3.秦野盆地の地形と地下水の学習

秦野地理巡検における地形学習のポイントは、雄大に連なる丹沢の山々の成り立ちと、そのふもとに広がる盆地の形成要因、渋沢断層の活動経過と渋沢丘陵の成立過程、関東大震災と震生湖の形成要因、などである。丹沢山地については、まず、渋沢駅北口のパノラマ図を利用して解説する。秦野盆地については、盆地内を歩きながら、扇状地の傾斜や河川の様子などを学ぶ。渋沢断層については、断層崖の直登によって、そのエネルギーの大きさを肌で感じてもらう。震生湖に関しては、実際に崩壊した崖を見ながら、当時の地震の大きさが想像できるように配慮しながら解説する。地下水に関しては、実際に水温の計測や、湧出量の測定をしながら、地下水のメカニズムについて解説する。
@ 秦野盆地の概要
 秦野盆地は、東・北・西を丹沢山地に、南側を渋沢断層によって切られた渋沢丘陵(大磯丘陵)によって囲まれた、東西約6q・南北約4qの断層角盆地である。 盆地内には、西側に四十八瀬川、中央部を水無川、東部を葛葉川と金目川、南縁の渋沢断層沿いに室川が流れている。四十八瀬川は南西に流路をとり酒匂川と合流する。
葛葉川は国道246号線の新九沢橋付近で、水無川と室川は河原町付近で、それぞれ金目川に合流する。金目川はやがて渋沢丘陵の東端を抜けて花水川となって相模湾へと流入する。


 図−1秦野市の地勢
 〈名水秦野盆地湧水群の復活に向けて〉より


A 丹沢山地と秦野盆地の形成
(1)丹沢山地
 丹沢山地は、東西に約40q、南北に約20qで、神奈川県の約6分の1の面積を占めている。中央部には、県内最高峰の蛭ヶ岳(1673m)を始めとして、丹沢山・大室山・塔ヶ岳などの主峰が続く。また、大山は丹沢山地の東部に位置する独立峰で、古くから信仰の対象とされた。 この丹沢山地の形成過程をプレートテクトニクス理論によって説明すると次のようになる。
 約800万年前頃、現在の丹沢や伊豆半島は南の火山島であった。これらの火山島が乗っているフィリピン海プレートが徐々に北上し、ユーラシアプレートの下へ沈み込むと、約500万年前頃に丹沢が本州の南端に衝突。丹沢は本州の下に沈み込めずに関東山地と丹沢の間に海ができて多くの礫が堆積した。
 約300万年前頃、フィリピン海プレートは、丹沢の南側で沈み込みを始め、深い海を形成して行く。約100万年前頃、伊豆半島が衝突。この衝突によって丹沢は隆起し、山地を形成していった。 現在、フィリピン海プレートは、1年間で約5〜6pのスピードで移動して相模トラフと駿河トラフで沈み込み、足柄付近では、衝突による隆起を続けている。
                                                                                         

図−2日本付近のプレート境界図
 〈新・神奈川県の地理〉より

(2)秦野盆地
 
 約40万年前頃、丹沢山地からは、古水無川や古葛葉川・古金目川などが盛んに砂礫を流出させ、山地の出口を要とする扇形の地形を作り出した。これらの地形は、複雑に重なり合って
形成された複合扇状地である。この頃、渋沢丘陵はまだ形成されていなかったので、古水無川は震生湖付近から中井町を経て古酒匂川と合流して古相模湾に流入していた。震生湖付近の市木沢には、この時の古水無川の流路と推定される礫層が随所に露出している。  また、約40万年前から、箱根火山や長野県の御岳火山・富士山・鹿児島県の姶良火山な
どの噴火活動により数種類のローム層が堆積した。 約4万年前頃になると、現在の室川の流路に沿って、渋沢断層が活動を始め、渋沢丘陵が隆起して、秦野盆地が形成され始めた




図−3秦野盆地の地形概略図
 〈新・神奈川県の地理〉より


この地殻変動により、古四十八瀬川や古水無川は次第に 東へ流路をとるようになった。しかし、3〜2万年前頃は、渋沢断層の活動は尾尻付近にまで及んでいなかったので、古水無川は、尾尻から西大竹を通って中井町井ノ口より葛川へ流れていたと推測される。渋沢断層は、その後も活動を続け、渋沢丘陵と秦野盆地をはっきりと区分した。さらに、渋沢丘陵の隆起に伴って、断層崖下に沿って室川が誕生した。現在、平沢付近では盆地と丘陵との変位差は約70mに達している。また、国道246号線の新九沢橋付近から秦野盆地のほぼ中央を東西に走る秦野断層や国府津から大井町、松田町へと続く国府津松田断層などもほぼ同時期に活動したと推定される。

B 震生湖
 平沢から渋沢断層を登ると、南側に1923年9月1日の関東大震災の時に形成された日本で最も新しい自然湖である震生湖がある。
 これは、地震の際に藤沢川上流の市木沢最上流部が幅約200mにわたって崩壊し、その土砂によって沢がせき止められて形成されたものである。現在、ゴルフ練習場となっている北側の絶壁が当時崩壊した跡であるといわれている。
 湖は、周囲1018m、最深部15m、平均水深4m、北西部の主湖盆と南東部の副湖盆から成っている。
 地震研究でこの地を訪れた物理学者の寺田寅彦は「山裂けて 成しける池や 水すまし」という句を詠んだ。この句は現在、湖の畔に句碑として残されている。また、彼は「天災は 忘れたころに やってくる」という警句も残している。

C 複合扇状地
 秦野盆地は、地形の上から見ると、葛葉川・金目川・水無川のつくる複合扇状地として、模式的な扇状地地形を見ることができる。
 大倉複合扇状地は、西側の四十八瀬川、中央の水無川、北部の葛葉川によって形成されたものである。一方、金目川扇状地は、金目川によって形成されたものである。
 各河川が形成した扇状地は、その後の海水準変動などで段丘化し、下末吉面に相当する上位段丘と、立川面に相当する下位段丘とが形成されている。上位段丘は、葛葉川、金
目川の合流する、くずは台団 地付近と金目川左岸の国立療 養所付近の2カ所で、残りは すべて立川面相等の下位段丘になっている。また、盆地内では、扇状地特有の地形や現
象が見られる。水無川は扇央部では伏流して地下を流れ、先端部でいくつもの湧水となって地表面に現れ、その周辺に集落が形成されてきた。 盆地の地下は約200mほどのローム層や礫層などの空隙率の大きな地層でできていて、その下には、基盤となる水を通しにくい緑色凝灰岩(グリーンタフ)の層があるため、盆地の地下は、天然の水瓶となっている。






図−4秦野盆地の扇頂・扇央・扇端
〈名水秦野盆地湧水群の復活に向けて〉より

D 地下水とその利用
 扇端部の湧水は海抜80〜100m付近で見られる。秦野の集落はこれらの水源を中心として発達してきた。
海抜80mでは、尾尻の弘法清水、海抜100mでは、今泉・平沢などの室川周辺や曾屋神社付近などに多くの湧水が見られる。
これらの水を利用して水田が作られたり、今泉では養魚場が設けられていた。特に弘法清水は全国名水百選にも選ばれ、毎分64リットルの水を湧出している。また、曾屋神社の崖下の湧水を利用して1890年に、横浜・函館に次いで日本で3番目の簡易陶管水道が引かれ地域住民のために利用されてきた。これは、1879年に秦野地域でコレラが大流行し、25名が死亡。原因が用水路の水にあったことから水道の必要性が提起され、建設に至った。今日では、神社の南側に百数十mの横井戸を掘り、一日約6000tの水を水道に送っており、その他のものを含めて、水道水全体の約65%を地下水でまかなっている。
 しかし、人口増加や工業用水の利用の増加により地下水の汲み上げ量が増加したため、近年地下水位が低下してきた。
このため秦野市では、1975年度から地下水利用協力金制度を実施し、地下水の人工涵養に取り組んでいる。この制度は、「秦野地下水の保全及び利用の適正化に関する要綱」により、20m3/日以上の地下水利用事業者に対して地下水利用協力金を納入する義務を課したもので、1995年現在1m3当たり20円の納入を課している。

E 地下水の人工涵養
 秦野市では、地下水の保全対策の一環として、3通りの人工涵養策が行われている。1つは、深井戸を利用した注水で、1976年に戸川地区に秦野市水道1号注水井を設置した。これは、神奈川県温泉地学研究所の堀山下注水井で、深井戸からの地下水人工涵養の実験が行われ好結果を得たことからすすめられた。また、2つ目の対策として、同地区の水田を使った人工涵養も実施した。(毎年冬の間、農業用水から水を引き入れ、水田に水を張って地下水の涵養を行っている。)1977年には、秦野市水道2号注水井が作られた。これは、兜s二家の工場が冷却水として使用した後の温排水を地下に注水する井戸で、水質検査の結果「飲料にてきする」との結果を得ているが、万一の場合を考えて、ろ過・塩素滅菌を行っている。3つ目の対策として、1982年から、秦野盆地に降る年間1700mmの降水を利用した人工涵養が開始された。この方法は、住居・公共施設・工場等の屋根に降った雨水を集め、浸透井を通して人工涵養を図るものであるが、一つの装置からの涵養量が小さいこと、目づまりが起きやすいこと、涵養効果の高い地域に限定されること、浸透水の水質に留意する必要があることなどいくつかの課題を抱えている。しかし、年間を通じて比較的安定した涵養量が期待でき、目づまりの防止対策を含めて、簡便で経費がかからないなどから、今後、秦野盆地の地下水の有効な涵養源となることが期待されている。

F 地下水汚染対策
 1989年1月、すでに全国名水百選にも選ばれていた「秦野盆地湧水群」の代表的湧水「弘法の清水」が、テトラクロロエチレンという化学物質に汚染されていることがわかった。秦

  野市では、全市的に地下水の概況調査を行い、汚染範囲を把握するとともに、生活用井戸水が汚染された家庭については水道への切り替え工事を行い飲用に際しての注意を促した。同年10月に地下水汚染対策審議会を組織し、地下水汚染の仕組みを解明する調査を進め、地下の構造や汚染地下水の経路が明らかになってきた。1994年には、秦野市地下水汚染の防止及び浄化に関する条例を制定し、全国で初めて条例に基づいた調査と浄化対策を進めてきた。これまでに、地中から回収した汚染物質の総量は、13,300sを超え、浄化事業が行われた汚染地直下にある地下水は急速に改善されてきた。
  さらに、1996年度から全国初の試みとして、汚染された地下水を揚水し、洗浄処理した水を下流の地下水脈に地中還元する地下水の人工透析を開始した。人工透析による浄化は、汲み上げた地下水を空気にさらし、有機溶剤を気化させた後、活性炭に吸着させて浄化させる方法である。
 テトラクロロエチレンは、地下水を汲み上げた直後では0.066r/gで環境基準(0.01r/g)の6.6倍となっているが、人工透析装置を通過後には、汚染物質は検出されていない。秦野市では、今後さらに地下水の水循環を早めるための事業を計画している。

 *テトラクロロエチレン/トリクロロエチレン
  それぞれ、パークロ・トリクロの通称で呼ばれ、ドライクリーニングやメッ キ工場、半導体工場で使われている。この二種に限らず有機溶剤による健康被 害は労働災害として多くの報告があり、体内に蓄積して、肝臓・腎臓障害や中 枢神経障害を起こすほか、極微量でも、ガンを引き起こす疑いもあるため、使 用には細心の注意が必要である。厚生省は1983年秋から家庭用への使用禁 止を決めた。環境庁の調べによれば、全国の地下水にこれらの有機塩素化合物 の汚染が広がりつつある。(現代用語の基礎知識より)


参考文献:「新・神奈川県の地理」
        (神奈川県高等学校教科研究会社会科地理部会)
     「日本の自然と土地利用 V 関東」(全国国土調査協会)
    「1997年度版 秦野の環境」(秦野市環境保全課)
     「名水秦野盆地湧水群の復活に向けて」(秦野市環境部)
     「公害対策の概況1995年版」(秦野市環境部)

     【山中 正道】