豊臣時代の大阪城三の丸の堀の跡の発掘写真です
(大阪冬の陣のあと、徳川方に埋められ、豊臣滅亡の因となりました)
(H15.12.13撮影)

左図は、豊臣大阪城下の絵図面ですが白丸の部分が、発掘された三の丸堀跡と思われます。





発掘場所は大阪府警新庁舎2期棟建設場所で、手前が大阪府警新庁舎1期棟で、後方左が大阪市博物館、後方右の高い建物が「てるてる家族」放映中のNHK大阪放送局>です。(下写真2枚)
堀の深さは約6mで、40°の急斜面です、幅は約25mで、底は「堀障子」と言われる垂直に不規則な壁の区画で仕切られ、区画の間にたまった泥で、容易に堀を渡れないよう防御されていたそうです。(下写真2枚)
特に、手前の、斜面を滑り降りた(落ちた)場所の区画は特に深く掘られています。
説明員が底の区画の上に立っていますが、深さを想像して下さい。(右写真)
左写真のはるか後方に、現在の大阪城が小さく見えるのですが、それだけ広大な大阪城の区画だったということでしょうか


(S58.4〜H1.3、H5.4〜H9.3までこの上にあった建物で勤務をしていたのですが、まさかこの地下が堀だったとは・・・)
豊臣時代の発掘といえば、金箔かわらが必ず出ますね、この他に金箔しゃちほこの一部も出ました。
これは、兵士の弾除けの板製の盾ですが、火縄銃の玉があたりめり込んだ状態で出てきました。
右の高い建物がNHKです
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