秦野地理巡検ホームページ作成
はじめに
神奈川県立相模台工業高校の秦野地理巡検は
毎年11月に一年生全員が一日かけて秦野の各地を見て、聞いて体験学習するフィールドワークです。
昨年で36回目にもなった本校の伝統行事のひとつです。本校では「生徒に生きた地理を学ばせ、また地域を調べることによって少しでも郷土への関心を開かせることができたら」(創立20周年記念誌より)との目的で最初は希望者を集め7月の夏休みの時期に行われていました。現在では一年生全員で実施しています。 秦野を巡検の場所に選んだのは理由は、盆地としてまとまったブロックを形成しており、地理的には扇状地や水無川等の教材、たばこ・落花生・酒造りなどの産業に恵まれ、一日の行程としては格好のフィールドワークであったかです。
2、金井酒造店
金井酒造店は、1868年(明治元年)創業しました。以前と違って大変近代化が進んでいますが酒の造り方だけは当時のまま、全く変わっていません。酒造りをする人たちは遠く新潟県
から来た人達です。この人たちの指導者となる人を杜氏と呼んでいます。
杜氏さんたちは、その日の仕事を休んで私達のために、酒造りについて詳しく
説明してくれました。 学校の学習のなかで酒造りについて勉強したのですが、その実際を体験することによって一層わかるようになりました。 金井酒造では、酒造りに使う水は、丹沢の水を使っているそうです。秦野の水は「名水百選」に選ばれたほどのいい水です。
なぜ、秦野に造り酒屋があるのかが理解できました。 酒造りは日本の重要な伝統産業です。米がなぜ、酒になるのか不思議でしたが、学校での学習と金井酒造店での実地の学習で理解することができました。 杜氏さんの話の中で、一番驚いたのは酒をよく発酵させるために「モーツァルト」の音楽を酒に聞かしていることです。 このタンクの中には、米と米麹と水が入ってます。僕達が見たときは、ボコボコと発
酵してました。
このタンクの中には、一本1万円として、3000万円分の酒が貯蔵されています。
酒造りには、水・米・米麹さらには、温度・湿度なども大事な要素であることが分かりました。 オートメーション化が進む
中で、秦野の酒造りは人の手でゆっくりと丁寧に造られていることが分かりました。
3、水無川
この写真は、水無川です。地形図で学習したときは、名前のとおり水がないのだろうか、と不思議に思っていました。しかし、実際の川を見ますと、写真のように、普通の川のように、水が流れていました。なぜ、水があるのに「水無」というのか、疑問が残りました。 いろいろ調べる中で、次のようなことが分かりました。 本来この川のこの付近には、水がなかったそうです。ではなぜ、無いのか。それは、扇状地特有の砂礫のために、水が吸収されてしまっていたそうです。 現在、水が流れているのも、コンクリートで埋め尽くされて水が流れるようになったということです。

4、秦野の「タバコ」
タバコはもともと長崎から秦野に伝えられたそうです。1707年に富士山が爆発して秦野地方に火山灰が50cmも降ってから畑作が出来なくなって、タバコが本
格的に栽培されるようになりました。 その後秦野の住人加藤右衛門が全国にタバコの栽培方法を教え、技術的にいい秦野のタバコが全国に広まりました。
1984年秦野のタバコの生産は300年の歴史を閉じましたが、その名残が「秦野のタバコ祭り」にしのぶことができます。
5、断層登り
地理巡検の中でも最大のクライマックスがこの断層登りです。4万年かけてゆっくりと隆起した断層を一気に駆け上るのです。 地形図上では、平面ですのでピントこなかったのが、実際の断層を目の前にすると、4万年の地殻変動が実感できました。 さらに、先生から断層を一気に駆け上がると聞いた時には、「果たしてできるのか?」心配でした。 しかし、集団心理なのか、クラスみんなで一気に駆け上がることができました。一人の落伍者も無くできたことで、クラスの和がつくられたと思います。
6、秦野盆地一望
70mの断層登りを終えて、頂上のあたりで一休みをしているときの写真です。
ここは秦野盆地が一望できました。当日は天気にも恵まれ、すばらしい景色を見ることができました。 ただし、クラスのみんなは、断層を登った後なので、ちょっと疲れたというかホットしている様子でした。
7、震生湖
震生湖は、1923年の9月1日に起きた関東大震災の時にできた湖です。神奈川には多くの湖がありますが、そのほとんどが人工的に造られたものです。 例えば、相模湖・津久井湖・丹沢湖・宮ケ瀬湖などいずれも人為的に造った湖です。 この震生湖は神奈川県内では、数少ない自然湖なのです。 いったいどのどのようにして、地震で湖が誕生するのか、疑問でした。 しかし、現地へ行って観察するなかでそれが理解できました。当時、小さな沢があった所にこの写真の右にある土砂が崩れ、その沢をせき止めそれが湖となったのです。 湖のすぐ横にはゴルフ場があったのですが、そのゴルフ場は湖をせき止めた土砂が逆に無くなり、平地となり、ゴルフ場になっていました。

湖の中には、魚がいるようで、釣りをしている人もいました。
神奈川県にこんなすばらしい場所があるのをはじめて知りました。
8、摩羅塞(「マラセイ」と読む)
この写真がマラセイです。正直なところ町の真中に
このような石仏があるのには、驚きました。 なぜ、このようなものが町の真中にあるのか。その事情は次のようなものでした。 当時、この村には男の子が少なく、村の人々は男の子の誕生を願ってこのマラセイを造ったと言うことでした。 そのような村人の願い・祈りの象徴がこのマラセイだったのです。 また、秦野にはその他の石仏も多くありました。ここでは、紹介しませんでしたが巡検地の一つに秦野の石仏群があり、多くの石仏が保存されていました。それにしても、なぜ多くの石仏が秦野にあるのか、不思議に思いました。 先生から学んだり、自分達で調べる中で次のようなこ
とが分かりました。 一つには、大山の存在です。江戸時代以降「大山参り」が流行し、秦野が宗教的に大きな存在になったこと。巡検地の一つに、「大山道」の石碑がありますが、その石碑の存在は、当時の秦野が大山参りの人でにぎわった証拠です。 科学技術が発達した現在においても、このような昔からのものを地域が大事に守っている姿を巡検を通してみるこができました。
自分が住む地域にも何かあるのではないかと思い、次に調べようと思いました。
9、弘法の清水
弘法の清水とは、丹沢に降った雨水が湧水として湧き出ているものです。年間を通して常に16度の水温を保っています。 この清水は、言い伝えによると、弘法さんが杖を突いたら水が出てきたそうです。弘法というのは、平安時代の空海というお坊さんの名前です。 巡検では、この清水から1分間にどれぐらいの水が
湧き出ているのか調べました。2人でバケツに水を交互に入れてその量を測りました。約10杯分の水の量となりました。 一方で名水百選もかつて、工場廃水により汚染が問題となりました。しかし、秦野市はかつての名水を復活させるために地下水を浄化する事業に取り組んでいます。近い将来秦野の水を安心して飲める日が来ることを願いたいと思います。
まとめ
朝小田急線の「渋沢駅」に集合し、終了したのが夕方になっていました。途中、テクノパークを見学したり、櫻土手古墳で1500年以上も前の墓を見学したりしま
した。 酒造りの見学や、断層登りなどいろいろな体験をすることが出来ました。 自分で調べて、現地で学習することが身に付く学習であることが分かりました。 最初は、なぜ秦野になんていくのか疑問もありましたが、巡検地をまわるなかで、秦野がいろいろと複合的な町であることが分かりました。
これをもとにして、自分の身の周りの地域にもっと目を向けてみたいと思いました。