられて,日本軍は近づくことができなかった.なかでも日本軍を驚かせたのは,「てつはう」だった.鉄の玉に火薬を包んで激しく飛ばす「てつはう」は,すさまじい音と光と煙で日本軍の目をくらませた.
しかもモンゴル軍が急に上陸してきたために,女・子供・年寄りが戦争に巻き込まれ,戦場が混乱してしまったために,日本軍は思うように動けなかった.こうしたことから,2回目の襲来に備えて,海岸に防塁を築きモンゴル軍の上陸をはばむ作戦がたてられ,そのために膨大な費用があてられたのである.
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以上で今週は終わりにします.
次回は「世界史編」をお送りする予定です.
お楽しみに.
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