当日は、イラク現地からの報告と海外の青年からの連帯あいさつもありました。
空爆が新しい命をも脅かす
日本国際ボランティアセンター・看護師 吉野都さん
1980年代にカンボジア難民がタイにでてきたときに難民救済のために設立されたNGOで、いまはカンボジアやタイやベトナムなど、およそ8カ国で活動しています。中東ではイラク、パレスチナ、ヨルダンで活動しています。昨年の八月からイラクの隣国ヨルダンで、イラク難民を救済する仕事にかかわってきましたが、今回のイラク攻撃をうけて、1月と、4月16日から5月1日まで約10日間、緊急救援活動をバグダッドでしてきました。今日は、みなさんのような元気な高校生の前で発言できてうれしく思っています。
今日はみなさんの質問に答えてお話しします。私は看護師なので、おもに病院で救援活動をしていました。母子保健病院がバグダットにあります。そこで活動したり、貧困街にクリニックをひらいて、1日2500人の患者さんを受け入れています。そのなかで感じたことをお話しします。
イラクは政府が病院や保健所をつくって、人々の健康を維持していました。でも今回のイラク攻撃で、政府そのものがなくなってしまい、医療機関が機能しなくなってしまいました。とくに病院そのものがいま多くが機能していません。発電所がこわれたために、電気がない、国立病院だったためにスタッフも来ない。もともとバスやタクシーなども止まっていて、交通運賃も値上げしている。あんぜんな水も簡単に手に入りません。そういったなかでも、患者さんが次つぎに運び込まれています。とくに、戦争が終わった今でも、クラスター爆弾によって被害をうけた子どもたち、戦争後の爆発にまきこまれた13歳の男の子もいました。フセイン像が倒れて喜ぶ大人たちがいる一方で、手足を失っても十分な治療を受けることのできない子どもたちは輪刷られません。
母子保健病院は、新しい命をはぐぐむ妊婦さんの健康管理をするところですが、空爆によって閉鎖しなければならなくなっている。おなかが痛いのでみてほしい、という妊婦さんも、スタッフがいないためになくなく帰らざるを得ない。一番印象に残っているのは、やはり戦争というのはクラスター爆弾で直接影響をうける人もいるし、間接的に人々の健康に影響を与えていること。とくに妊婦さんは、新しい命をおなかに宿しているので、体のなかもとても繊細にできています。空爆の音、食べ物がない、水がないというストレスで早産流産がふえています。8ヶ月の妊婦さんは空爆のなかを逃げ回って、未熟児を生んでしまった。でも、そういった子どもは、医療施設が不十分だけど、赤ちゃんもなんとか生きようと呼吸している赤ちゃん、2000グラムの小さな赤ちゃんです。
母子保健病院は、スタッフが少しずつ集まって、お給料もらえなくてもボランティアで掃除したり、診察を開催したり、立て直して毎日新しい命が誕生しています。妊娠中の空爆というきびしい状況にも耐えて、出産をしています。そのきびしい状況のもとで、生まれてくる赤ちゃんや妊婦さんが印象に残っています。
また子どもたちはどうしているかというと、報道にもあったように、行政がまったくとまっているので、学校再開のめどはたっていません。私たちが云ったところでは、学校以外でも子どもたちのセンター、ピアノを習う文化センターが空爆にあったり、無政府状態になったもとで、略奪があるなど破壊されています。 イラクは中東の中でも芸術や医療など文化の高いところ。91年の湾岸戦争、それ以降の経済制裁でイラクを疲弊させていて、今回のイラク戦争でおいうちをかけられた印象。子どもたちは、収入のない良心を助けるために、朝は野菜売りをしたり、靴磨きをしたり、働く子どもの姿もたくさんみられました。
イラクの国民のどれくらいが反対しているのか、町中にアメリカ兵がうろうろしている。病院のかんごふや医者が、どう思うか、ききました。やはり「フセイン政権は独裁で良くなかったが、略奪や泥棒など治安が悪くなることはなかった。そういうもとでもアメリカ兵は何もしない。サダムもいやだけどアメリカはもっとイヤ」という人が多かった。アメリカがいることに対して10歳の女の子は、「壊した病院や学校をぜんぶ直して、早く帰ってほしい」とはっきりいっていました。
イラクの人々が必要としているものは、政府が機能していないので病院に医薬品がない、スタッフがない、給料が払われない、救急車のシステムなどめちゃくちゃ。命を十分に助けることができません。病気にかかった人、ケガをした人、未熟児の人、弱い立場の人の命が脅かされていくことが感じました。
いまアメリカが主導でイラクを復興するか、という問題もあります。やはりイラクの人自身が声をあげて、国づくりをすることが一番必要だと思います。
私は、イラク攻撃反対の署名や声明をだして、政府に届けてきました。看護師といっても医療だけでなく戦争反対の気持ちを看護をしながら、人々に伝えてきたつもりです。政府は公にイラク戦争を支持しましたが、みなさんのように市民レベルではイラク戦争に賛成していなかったことをイラクの底辺に住む人びとに伝えたいと思って活動してきました。歴史を前にすすめるために立ち上がろう
韓国で平和活動をひろげている青年 カン・ハンさん
たくさんの日本の若者にあえてうれしく思っています。反戦平和をうったえるみなさんの努力と情熱におしみない賛辞を送ります。私は韓国で青年運動をやっています。4月19日、韓国の青年も反戦平和をうったえる機会がありました。アメリカはイラク攻撃に劣化ウラン弾を使用しました。湾岸戦争からつづく苦しみが二倍三倍にもなりました。うまれたときから人とはおもえないような姿で生まれた子どもたちがたくさんいるとききます。一体だれが、尊い命を無残に踏みにじる権利があったのでしょうか。日本には憲法9条がありますけれど、韓国にも侵略戦争はいけないという憲法があります。国連憲章にも武力侵略はいえkないとかいてある。各国と国際法にもかいてあることも、支配者たちは守ろうとしないんです、彼らは、自分たちの目の前のささいな利益のために、私たちに平和な地をゆずりわたさないつもりです。5・4集会のアピールを読ませてもらいました。ここに「私たちの声と運動が歴史をつくるんだ」というのがありましたが、本当にそうだと思います。歴史をみずからつくりだすには青年がたちあがらないといけない。韓国の歴史をみると、近現代の歴史の変化のときには、いつも青年学生がいました。日本もきっと同じだと思います。
最後に日本と韓国の青年が、反戦平和の運動でお互いにたくさんの連帯ができればいいなと、思っています。これからも反戦の声をうったえて、私たちが生きていく世界に、これ以上戦争や暴力がひろがらない世界にするためにがんばっていきましょう。
5・4PHOTO ALBUM1
5・4PHOTO ALBUM2
参加者の感想より
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