父親たちの星条旗


 この映画は「硫黄島プロジェクト」のアメリカ側からの視点において制作されたものであり、ともに作られた「硫黄島からの手紙」は日本の視点から描かれている。
 対に制作された二作品の意図、これには監督のクリント・イーストウッド監督の強いメッセージがこめられている。公式ホームページにてイーストウッド監督は「私が観て育った戦争映画の多くは、どちらかが正義で、どちらかが悪だと描いていました。しかし、人生も戦争も、そういうものではないのです。私の2本の映画も勝ち負けを描いたものではありません。戦争が人間に与える影響、ほんとうならもっと生きれたであろう人々に与えた影響を描いています。どちらの側であっても、戦争で命を落とした人々は敬意を受けるに余りある存在です。だから、この2本の映画は彼らに対する私のトリビュートなのです。日米双方の側の物語を伝えるこれらの映画を通じて、周囲が共有する、あの深く心に刻まれた時代を新たな視点で見ることができれば幸いです。」と語っている。
 つまりこの作品は一切の個人的偏見を排除し、ただ歴史的事実を日米双方の側から提示し、我々に戦争とは何だったのか、ということを考えさせてくれる、単なる娯楽作品では終われない一面を持っている。



 序盤は激しい戦闘シーンから始まる。正直、西洋人の顔の区別に時間がかかる日本人にとっては混乱するもので、はじめの数十分は何が起こっているのかわからないものだったかもしれない。
 他のホームページのレビューを見ると、そのことで作品自体の評価を低くしてしまっているものもあった。しかし、それだけで作品を評価するのはもったいない。
 作品全体を通してみると、その混乱は解消されるだろう。作品全体を通して、過去と現在が交錯している構成になっている。その際場面転換において、明確な合図もなくただ転換されるのみ。
 確かにわかりづらい部分でもあるが、その複雑さは戦争そのものとも似ているようにおもえる。善悪で判断できないもの、その一刀両断できない出来事というのは今日にも深く傷跡を残し、また、現代に生きる我々もそのことについて無関係でなく、一人一人が考える必要があるというメッセージにも受け取れる。
 また、イーストウッド監督は余分なものを一切付け加えない、非常にシンプルに作品を作っている。BGMやSEも過剰にせず、泣かせに走るような表現を用いず、ただリアルに英雄とたたえられた人物たちをえがいている。
 戦闘シーンも腕や足がちぎれたり、頭部が飛び散ったりというグロテスクな表現を用いて、戦争の悲惨さ、そしてそれより、その場にいた兵士の心情が伝わってきた。

  

 英雄とは歴史の中で生まれてくる。しかし英雄を作るのは本人でなく周りの人々であるということ。望むと望まざるにかかわらず、英雄は無責任な周りの期待と評価、場合によっては罪の十字架さえ背負うことになる。戦争という歴史が、政府という組織が、こういった精神的被害者を数え切れないほど出してしまった、このことと向き合うこと。それが、教科書のなかでしか戦争を知らない私たちにとって、戦争を違う面からアプローチしていくきっかけになってくれるだろう。


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