![]() 改造甲殻類計画 |
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今回はチタン製の板を体に埋め込んで、曲がった肋骨を押し上げて矯正する手術。 板は2年後に再度手術をして取り外す予定だ。 手術前日。 旅行に行くぐらいの気分で病院へ。 検査の連続で針の餌食に。 動脈血採取なのだが、動脈は生命を維持する上で静脈よりも重要なため、体の内部深くにある。 左手首に3回、右手首に1回、針を刺された上に、動脈を探して針をぐりぐりと捻られひどく痛い。 しかし4度も刺されて動脈血は採取出来なかった。プロの看護士でさえも手こずるらしい。 今度は医師がやってきた。 どうするのかと思えば、足の付け根から採取するなどと言いだした。 足の付け根など、針に刺されるのは初めてなわけで5度目の針に気分が悪くなった。 それ以前にも2本ほど針のお世話になっていた。1日にこれほど刺されたことなどない。 明日手術だ。 恐れることはない。すぐによくなるだろう。 早めに就寝した。 腸の洗浄をするために手術前に浣腸をすることを知っている人も多いだろう。 しかしこれでひどい吐き気におそわれる。 術前からしんどいことばかりだ。 名前を呼ばれた。患者の取り違えを防ぐために、名前入りのリストバンドを取り付ける。 いよいよだ。患者を搬送する台に寝て手術室まで。 にわかに高まる緊張感。安定剤を飲んでいるのだが効き目は薄い。 手術室。ドラマなどでも何かとよく見かける、あのライト。これが目に入った瞬間、痙攣するような震えが始まった。 私自身は眠っているだけだが、これから体にメスを入れて金属板を入れるのかと思うと恐ろしくてたまらなくなった。 だが引くことなど出来ない。決心。 術後に使う麻酔のために、背中に1針刺してから全身麻酔にかかった。 成功を祈る。 どれほどかかったのかは分からない。 術後、病室に戻る際に起こされて気が付いた。 うまくいったと聞かされた。 わずかな力を振り絞って何本の板を入れたのかと尋ねた。 2本。 予定では1本、あまりうまく矯正できなければもう1本であったので、思ったより骨の歪みが強かったようだ。 それを聞いたすぐ後にもう一度、気を失うように眠りに就いた。 眠っていたためにほとんど記憶がない。 わずかに目を覚ましたときに、自分の体がどうなったのかが気になった。 しかし、胸には何か胸を保護するような物が取り付けられていて確認は全く出来なかった。 背中から注入する痛み止めのしての麻薬。痛みを感じた際に押すと適量が出される仕組みのスイッチ、これが自分の右手に握られていた。 だが、痛くはない。麻薬がしっかり効いているのだろう。体全体の感覚自体あまりないので、違和感があるような気もするがよく分からない。 相変わらず胸がどうなったのか分からない。 ただ、意識ははっきりしてきた。 痛みを感じた。しかしそれは胸ではなかった。肘の関節だった。 どうやら24時間以上も腕を伸ばしたままであったために筋肉が緊張してしまったのか、あるいは伸びすぎてしまったらしい。 ただ伸ばしているだけでも痛くなることを知らなかった。 肘を90度曲げて腹に置き、祈るような姿勢でこの日も1日が過ぎた。胸は多少痛む程度だった。 無理をしてしまった。 この日、午後に友人2人が見舞いに来た。 予定外だった。 それは見舞いに来たことではなく、自分の回復の遅さだった。自分の「予定」では、3日もすれば歩いていることになっていた。 が、実際はそんなことはなく、起きあがるどころか、喋ることさえままならなかった。 だが、見舞いに来てくれたのは嬉しかったので、酸素チューブを外して少しだけ喋ってみた。 そのときに胸が痛み出した。 やはり無理だったと思い、2人には1度、席を外してもらった。 麻薬のスイッチを押してしばらく待った。痛みが引くかも知れない。 しかしなかなか収まらない。 そういえば友人に渡したい物があった。親にそれを教えて渡すように言うのでもう精一杯だった。 痛みが増してきた。もう無理だろうと思い、2人には帰ってもらった。 その後、急変した。 胸の内側で激しい痛みが起こり、体が「く」の字に曲がり痙攣し始めた。 「痛い痛い痛い」 何度叫んだか分からない。スイッチを押したところで全く収まらない。 今すぐ全身麻酔で眠らせてこの板を取り除いて欲しかった。 「板を取ってくれ」とも叫んだ。 全く収まらないのでずっと続くのかと思い、軽いパニックになったが、2本の痛み止めの注射、そのうちの1本の眠る作用で徐々に眠りに入った。 目が醒めたときにまた痙攣しそうになったが何とか無事で済んだ。 痛みは…ある。だが、だいぶ引いていた。また痛み出すと怖いので静かにまた就寝した。 この前後から、痛み止めの麻薬のためにひどい悪夢に襲われるようになった。 たとえて言うならば、ファミコンがバグった時の画面のような目茶無茶で混沌とした映像の連続。 それでいて、何かに追われているような夢が混じっている。「何か」に追いつかれた時に目が覚める。 しかし現実と夢の区別がつかない。目を開けていても「何か」がやってくるんじゃないかと心配する。 更に、これは夢だから、目が覚めたら自分の部屋にいて、いつもと変わらない生活に戻るんだろうとも思う。 現実を飲み込むのに時間がかかる。 夜がひどく怖い。 またあの夢を見るのかと思うと夜を恐れてしまう。 だが夜は訪れる。 また、夢か妄想か分からない不気味な世界にうなされなくてはならない。 見る夢はいつも同じ。 この日、初めて体を動そうと試みる。 もう何日も経っているのだ。いい加減動けてもいいはずだ。 しかし、起きようと肘を立てた時に胸の中心から激しい痛みが出て、うめきながら倒れ込んだ。 まだ動くことさえできない。痛い。 今日も寝たきりだった。 静かに時が過ぎた。朝の痛みもすぐ引いた。 午後のいつだったのか、誰かが尋ねてきた。 見たことのない人だったが、すぐに分かった。 じみーさんだ。顔を見たのは初めてで、ちょっと嬉しくなったが、あまり喋る力もなく、ほとんど顔を合わせただけで終わってしまった。 MDと小説をいただいた。まだ本を読むことも、イヤホンを耳に付けることも出来なかったので、そのまましまった。 いずれ読めるようになるだろうから、それまで待っておこう。 相変わらず痛むときがある。そのときはすぐに痛み止めの注射などをしてもらう。 もう何度も刺しているので針になれてしまったというか、胸の痛みの方が怖いので遠慮なく注射してもらう。 この苦しみからすると、注射などは痛いのうちに入らない。 早く刺してくれといった感じだ。 相変わらず悪夢のと闘いがある。 だが、ついに硬膜外からの痛み止が終わっので、今日で最後の悪夢になるだろう。 ゆっくり時が過ぎた。 この日がちょうど一つの峠であったようだ。 まず最後にして最大の悪夢をみた。 ただの夢ではない。高速で回転する感覚と急速に落下する感覚つきの恐ろしいのものだった。 未だによく覚えている。いつものバグった画面とは違った。最初は普通の夢だ。 何かのロケ現場らしい。自分は野次馬なのだろう。その現場を眺めている。他にも多数の野次馬がざわめいている。 突然、音がぷつりと遮断された。そして自分は倒れている。 事故らしい。自分がなにか大きな物の下敷きにされたようだった。下敷きになりながら野次馬達の姿が目に入る。だがなぜか音は全く聞こえない。不気味だ。そう感じた直後、下敷きになっていたはずの自分の体はなにか、狭い物に閉じこめられ、階段なのか、坂道を転がり落ち始めた。 この転がり落ちるときに急激な感覚に襲われた。文章では通じないだろうがとてつもなく恐ろしい感覚だ。 恐怖に飲まれながら落下していると、自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。 何度か聞くうちに、はっきりと「おきろ」と言っているのが分かった。 よくわからないが、「おきるから助けてくれ!」と心で叫んだ。 目が覚めた。病院だ。 だが、しばらくはその「事故」で病院に担ぎ込まれたのだろうと思っていた。なかなか現実が見えてこない。 ようやく気を取り戻した。やはりただの夢ではではなかった。 聞くと、落下していたとき(と思われる)の自分は、白目をむいて痙攣していたのだという。 それに気づいた親があわてて私をたたき起こしたのだった。 起こしてくれなかったら危険なことになっていたのかもしれない。 おそらく麻薬を使わなくなって切れ、いわゆる禁断症状的なものが出たのだろう。 だが、もう乗り越えたので安心だ。 それから日ごとに良くなっていった。実に順調だ。 胸腔ドレーンといって、肺の周りに水がたまるのを防ぐために管を体の中に入れて吸い出すのだが、それも取れた。 赤とも黄色とも言える奇妙な液体が500ml以上もボトルに収められていた。 ついで点滴も抜針したので、久しぶりに針も管も酸素マスクもない楽な体になった。きっともっと良くなっていくだろう。 とっくに退院出来るものだとばかり思っていたので残念だった。 が、同時に嬉しい日にもなった。 たくさんの人が見舞いに来てくれたのだ。 誕生日だと覚えていてくれて来てくれた人、偶然来てくれた人、どちらにしても嬉しい限りだ。 まだ痛みはあるけれども、そういう姿を見せると心配させるからひたすら元気に振る舞った。よく喋った。 見せかけだけの「元気」かも知れないが、とても励まされたので力が湧いた気がする。 外来として一度先生に傷の様子を診てもらった。あまりよく塞がっていないらしい。 「寄せておくか」と言った。 どういう意味かすぐ分かった。また縫うつもりだ。 しかし恐ろしいことに先生は「君なら耐えられる」と言いだし、局所麻酔をしなかった。 そのまま直に1,2針縫われた。痛い。驚くほど痛い。 ふつう、麻酔もしないでそのまま縫う人なんていない。 「麻酔した方が痛い」と言っていたのだが、そんなことはない。面倒だったのか何なのか真相は分からない。 だが、術後すぐのあの地獄を考えたら、ごく一瞬の痛みに過ぎないし、実際に耐えられた。思えばたいしたものだ。 久しぶりに外へ出てみるとかなり暑い。時間の経過をあまり感じさせない暑さだ。ただ、少し空気が乾いている感じがする。時はどうであっても動いているわけだ。 家に着くとちょっと違和感がある。病室のベッドに慣れすぎたのかも知れない。 これからの生活は少しつらいかも知れないが、慣れれば平気らしいので頑張ってみようと思う。 最初は気にしていなかったが、次第に悪くなっているようである。 昨日は発熱を起こした。炎症を起こしているのだろう。 そして今日はやはり傷口が痛い。病院へ行くことにする。 次第に悪くなるというのは、退院した後にも襲いかかる新たな恐怖であり、乗り越えなくてはならない。 だが本当に乗り越えられるのか心配だ。 もしかしたらボロボロになってしまうのではないか。 何度訴えても、医師も誰も気づいてくれないうちに手遅れになったりしないのだろうか。 痛みと不安のない生活をしたい。 それすらかなわないのか。 痛みと共に生きなければならないのか。 それは罪憑きか。 相変わらず夜は恐れと不安しか与えない。 眠るとき、死について考える。痛い思いをたくさんしてきたので死や病を恐れる。怖い。死ぬのは怖い。 1 体内に菌が存在する この場合、菌を殺すために体が反応する。発熱、白血球の増加、CRP値(炎症反応を示す数値)の増加が起こる。 私の場合、どれも当てはまったためにこの可能性が高い。 2 金属を入れた事による異物反応 菌の有無にかかわらず発熱などが起こる可能性。大抵の人は板を入れた後しばらくすれば熱は下がるが、異物に対して反応し続けている人もいるという。 医師は前者であると推測、抗生剤ユナシン・タゴシットを点滴で落とすことにした。 2〜3日位なのかと思っていたら、10日投薬を続けると聞いた。 ショックだ。 やっと出られたのにまた病室のベッドの上だ。 嫌だな、正直。 再入院から2・3日、以前の入院の時に「PS one」と液晶画面セットがあれば病室でもPSが出来るなと思って、ふと親にそんなことを言ったのだが、本当に買って来た。有り難い。 実物を見ると本当に小さい。それにあまり邪魔にもならないので実際に使える。 じみーさんからもらった宮崎 輝の「花の降る午後」も読んでしまって手持ち無沙汰に困っていたので重宝した。 それから更に数日、状況は変化する。 あくまで暇を潰すためにある「PS one」だが、目的は変わってきた。 現実逃避。 大きな分岐点に差し掛かったのだ。とてつもなく大きな分岐点。今までの人生に無いほどの。 菌ではない可能性も出てきた。 更に退院したときから感じていた背中の痛み。これがひどい。 20分座っていると背中が痛み出し、60分が限界であった。 最初は慣れれば治るものだと思っていたが、術後からずいぶん経っているのに背中の痛みは変化がない。 これで1コマ90分の授業に出られるのか…それ以前に通学できるのか。 あらゆる悩みがあるために、板を取り除くことも考えなくてはならない。 「最悪の結果」の選択肢も考慮に入れなくてはならないのだ。 考えれば考えるほど分からなくなってくる。 (どうすればいい?) (そのままで生活できるのか?) (元通りでいいのか?) わからない…… どうしても分からないから、そこから逃げるようにPSの液晶画面を食い入るように見続けた。 ある日、川井と佐藤がやってきた。 川井は高校からの付き合いで、うまいラーメンを私に教えてくれた人物。なかなかくさいセリフを吐くのだが、それは本当に心から出ている言葉であると断定できる、良き心の持ち主だ。 佐藤は小学校からの付き合いだ。 まわりから変人的ないわれを有しているが、そこにわずかな共鳴を見いだすことがある私もどこかしら変人の要素を含んでいるのかも知れない。 今、大きな分岐点に差し掛かっている状況であることを冗談紛れに話した。川井は直接的な言葉は使わないにしろ明らかに「つらくてもやっていこう」という意見であった。 佐藤は「楽な方に転がればいい」であった。 その先にいいことがあるなら、今はつらくてもその道を歩むべきだ。 これに似た言葉を、私の持つ掲示板でも見たような気がする。 だが、それは理想であって、現実はそうもいかない。 そもそも日常の生活が出来るのかさえ疑問である状態だ。 それでもこれを続けるとなると、「学校に行く」すら出来ないかも知れない。それは困る。 そして痛い。胸も背中も痛い。 そもそも、なぜ見せかけだけ「普通の人と同じ」になりたいがためだけに、毎日痛みと闘い続け無くてはならない? なぜだ? なぜ「普通」になるがために苦しみ続けなくてはならない? そして、それだけの犠牲を払ってでも「普通」になる価値があるのか? (わからない。) それなら板を取り除けばいい? じゃあ、あの地獄の痛みと苦しみは何のためだ? 必死に耐えてきたあれは何だったのか? (どうすればいいんだ?……誰か教えてくれ。) 寝るときにウォークマンを小音量で聴きながら寝るのがいつもだ。静かで落ち着くBGMをながす。 そしてサイレース(睡眠導入剤)を服用しているので30分ほどですぐ眠りに就く。 このときたまたま寝付きが遅かった。 すると最後の1曲だけに静かなBGMとは全く種類の違うものが流れ出した。 BUMP OF CHICKENだった。この1曲だけ、他のMDには入らなかったので強引にそこに録音していたのを覚えている。 曲が始まった瞬間、音量・音圧の違いに驚いて目が覚め、不快に思って消そうとした。が、手が止まった。 格好いい。 素直にそう思った。なんて格好いい曲だろう。 自分自身でも驚くほどその曲に魅力を感じた。 こういう状況に置かれているから感覚が鋭くなっているのだと思う。 これほどBUMPの曲に感動するのは、これまでにも、そしておそらくこれからにも無いだろう。 精一杯運命に抵抗してみようと思った。そうすることも出来るはずだから。 そうして分岐点でつらい道を歩く勇気が生まれた。 最後に決断を下すのは他でもない、私だ……そう思っていた。 が、そうにもいかなくなった。分岐は分岐ではなくなり、一つのおおきな流れとなり、私は選択肢を失った。 たとえ熱が引かなくても、そのまま退院して騙し騙し痛みと発熱に耐え、ペインクリニックに通い詰めてでも板を入れていた人がいるという。しかしその人も半年で板を取ってしまったという。 私の場合、発熱を無視して同じようにペインクリニックに通いながらでも何とかなったかも知れないが、状況はそれより芳しくなかった。 体内に水が溜まりだしたのだ。肺の周りや下の方に溜まっているという。 結論は私の意見を聞くまでもなく下された。 絶食して24時間以上。唯一体内に取り込んでいるのは点滴からのヴィーンFだけだ。ナトリウムとカリウムが含まれているが糖分が含まれてもいないので腹が減る。だるい。 夜、静まり返った通路をストレッチャーで移動する。 静まり返った4階。不気味だ。 またあの大きなライトに照らされる。怖い。 もう仕方がない。死なないことを願おう。 (…何だ?) (暑い) (誰だ?) (だるい) (口が渇く) 起こされた。前のようにへこんでしまったと聞かされた。 もうどうでもいい。 一時発熱を起こしたが、全身麻酔からさめて目を開いた。 また痛み止めを注入する機械、PCAが取り付けられている。いやな夢を見ないといいのだが。 体に痛みは…ある。ひどく痛むかもしれないと思うと怖くて身動きが取れない。 (なんだこれは?) (なんでこんな姿に?) (元に戻る?) 術後数日、レントゲンを撮りに行った。 車椅子に座り、点滴架台から3つも点滴を落としている。 しかもその1つは癌患者が使うようなモルヒネだ。それに体の横には胸腔ドレーンという管がある。黄色とも赤色ともつかない得体の知れない液体がボトルに収められている。 酸素マスクまでしている。 周りの人が私を見る。どう見ても重症患者にしか見えない。 「若いのに気の毒だ」という感じで見られている。 元に戻るのにもそういう目にあわなくてはならないらしい。 疲れる。死んでしまっても諦めがつくぐらい疲れる。 それからしばらく、遅くも徐々に回復に向かっていった。 モルヒネで悪夢を見ることもなかった。ただ強い眠気に襲われた程度だ。歩くようにもなった。しかしかなり疲れる。 ドレーンがなかなか取れない。水が抜けきっていないらしい。 ドレーンと点滴を架台に架けて歩くのに慣れすぎた。左腕はもう針の痕だらけで欠陥はボロボロだ。ついに刺すところがなくなって右腕に針を入れるようになった。 針の刺さっていない生活に戻れるのか心配だ。たとえよくなると分かっていても心配になるという心理は、こういう状況に長いこと浸っているとどうしてもなってしまうものなのかもしれない。 外の世界とは明らかに隔離された世界。戻れるだろうか。 早く過ぎるように願いながら静かに過ごし、術後から2週間ほど経ったころ、ようやくドレーンが取り外された。 入院前の感覚で言うと激痛といったところだが、痛みのない生活と疎遠であったために、結構痛いなという程度で済んだ。ついで点滴も取り外された。 針も何もない状態になるのが久しぶりだ。トイレに行くにも点滴架台を引っ張る必要がない。そのまま歩いていける、それだけでかなり楽になった。 しかし気分は今ひとつ晴れない。考えてみると、何の気を遣うことなく歩くのは、ごく普通のことだ。なにか病気を患ったわけでもない。ただ元に戻るだけのむなしい闘いに過ぎないように思える。 ドレーンが取れるまでもきつい毎日だった。でもそれは…。 夢をみた。 なぜか最近、夢が妙にリアルに感じる。 夢の中でも私は「患者」だった。 ある人が私に話しかけてきた。知っている人だった。 病院に外来に行くのだという。 外来にかかる理由はめちゃくちゃで、むしろ病院に行くべきものでもないどうでもいいことだった。 それに私は激しい憤りを覚えて怒鳴った。 こんなに苦しい思いをして!それでも何一つ得る物が無くて! 泣きながら怒鳴った。 「でもそれが理由でいじめられたことはないでしょう?」 その人が言った。 確かにそうだ。でも周りからは白い目でみられるんだぞ! 怒りを全部ぶつけていた。 そこで目が覚めた。 回復することに務めて疲れていたために気づいていなかったようだ。 悔しい。 そう心の底で思っていたのだと思う。本当は悔しくて悔しくてたまらなかったのだ。 だがどうしようもない。どうにも出来ないし、もうどうするつもりもない。 そういうときもある。 出来ることと言えば、忘れることだ。 とにかく今は考えないように務めてみる。またPSOneをいじって意識をそらす。 もう10月半ば。学校はとっくに始まっている。しかし私の記憶の時計は8月25日で止まっている。すでに夏は過ぎていた。空白の1月半。 こうして私の苦闘の日々は、得るものなき空しい結果で終わることになった。むしろ体にメスの痕が付いてますます醜くなってしまったおまけがついている。 これで「改造甲殻類計画」は一応の終わりとなる。しかし体が完全に回復するまで半年はかかる。8月のあの日以来、まだ一度も寝返りを打ったこともない。 そして静かな延長戦が始まった。 |
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2003年09月12日 21時54分19秒
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