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 止まったエスカレーター

僕はいつもと同じようにスターバックスに入った。これは大学からの帰り道、日課となっている。コーヒーの飲みすぎは体によくない、とはよく聞くがこれがやめられない。温かいコーヒーを何も考えずゆっくりとすすっている時間がなにより落ち着く。といってもこんな習慣がついたのは半年前くらいからだと思う。それぐらいから僕は何も考えないこと、というより頭の中を自然にまかすことが好きになっていた。
僕はスターバックスラテを買いとりあえず席についた。そしてそれをゆっくりと口につけようとしたとき不意に誰かに呼び止められた。
「彰」
聞き覚えのある声だった。
「やっぱりここだと思った」
聞き覚えがあるはずだ。振り返って見るとそこにいたのは僕の彼女だった、半年前までのだが。
「どうしたんだい、こんな所で」
僕の言葉は聞こえないかのように彼女は言った。
「久しぶりね、半年ぶりくらい?」
「ああ、そうだね」
僕は実際の所少し戸惑っていたが一口コーヒーを飲み、なんとか落ち着こうとした。
「とりあえず何か買ってくるね」
彼女がそう言ってランバフラペチーノを買って席に戻って来るまでに僕は平常心を取り戻していた。
「それでどうしたんだい?」
「久しぶりに会いたくなったの」
彼女はそう言ってランバフラペチーノの方を向きストローをさした。
「相変わらず甘いのが好きだね」
「あなたこそいつもの普通のコーヒーね」
「ま、君に初めてここに連れられて以来ずっとこれを飲んでる」
「飽きないの?すごく普通でしょ」
僕は一口すすって答えた。
「普通の味だよ。だからいい」
「そうね」
彼女はちょっとストローでかき混ぜ口をつけた。
「もう一度聞くよ、どうしたんだい?」
彼女は少し息をついた。
「やり直さない?もう一度」
その言葉に僕は驚いたが、しかし多少はそれを予想もしていた。僕は何も言わなかった。少しの間沈黙が流れ、また彼女が口を開いた。
「この間ね、たまたまエスカレーターが壊れていて動かなかったの、駅の毎日乗ってる。で、仕方なく歩いて昇ったのよ、エスカレーターをね」
「うん、それで?」
唐突な話に少し僕は面を食らったが話の続きに耳を傾けた。
「するとすごい違和感を感じたの。わかる?エスカレータは止まってるってわかってるのに体だけ勝手に昇っていこうとするの」
「ん〜なんとなくね」
「それでね、動かないエスカレーターがこんなもんだったんだって、思ったの。エスカレーターは動いてるものって当然なんだけど、再認識したの」
「確かに動いてなきゃエスカレーターじゃないしね」
「そう考えたときに思ったの、やっぱり私にはあなたが必要だって。すごく自然に。あなたが離れてからの日々に私が感じてた気持ちの正体みたいなのに気付いたの」
彼女はじっと僕の目を見つめている。
「いったいその話がどう繋がるんだい?」
「わからないけどただそう思ったの」
僕はコーヒーに少し口をつけてから答えた。
「うん、しかし実際の所だよ、別れを切り出したのは君からだったじゃないか。それを今更…」
「それはわかってるわ、とてもよく。ただきっとあの頃は動きつづけることが少し辛く思えてしまったの。止まってしまうとこんなにもポッカリと穴があくなんて」
「それはエスカレーターの話?」
「例え話よ」
またコーヒーを飲む。少しぬるくなっている。
「止まったエスカレーターか。…でもね、同じように言うなら君に別れを告げられた時僕のエスカレーターも止まってしまったんだよ」
「え?」
「そして同じように違和感を感じた、いや違和感なんてもんじゃない。何故動かないんだ、ってやり場のない怒りさ。さっきも言ったようにエスカレーターは動くものだろ。しかし何をしようともエスカレーターは動かない。動かないエスカレーターになんの意味がある?」
「…」
「そして僕はこう考えた。動かないエスカレーターはただの階段だと認識するべきだ、と」
「どういうこと?」
「そのままだよ、もう僕の中にエスカレーターなんてないんだよ。ただの階段があるだけだ。だから違和感も感じない。もっと簡単に言うと、ここにさっきまでの熱いコーヒーはない。あるのは冷めたコーヒーだけ」
「つまり、私とやり直す理由もない?」
「そういうことになるかな。階段が動くというのはおかしな話だ」
「じゃあ私はどうしたらいいの」
「大丈夫だよ」
「何が大丈夫だって、言うの?」
「僕が大丈夫だったんだからさ。いいかい、人間には悲しい性が2つある。」
「何?」
「悲しくはあるけどもちろん必要だから生まれたものでね、時には便利でもある。いや、便利であるから悲しいのかもしれない。『忘れる』ことと『慣れる』ことだ」
「どういうこと?」
「人はなんでも忘れられるし、なんにでも慣れられるってことだよ。エスカレーターがあったこともすぐに忘れられる。それが階段であることにもすぐに慣れることができる」
「それは、あなたは本当にそう思うの?」
「それが人間なんだ、多少悲しいけどね」
僕はさめきったコーヒーを飲み干した。
「…わかったわ、もういい」
「すまない」
「ううん、本当にいいの、私もただ歩き出すことに戸惑っていただけなのかもしれないわ」
「ああ、だが歩き出さなきゃいけないときもある」
「そうね、じゃあこれで本当にさよなら」
「うん、さよなら」
「でもね」
彼女は席を立って言った。
「あなたのことは忘れないわ」
「うん、僕もだ」
                                       fin



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