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私の事
最後に卒業した学校の事 2000年、大手法律専門学校に入学し一人暮らしを始めた。 警察官を目指してやれば何とかなるだろうと想い必死に勉強した。 友人もできた。ごくありふれた学生生活。少しの熱があっても学校には行った。 栄養ドリンクとビタミン剤が毎日の日課となった。疲れて一週間に一回はは頭痛になる。 苦しかったが楽しかった。 インフルエンザにもなった43℃の熱をおして一キロを駅まで歩き 15分電車に乗って学校に行ったこともあった。 いま思えば無理はこのころからだったと思う。 朝は9時30分から夜は9時。 遅くて10時まで残った。 流石に体も疲れ・・・て来たので転居、学校から5分のワンルームに二年目に移る。 就職戦線異常あり 私は警察官を目出していた。 警察の試験は一次試験30倍はザラで不況のあおりで 突破は至難の業だった。 学校側では一年生は基本的に受けられないと していたが試しに戸籍所在地の警察の試験を受けた見た。 見事にこれは外れた。 二年生、ようやく本格的に試験を受けるようになった。 全国の警察の半分くらいは願書を出した。 ただ、同日実施があるのでなかなか全て受けられない。 15箇所くらい受けたと思う。 北は岩手から西は福岡。四国は徳島と 全国を飛び回った。 一次試験の合格率は3割。 これが私の公務員試験の成績。 正直なところ始めは一時なんて 受かるのかなあといった不安だらけ。 ただ、二次、三次と行ったが結局は全て陥落。 挙句の果てには福岡県警の試験官は 一次試験の結果すら出ていないのに 身体検査の最中に「君、失格」等と言ったりした。 こいつ本当に人の気持ちがわかるのかと思った。 岩手にも行った。 岩手県警の試験は2次まで残った。 寒い岩手山に雪が舞う時期に二次試験に向かった。 ラーメンをすすりながら「明日はやるぞ」と気合を入れた。 二次試験は警察学校で行われた。初めて本物の制服に袖を通した。 この制服を着て仕事をしたいとどんなに思ったことか。 帰り道、同じ試験を受けた人と顔見知りになった。 タクシーを割勘して駅に向かった。 試験先でのちょっとした人間関係。 帰りの電車。 東北新幹線・盛岡発東京行。 ほぼ各駅停車。 東海道新幹線・東京発新大阪行。 大阪に着くと11時15分くらいだった。 試験結果・・・・「残念ですが・・・」もう頭に来た。 卒業資格なし、眠れない日が続いた 私の行った学校は卒業資格として電卓と漢字検定を取得するようにしている。 しかし、苦手だった私は最後まで難関だった。 休日を返上して特訓に行ったりもした。 仮の卒業判定で不可となり、三日間眠れなかった。 しかし、運命のいたずらか 膨大な反省文を提出して何とかセーフ。 卒業できた。 だが、卒業の時点で私には警察官への道は約束されていなかった。 私はいわゆるいわゆる負け組み・・・だった。 後、一年何とか踏ん張れば・・・という事が私にできる全てだった。 しかし、2003年4月、私の体に異変が現れたのだった・・・。 |
