2.現在の巡検計画

@意義・目的
 「野外巡検」「野外調査」は、研究者が研究を試みる地域に直接出かけ、見たり聞いたりして、自分の研究しようとするテーマにあう正確な研究資料を収集・調査するフィールドワークのことで、「机上研究」に対する言葉である。野外調査は地理学・歴史学・民俗学・宗教学・文化人類学・社会学等においてはもっとも基本的な方法・態度の一つであり、野外で観察して得られた地域の諸事象に関する知識はこれらの学問にとって基礎となるものである。
 現在、学校における教科学習はやはり机上における学習が中心である。教師の側から見れば「導入・提示」・「学習作業」・「総括・応用」・「評価」の教授段階全てが教室の中においてなされ、生徒はたとえ「断層」といった用語を学習しても現地でそれを目にする事はできない。そこで写真・スライド・ビデオなどの視聴覚教材が重宝される訳である。生徒諸君には大きな想像力と応用力が期待される。しかし、周辺に断層崖があればそれを見せるべきである。登るべきである。机上において得られた知識は、実地における調査・観察によって検証され、訂正されていかなければならない。野外は社会科はもちろん教科を越えた教材の宝庫である。物事を探求して行こうという態度とそれに必要な観察力・思考力・判断力を養うにはフィールドに出ることが大切である。
 本校社会科の現在のカリキュラムは1年次「地理A」(2単位)、2年次「世界史A」(2単位)、3年次「倫理」(2単位)・「政治経済」(2単位)となっている。秦野巡検は「地理」の授業の一貫として現在行っているが、そこで得られた知識・体験は科目の枠を越えた学際的なものである。そこで、この報告書は地理学習・歴史学習・倫理学習・政治経済学習といった別々の視点から編集したつもりである。
 最後に、秦野盆地をフィールドとしている理由をまとめておきたい。
1)ほとんどの生徒にとって未知の土地(1学年に数人の出身者はいるが)であ り、なおかつあまり遠くない(相模大野から約35分)。社会科巡検のような 野外での学習は日常から離れ非日常の意識を生徒集団に持たせることで教育効 果が違うものである。
2)秦野盆地は地形的にも社会経済的にも 1 つのまとまったブロックを形成し ており、歴史的なもの伝統的なものもある程度保存されている。また、東京・ 横浜といった大都市も近い。地形を始めとした自然的条件と人間の諸活動の成 立や変化を学ぶ上でこの上ない好適地である。


A教室における授業計画と準備

1)〜9月:5万分の1八王子地形図を利用して地形図の読図作業(縮尺・等高 線・記号・断面図の作成等)と相模原を中心に大地形・小地形の学習を行う。
2)10月〜11月:2万5千分の1秦野地形図を利用して地形図の読図作業と 秦野盆地の地形(扇状地・断層とプレートテクトニクス等)を学習し、地下水 をキーワードに地域の産業を学習する。
3)下見・あいさつは数回にわたり行い、巡検先だけでなく秦野市役所・農協・ 教育研究所などでも資料収集を行う。

B 実施概要

1)実施時期
  11月下旬の3日間に行う。例年気候が安定する時期で、秋晴れが続き、野 外における活動に適している。また、期末試験の直前で、生徒の参加意欲も比 較的高くなる。
 
2)実施形態
  基本的にはクラス毎に1日かけて野外授業を行う。1クラスにつき教科担当 1名・クラス担任1名が引率教員である。教科担当は前でクラスを掌握しなが らポイント毎に授業を行う。また、クラス担任には後ろからの生徒掌握をお願 いしている。
  特別講師に説明して頂くポイントでは当日参加全クラスが一堂に会しての授 業となるので、一日の最大実施クラス数は3クラスまでとしている。従って、 一学年7クラスを3クラス・2クラス・2クラスと3つに分割して3日間の予 定で行っている。

3)持ち物・服装等
  巡検の手引き(サブノート)・2万5千分の1地形図・バインダー(下敷き) ・筆記用具・お弁当、服装は汚れてもよい私服、靴は運動靴。

4)引率教員
  引率教員は教科担当・クラス担任・教科からの付き添い・希望者である。教 科担当は一学年の持ちクラス分の日数参加する。つまり、3クラス担当してい る教員は3日間歩くことになる。

5)特別講師
  以下の5人の方が長年にわたりボランティアで特別講師を引き受けて下さっ ている。感謝の念に耐えない。
  ・牧嶋落花生店さん(渋沢駅前)
  ・金井酒造店さん(堀山下)と 杜氏 内山 正さん(新潟県越路町)
  ・和田 英雄さん(平沢)
  ・和田 義男さん(平沢)………親子二代にわたっての特別講師である。
  ・綾部 正文さん(今泉)
  また、以下の方々のお世話になっている。
  ・出雲大社秦野分院結婚式場(平沢)………昼食時のトイレ借用
・臼井戸(弘法清水)前の高橋さん(尾尻)………水量測定用バケツの保管

6)評価
  評価は2回に分けて行う。1回目は2学期末試験である。試験範囲は巡検当 日学習した内容を中心に2学期後半の学習内容全般である。2回目は冬休み明 けのレポート提出である。社会科としてはこのレポートを特に重視して評価し ている。研究発表として比較的レベルの高いものを資料として巻末に付してお いた。このレポートは学年成績に多分に反映される。

C 巡検コース
 
1)集合ポイント:小田急線渋沢駅
   バス路線から見た地域のつながり、南口と北口の町並み、盆地の地形、丹  沢山地、秦野名産落花生について(牧嶋落花生店)
2)テクノパーク
 工業団地のひろがり、扇状地の扇央地区の土地利用と火山灰
3)桜土手古墳群
 古墳文化と古代の歴史
4)工業団地(日産車体・日立製作所・神戸製鋼など)
   工業団地形成の要因
5)「大山道」道しるべ
   大山信仰・丹沢の修験道など山岳宗教について
6)金井酒造
   杜氏さんの説明と酒造り見学
7)水無川
   扇状地と水無川
8)昼食ポイント:御獄神社
   村の鎮守、扇状地の扇端地区と地名
9)一件目の和田さん(和田英雄さん)宅
   扇端地区の人々の暮らしと被圧地下水(自噴井)について
10)二件目の和田さん(和田義男さん)宅
 平沢地区の歴史、かつての秦野名産たばこについて、被圧地下水
11)バスロータリー(平沢1324)の石仏
 道祖神、庚申供養塔、地神塔について
12)寺井の西光寺前
 加藤某のたばこ作り顕彰碑
13)渋沢断層
   崖下から見た断層の様子、断層の直登
14)大磯丘陵221.1メートル三角点付近
 相模湾の眺望(大島・江ノ島)、プレートテクトニクス
15)関東大震災慰霊碑
   盆地の全体像とコースの確認、大磯丘陵の土地利用、慰霊碑について
16)休憩ポイント:震生湖
 関東大震災と震生湖
17)白笹稲荷神社
 扇端の湧水、稲荷信仰と信仰圏の調査
18)今泉の道祖神「マラセエ」
   道祖神信仰と道祖神の祭り
19)綾部さん宅
 かつての秦野名産カーネーション作りと都市近郊農業の変遷
20)今泉大岳院
 湧水池とその土地利用の変遷、今泉地区の歴史
21)尾尻の臼井戸
   弘法清水について、地下水量の測定、地下水面の標高確認
22)解散ポイント:小田急線秦野駅   

 以上、全行程約15qである。なお、現在の巡検コースは1993年(平成5年)に桜土手古墳群を加えてから変更されていない。
D 地図




3.秦野盆地の地形と地下水の学習

秦野地理巡検における地形学習のポイントは、雄大に連なる丹沢の山々の成り立ちと、そのふもとに広がる盆地の形成要因、渋沢断層の活動経過と渋沢丘陵の成立過程、関東大震災と震生湖の形成要因、などである。丹沢山地については、まず、渋沢駅北口のパノラマ図を利用して解説する。秦野盆地については、盆地内を歩きながら、扇状地の傾斜や河川の様子などを学ぶ。渋沢断層については、断層崖の直登によって、そのエネルギーの大きさを肌で感じてもらう。震生湖に関しては、実際に崩壊した崖を見ながら、当時の地震の大きさが想像できるように配慮しながら解説する。地下水に関しては、実際に水温の計測や、湧出量の測定をしながら、地下水のメカニズムについて解説する。
@ 秦野盆地の概要
 秦野盆地は、東・北・西を丹沢山地に、南側を渋沢断層によって切られた渋沢丘陵(大磯丘陵)によって囲まれた、東西約6q・南北約4qの断層角盆地である。 盆地内には、西側に四十八瀬川、中央部を水無川、東部を葛葉川と金目川、南縁の渋沢断層沿いに室川が流れている。四十八瀬川は南西に流路をとり酒匂川と合流する。
葛葉川は国道246号線の新九沢橋付近で、水無川と室川は河原町付近で、それぞれ金目川に合流する。金目川はやがて渋沢丘陵の東端を抜けて花水川となって相模湾へと流入する。


 図−1秦野市の地勢
 〈名水秦野盆地湧水群の復活に向けて〉より


A 丹沢山地と秦野盆地の形成
(1)丹沢山地
 丹沢山地は、東西に約40q、南北に約20qで、神奈川県の約6分の1の面積を占めている。中央部には、県内最高峰の蛭ヶ岳(1673m)を始めとして、丹沢山・大室山・塔ヶ岳などの主峰が続く。また、大山は丹沢山地の東部に位置する独立峰で、古くから信仰の対象とされた。 この丹沢山地の形成過程をプレートテクトニクス理論によって説明すると次のようになる。
 約800万年前頃、現在の丹沢や伊豆半島は南の火山島であった。これらの火山島が乗っているフィリピン海プレートが徐々に北上し、ユーラシアプレートの下へ沈み込むと、約500万年前頃に丹沢が本州の南端に衝突。丹沢は本州の下に沈み込めずに関東山地と丹沢の間に海ができて多くの礫が堆積した。
 約300万年前頃、フィリピン海プレートは、丹沢の南側で沈み込みを始め、深い海を形成して行く。約100万年前頃、伊豆半島が衝突。この衝突によって丹沢は隆起し、山地を形成していった。 現在、フィリピン海プレートは、1年間で約5〜6pのスピードで移動して相模トラフと駿河トラフで沈み込み、足柄付近では、衝突による隆起を続けている。
                                                                                         

図−2日本付近のプレート境界図
 〈新・神奈川県の地理〉より

(2)秦野盆地
 
 約40万年前頃、丹沢山地からは、古水無川や古葛葉川・古金目川などが盛んに砂礫を流出させ、山地の出口を要とする扇形の地形を作り出した。これらの地形は、複雑に重なり合って
形成された複合扇状地である。この頃、渋沢丘陵はまだ形成されていなかったので、古水無川は震生湖付近から中井町を経て古酒匂川と合流して古相模湾に流入していた。震生湖付近の市木沢には、この時の古水無川の流路と推定される礫層が随所に露出している。  また、約40万年前から、箱根火山や長野県の御岳火山・富士山・鹿児島県の姶良火山な
どの噴火活動により数種類のローム層が堆積した。 約4万年前頃になると、現在の室川の流路に沿って、渋沢断層が活動を始め、渋沢丘陵が隆起して、秦野盆地が形成され始めた




図−3秦野盆地の地形概略図
 〈新・神奈川県の地理〉より


この地殻変動により、古四十八瀬川や古水無川は次第に 東へ流路をとるようになった。しかし、3〜2万年前頃は、渋沢断層の活動は尾尻付近にまで及んでいなかったので、古水無川は、尾尻から西大竹を通って中井町井ノ口より葛川へ流れていたと推測される。渋沢断層は、その後も活動を続け、渋沢丘陵と秦野盆地をはっきりと区分した。さらに、渋沢丘陵の隆起に伴って、断層崖下に沿って室川が誕生した。現在、平沢付近では盆地と丘陵との変位差は約70mに達している。また、国道246号線の新九沢橋付近から秦野盆地のほぼ中央を東西に走る秦野断層や国府津から大井町、松田町へと続く国府津松田断層などもほぼ同時期に活動したと推定される。

B 震生湖
 平沢から渋沢断層を登ると、南側に1923年9月1日の関東大震災の時に形成された日本で最も新しい自然湖である震生湖がある。
 これは、地震の際に藤沢川上流の市木沢最上流部が幅約200mにわたって崩壊し、その土砂によって沢がせき止められて形成されたものである。現在、ゴルフ練習場となっている北側の絶壁が当時崩壊した跡であるといわれている。
 湖は、周囲1018m、最深部15m、平均水深4m、北西部の主湖盆と南東部の副湖盆から成っている。
 地震研究でこの地を訪れた物理学者の寺田寅彦は「山裂けて 成しける池や 水すまし」という句を詠んだ。この句は現在、湖の畔に句碑として残されている。また、彼は「天災は 忘れたころに やってくる」という警句も残している。

C 複合扇状地
 秦野盆地は、地形の上から見ると、葛葉川・金目川・水無川のつくる複合扇状地として、模式的な扇状地地形を見ることができる。
 大倉複合扇状地は、西側の四十八瀬川、中央の水無川、北部の葛葉川によって形成されたものである。一方、金目川扇状地は、金目川によって形成されたものである。
 各河川が形成した扇状地は、その後の海水準変動などで段丘化し、下末吉面に相当する上位段丘と、立川面に相当する下位段丘とが形成されている。上位段丘は、葛葉川、金
目川の合流する、くずは台団 地付近と金目川左岸の国立療 養所付近の2カ所で、残りは すべて立川面相等の下位段丘になっている。また、盆地内では、扇状地特有の地形や現
象が見られる。水無川は扇央部では伏流して地下を流れ、先端部でいくつもの湧水となって地表面に現れ、その周辺に集落が形成されてきた。 盆地の地下は約200mほどのローム層や礫層などの空隙率の大きな地層でできていて、その下には、基盤となる水を通しにくい緑色凝灰岩(グリーンタフ)の層があるため、盆地の地下は、天然の水瓶となっている。






図−4秦野盆地の扇頂・扇央・扇端
〈名水秦野盆地湧水群の復活に向けて〉より

D 地下水とその利用
 扇端部の湧水は海抜80〜100m付近で見られる。秦野の集落はこれらの水源を中心として発達してきた。
海抜80mでは、尾尻の弘法清水、海抜100mでは、今泉・平沢などの室川周辺や曾屋神社付近などに多くの湧水が見られる。
これらの水を利用して水田が作られたり、今泉では養魚場が設けられていた。特に弘法清水は全国名水百選にも選ばれ、毎分64リットルの水を湧出している。また、曾屋神社の崖下の湧水を利用して1890年に、横浜・函館に次いで日本で3番目の簡易陶管水道が引かれ地域住民のために利用されてきた。これは、1879年に秦野地域でコレラが大流行し、25名が死亡。原因が用水路の水にあったことから水道の必要性が提起され、建設に至った。今日では、神社の南側に百数十mの横井戸を掘り、一日約6000tの水を水道に送っており、その他のものを含めて、水道水全体の約65%を地下水でまかなっている。
 しかし、人口増加や工業用水の利用の増加により地下水の汲み上げ量が増加したため、近年地下水位が低下してきた。
このため秦野市では、1975年度から地下水利用協力金制度を実施し、地下水の人工涵養に取り組んでいる。この制度は、「秦野地下水の保全及び利用の適正化に関する要綱」により、20m3/日以上の地下水利用事業者に対して地下水利用協力金を納入する義務を課したもので、1995年現在1m3当たり20円の納入を課している。

E 地下水の人工涵養
 秦野市では、地下水の保全対策の一環として、3通りの人工涵養策が行われている。1つは、深井戸を利用した注水で、1976年に戸川地区に秦野市水道1号注水井を設置した。これは、神奈川県温泉地学研究所の堀山下注水井で、深井戸からの地下水人工涵養の実験が行われ好結果を得たことからすすめられた。また、2つ目の対策として、同地区の水田を使った人工涵養も実施した。(毎年冬の間、農業用水から水を引き入れ、水田に水を張って地下水の涵養を行っている。)1977年には、秦野市水道2号注水井が作られた。これは、兜s二家の工場が冷却水として使用した後の温排水を地下に注水する井戸で、水質検査の結果「飲料にてきする」との結果を得ているが、万一の場合を考えて、ろ過・塩素滅菌を行っている。3つ目の対策として、1982年から、秦野盆地に降る年間1700mmの降水を利用した人工涵養が開始された。この方法は、住居・公共施設・工場等の屋根に降った雨水を集め、浸透井を通して人工涵養を図るものであるが、一つの装置からの涵養量が小さいこと、目づまりが起きやすいこと、涵養効果の高い地域に限定されること、浸透水の水質に留意する必要があることなどいくつかの課題を抱えている。しかし、年間を通じて比較的安定した涵養量が期待でき、目づまりの防止対策を含めて、簡便で経費がかからないなどから、今後、秦野盆地の地下水の有効な涵養源となることが期待されている。

F 地下水汚染対策
 1989年1月、すでに全国名水百選にも選ばれていた「秦野盆地湧水群」の代表的湧水「弘法の清水」が、テトラクロロエチレンという化学物質に汚染されていることがわかった。秦

  野市では、全市的に地下水の概況調査を行い、汚染範囲を把握するとともに、生活用井戸水が汚染された家庭については水道への切り替え工事を行い飲用に際しての注意を促した。同年10月に地下水汚染対策審議会を組織し、地下水汚染の仕組みを解明する調査を進め、地下の構造や汚染地下水の経路が明らかになってきた。1994年には、秦野市地下水汚染の防止及び浄化に関する条例を制定し、全国で初めて条例に基づいた調査と浄化対策を進めてきた。これまでに、地中から回収した汚染物質の総量は、13,300sを超え、浄化事業が行われた汚染地直下にある地下水は急速に改善されてきた。
  さらに、1996年度から全国初の試みとして、汚染された地下水を揚水し、洗浄処理した水を下流の地下水脈に地中還元する地下水の人工透析を開始した。人工透析による浄化は、汲み上げた地下水を空気にさらし、有機溶剤を気化させた後、活性炭に吸着させて浄化させる方法である。
 テトラクロロエチレンは、地下水を汲み上げた直後では0.066r/gで環境基準(0.01r/g)の6.6倍となっているが、人工透析装置を通過後には、汚染物質は検出されていない。秦野市では、今後さらに地下水の水循環を早めるための事業を計画している。

 *テトラクロロエチレン/トリクロロエチレン
  それぞれ、パークロ・トリクロの通称で呼ばれ、ドライクリーニングやメッ キ工場、半導体工場で使われている。この二種に限らず有機溶剤による健康被 害は労働災害として多くの報告があり、体内に蓄積して、肝臓・腎臓障害や中 枢神経障害を起こすほか、極微量でも、ガンを引き起こす疑いもあるため、使 用には細心の注意が必要である。厚生省は1983年秋から家庭用への使用禁 止を決めた。環境庁の調べによれば、全国の地下水にこれらの有機塩素化合物 の汚染が広がりつつある。(現代用語の基礎知識より)


参考文献:「新・神奈川県の地理」
        (神奈川県高等学校教科研究会社会科地理部会)
     「日本の自然と土地利用 V 関東」(全国国土調査協会)
    「1997年度版 秦野の環境」(秦野市環境保全課)
     「名水秦野盆地湧水群の復活に向けて」(秦野市環境部)
     「公害対策の概況1995年版」(秦野市環境部)

     【 山中 正道】