【コラム】
広がる絶対評価不振
| 完全週五日制が導入され、二年間の移行期間を経て新しいカリキュラムに変わった。 それに伴い評価の方法も大きく変わろうとしていた。つまり「相対評価」から「絶対評価」に変える動きである。 しかしこの変更が大きな波紋を広げつつある。 奈良、岐阜、三重県など三県が、高校入試の内申書に2002年度は絶対評価を使用せず、二・三年後経緯を観察する旨の発表をした。反対にこの時点ではっきり2002年度の入試から絶対評価の内申書に切り替える事を表明したのは、東京などわずかに5都県にすぎなかった。今後東京とを元21都道府県が「絶対評価」で記すことを決め、ほかに8県が加わる模様。一方大阪など10府県は「相対評価」を維持、二・三年後には絶対評価に切り替える予定。 このように評価方法を変える事で大きな波紋が広がっているのは事実である。 では、何故波紋が広がっているのか? ここでは大きく4つの観点から「絶対評価不振」の理由を述べたいと思う。 1点目は「絶対評価は悪平等」 これは極端に言うと「全員5」もありうる事に対する嫌悪感である。つまり100点満点の人間と60点の人間が同じ「5」を付けられてはたまらないという事である。 しかし絶対評価は到達度評価であり、明確に達成すべき目標があり、いくら努力したからといって、せいぜい”関心・意欲・態度”の評価で「A」になる程度である。全体の評価が「5」になる事はない。 2点目は「絶対評価は教師の主観によってバラつきが出る」 各教師に評価権が与えられている影響で、学校間・教師間で多少の差が出るのは当然である。しかし順位を示すしか出来なかった相対評価に比べ、生徒のおおよその到達度が計れる絶対評価の方が、学力のリアルな実態を映し出すのではないか? 3点目は「相対的な位置が分からない」 これは常に他人と比べる事しか出来なかった人間にとって大きな痛手となるだろう。 しかし絶対評価の真髄はここにある。他者との比較ではなく、それぞれの単元毎の観点別の評価を下すことこそ一番の狙いである。 集団の中での位置などにまったく問題ではない。学習意欲も目標への達成度も低い母集団の中で、いかにトップであってもあまり価値がない。それどころか井の中の蛙になりかねない。 4点目は「絶対評価は甘くなるのではないか?」 学力などを示さない今までの相対評価に比べると、学力の内容を明示できるだけに評価は厳密になる。しかし教師自身の教え方の評価にも直結するだけに、それを気にして本来の学習目標に対する到達度が低くてもよしとする傾向になる可能性がある。 この対策として教師相互のチェック体制や保護者の授業評価への参加など開かれた学校作りの支店を大幅に導入すべきである。 |