「余韻 8」 02.11.2 by F澤


 時間はもう少しで10時になりそうかというところ。休日の朝早く、みんなに会いたいという気持ちも強いがこんな時間からおしかけたら迷惑するだろう。それになんせ10年以上音沙汰なかったのだ。みんなびっくりして面食らうか、すっかり忘れてるかのどっちかだろう、たぶん。人気もまばらな泉野町懐かしい思い出がつまってる場所を確認したく思い、町を歩いてみることにした。雀谷川の流れに沿って歩く。僕が通っていた泉が丘保育園に通ずる道だ。帰り道にたまにジュースを買ってもらっていた酒屋はもうなくなっていた。みんなで山を作ったり、滑り台で遊んだりした通称三角公園という公園は遊具も増えてなく、木も真っ裸で楽しかった思い出とはうらはらに淋しげなだけだ。5歳くらいの子供がカイトで遊んでいる。曇天の空にけばけばしい原色色したカイトが舞っている。今ごろになって気づくが僕の住んでたマンションから保育園まではあるいて5分くらいの場所だ。大人になったからなのか?いや、たぶん違う。当時の僕は登園拒否児で保育園に行くのをワンワン泣いて嫌がっていたからだ。開け!ポンキッキのエンディングテーマが流れるくらいから涙腺はゆるみっぱなしで毎朝むだな抵抗を繰り返していた。保育園は狭い前庭にもうひとつプレハブが建っていて、メルヘンな外装は最近塗りなおしたのであろうまるでディズニーランドのようになっていた。背が一番低かったという理由で僕がテープカットをした隣接している運動場はそのままだった。その時母は「あんたテープカットするんだったら、写真撮ればよかった。」と後悔してたものだ。この運動場では園児が作った粘土細工を野焼きしたりして、夕方のニュースなどでテレビに映ったのを覚えてる。その時僕は大人ぶって兼六園の燈篭を作ったのだが、誰からも燈篭だと気づかれず、憤慨したのを覚えてる。それと当時大好きだった絵本ノンタンの作者がどういう経緯だか知らないが遠足に同行してくれて、新しい本書いてとねだったが、叶わずそのかわりにサイン色紙をもらったこと(その色紙はいまだに自分の部屋に飾ってある)寝つきが悪くてお昼寝が退屈で仕方なかったこと、人気番組ザベストテンを見てたので、毎週金曜はいつも遅刻していたが、素直に登園して松田聖子や河合奈保子、中森明菜らのアイドルの話を先生とすることが楽しみだったこと。図書室で絵本を読み漁ったことなど思い出がふくれあがってきた。保育園を後にして日本海からの湿った風をくらいながら歩く。山口君がすんでいたJRアパート跡地に行く。大どうりにでるとやはり当時と雰囲気が違う。よく通った絵本ショップチルクリでこそそのままだが、コンビニやファミレス、ガソリンスタンドなんかが増えている。JRアパート跡地は重厚な3階建ての図書館になっていた。自習室目当てであろう学生たちが開館をいまや遅しと列を連ねて待っている。午前10時を告げる鐘の音が鳴る。人ごみが一斉に動く。今日という一日が本格的に動いてるのを感じた。自分の今日がどうなるのかも知らずに。