「初めに・・・の項」
皆様ようこそいらっしゃいました。このページ、駄文では徒然とは違い自分の近況ではなくて最近社会全体やその他諸々について思うことを、同じく不定期で更新していきたいと思います。せっかく個人での情報を発信するようになったのでこういうものもやってみようと思いまして、皆様の御理解をいただけると恐縮ですね。かなり批判的な表現を含むと思いますので不快に思った場合や逆に管理人にたいする批判、ありましたらメールをいただければ幸いです。それでは「だいこくの主張」ごゆっくりご覧ください(笑)

   
「17歳の項」
記念すべき最初の駄文でございます(笑)最初の項は自分にとっても大いに関係のある17歳についてです。ここ1年ほどマスコミなどにはたびたび「17歳の犯罪」というものが取り上げられていると思います。テレビのワイドショーを見れば、どこかの大学の大学の教授や評論家などが次々と入れ替わり立ち替わり出てきて17歳が引き起こす犯罪についてふれています。俺はこういった報道を見るのが非常に不愉快です。もちろん自分がある意味で当事者のような立場だと言うことがもちろん関係あるわけですが、それにしてもマスコミは自分の責任をわかっていないのではないでしょうか?確かに数件続いて17歳の少年による犯罪が起こっていますが、それらの多くが過去の少年犯罪に影響を受けていると言うのも事実です。いわゆる模倣犯罪です。模倣犯罪等というものが起こるのはやはりマスコミの過剰な報道による所が大きいと俺は思うのです。大体少年法といった言葉だって今では小学生だって知っているでしょう。ここまでその名を広めたのは誰か?もちろんマスコミと評論家の方々でしょう。
決して学校の授業からじゃないでしょう(笑)それもマスコミの教える少年法はむしろ対象となる少年に「今のうちに罪を犯せば罰が軽くて済むよ」と言っているように聞こえてくるのです。これでは犯罪を助長しているようなものでしょう。さらに、そもそも数人の17歳が事件を起こしたからといってそれが17歳全体の一体何%になるというのでしょうか?第一17歳という年齢にこだわるのならば他の年齢についても統計をとってみればいいんです。これで仮に例えば○○歳の人間が立て続けに凶悪な犯罪を犯したとすれば、評論家の方々は喜んでその人間達の生まれた年の事を分析しはじめ、さも嬉しそうにワイドショーで解説をはじめるでしょう。「こんな事があったから」「あんな事があったから」だ・か・ら「凶悪事件を起こしたのだ・・・」っと子供がどうして残虐な行為や言葉を覚えると思います?自分で覚えるわけはないんです。大人から学ぶんですよ。子供は大人をうつす鏡とも言えるんです。マスコミや評論家のみなさん子供について分析する前にまず自分についての分析をしてください。

 
「英語表記の項」
巷には英語や外来語があふれていますね。今回はそれについて思うことを・・・突然ですが皆様現森内閣が目玉の一つとしてあげる「IT革命」のITって何のことだかわかりますか?ITというのは「Information  Technology」つまり「情報技術」の頭文字を取ったものなんだそうです。さて、俺は何を言いたいのか?それは何故わざわざ「IT革命」等と実態のわからない表記の仕方をするのか、と言うことです。情報技術というしっかりとした日本語があるのだからそう表記してもいいはずではないでしょうか?アルファベットやカタカナで表記すると何となく見栄えが良いという考えもわからないではありませんが、その結果事の本質が隠されることにはならないでしょうか?世間は情報技術革命というと何となくイメージが悪くてIT革命というと近未来的な負の部分など全くないように感じてしまうようです。しかし実際はもちろん言い回しが違うだけでどちらも同じ事を指しているわけです。さらに今年のはじめ頃マスコミがやたら取り上げた「ミレニアム」という言葉。ミレニアムだって日本語で千年紀としても構わないはずです。もちろん英語を使うのだって各人の自由ですからいいのですが、俺が言いたいのは言葉の魔法に騙されないようになりたいという事です。日本語だと何となく野暮ったい言葉が表現を変えたとたんに流行の最先端となる、そんな単純な大衆煽動に騙されない人間になりたいです。アルファベットやカタカナというだけでろくに意味も知らずにただ良い物だと決めるのは危険だとは思いませんか?以前森首相は「IT革命」の事を「イット革命」と言ったり、「ミレニアム」を「ミニレアム」などと言っていたそうです。自ら「IT革命」を唱えながらその意味を全く理解してない森首相、貴方はアメリカ合衆国の大統領ではなく日本国の総理大臣なのですから敢えて苦手な英語で表現することはないでしょう!!それよりも日本語で、自らの言葉で国民に自分の方針を語れるようになってほしいです。身の回りにもアルファベットや外来語はあふれています。それらの言葉の辞書で調べてみたら実はよく知っている日本語だった、なんていう経験はありませんか?同じ言葉でも日本語で表現するのとアルファベットで表現するのではイメージがそれこそまったく正反対になってしまうといっても過言ではありません。本当に言葉の魔法とは不思議なものです。それだからこそ安易にアルファベットの表記に惑わされることのないようになりたいです。

 
「異物混入事件の項」
今回のテーマは雪印の牛乳などに代表される一連の異物混入事件・事故についてです。発端は何だったのか?俺の記憶する限りでは参天製薬の目薬に薬物を混入したという脅迫未遂があったのが発端だと思うんですよね。あの時は参天製薬は対象となった商品を素早く回収に踏み切って事なきをえましたが続く雪印の対応は本当にお粗末でしたね。まぁ参天製薬は脅迫で雪印の場合は自社の過失ですから状況は確かに違いますが。それでも俺は雪印も言い訳ばかりを繰り返さないで手早く回収をはじめるべきだったと思います。その方がまだ世間からの風当たりも弱くてすんだだろうし。会見で社長は「私も寝てないんだ」などと言ってましたが自分が管理する会社の過失が露呈してしまったんだから寝ないで処理にあたるのは当たり前の事ではないのでしょうか・・・心情的には確かにその気持ちもわからないではないですがいずれにしてもそれを会見で記者に向かって言うのはお門違いというものでしょう。さらにその後あちらこちらの食品会社の製品から異物混入の報告が連日のようにマスコミから流れていますが俺にはどうにもこれらがタイミング良く起こりすぎてる気がするんです。こんなにいくつもの事例が立て続けに起こるなんて不自然に思えて仕方がないんですよ(笑)んで考えられるのはやはり、以前からこういうことは少なからず起こってたと思うんですよ。雪印の工場なんて操業以来一度も洗浄してないらしいし。それがここにきて次々に発覚したというだけで実際は前々からいくらでもあったと思うんです。もちろんあくまで推論の域はでませんが。まぁこのコーナー自体俺の思っている事を綴るコーナーなんですからそれも構わないと割り切って(笑)では何故ここで突然すべてが露呈したか?その功績はマスコミにあると思うんです。今までも似たような目に遭っても泣き寝入りしていた人ってたくさん居たんでしょう。それがマスコミの大々的な報道などのおかげで企業側の意識改革が推進されたんだと思います。これこそが本来のマスコミの存在価値だと思うんですよそういった意味で今回の、特にイモリやはえの混入の例なんかは一消費者の声がしっかり企業にも届いたという、またマスコミがおそらくはそれに役だったという、ただ一消費者の声を企業に届かせたという例では1年ほど前の東芝の事例も印象深かったですが、、、まぁ今回のテーマからははずれているのでここでは割愛させていただきますが。一連の事故を通してこれを手痛い教訓と思って企業側の管理体制や意識の改革が少しでも進めばいいものです。

   
「善いこと悪いことの項」
最近ふと思うことがあります。絶対善や絶対悪は存在するのか?ということです。答えはNOです。俺は絶対善・絶対悪は存在しないと思ってます。そもそも光のある所には必ず影も存在し逆に光が無ければ影も存在しないからです。光が射せばそれは同時に必ず影、闇を生み出します。すなわち善と悪とは全くの平行線的概念ではなく表裏一体で常に2つで1つのものであると言えるのです。さらに、元々善いだの悪いだのはあくまで流動的な主観の問題であり、大局的・客観的に見れば物事に善悪はなく中立的だとも言えると思います。善い事だと言われることであろうと見方を変えればそれは悪いことにも成りうるわけで、その上善という概念自体も悪という概念があって初めて存在するわけです。これも善悪表裏一体の根拠となるものですが、もし世の中に「善」といわれる行為のみしか存在いなければそれは善ではなくごく当たり前の行為ということになるでしょう。行為を受ける対象の記憶にそれに対する過去の「悪」と見なす行為があって初めてそれは善として成り立つのです。すなわち善は悪をもって証明されているわけです。一見対極に見えるこの両者の間の矛盾が示すのは一体何なのでしょうか?善とはそれのみでは成り立つことが出来ず悪の存在に依存することではじめて成り立てる。もしも善悪という概念を越えてなおかつ主観的に行動できる存在というのは恐らく我々人間の近く範囲を超えた存在なのでしょう。我々人間の近く領域では所詮善悪の両方のしがらみに捕らわれたままの行動しかとれないのです。だからこそ、日常生活の中でも絶対善・絶対悪を決めつけることなく物事を常に多元的・客観的にとらえていける人間になりたいです。今回は今までとはかなり異質の内容であったと思います。今回の項はここ1週間ほど俺の中で溜まっている鬱積を発散する意味でやや極論的で精神的な不可解な内容となっておりますが、ここはそういったコーナーですので悪しからず・・・

 
「オリンピックの項」
先日壮大な閉祭式をもって閉幕したオリンピックですが皆様はこのオリンピックの間どのくらい見ていたでしょうか。徒然に再三にわたり掲載していた通り俺は今オリンピックでは特に日本サッカーチームに期待をしてました。残念ながらメダル獲得はならなかった日本サッカーですが32年ぶりの決勝トーナメント出場も果たしその実力は確かに上がっているのだということを感じさせられました。他にもお家芸復興とばかりに柔道でも多くのメダルを獲得したりと日本勢はかなりの活躍を見せたようです。それに伴いテレビ等の視聴率もうなぎのぼりに上昇し女子マラソンの高橋選手優勝の瞬間などは50%、サッカーも常に30〜40%を記録していたそうです。まさに日本中がお祭り騒ぎに騒いでいたわけですが、実はこれ日本だけでの現象らしいです。たとえばアメリカ、次回のアテネオリンピックからは放送時間縮小を早々と決定しており、ヨーロッパなどでは元々オリンピックを見るという習慣自体がないらしい上、現地オーストラリアに至ってはここぞとばかりに自宅を観光客に貸し出しその金で海外旅行に出かける人が多いのだそうです。五輪だ五輪だとやたら騒ぐのは日本人のみ(?)のようです。しかしながら、俺はこの日本人の気質を悪いことだとは思いません。平和的スポーツの祭典と象徴されるオリンピックですが実際今回はその面目躍如たることが起こっていると思います。中でも特に印象的だったのが南北朝鮮の合同入場ですね。和平への道を徐々に歩みだしている両国ですが今後こういったことが他の国際社会の場でも広がっていけばいいと思います。さて話が少しそれてしまいましたが、日本人がそれだけオリンピックを楽しめるのは心に余裕があるからだと思います。心に余裕があるからこそああいったものに熱を入れて観戦できるのだろうしスポーツという健全な場で世界各国が切磋琢磨するのはすばらしいことだと思います。今回もルーマニアの選手やブルガリアの組織的なドーピングなど明あるところに必ず暗があるように問題はいつまでもつきまとうと思いますがそれに負けずに今後も各国選手や国民の夢であってほしいと思いました。

  
「派閥政治の項」
これは前々からずっと疑問に思っていたことなんですがさる先日某加藤議員等が起こした反乱(?)の際にはっきりと思ったことなんです。今回は意見というかホントにただただ疑問に思っている事なんです。っというのは自民党の派閥政治の在り方についてなんです。政党というのは本来「同じ志」を持つ人々が集まって共同で政治を行おうという集団だと俺は常々解釈してきました。しかし、自民党には「派閥」という概念が存在してます。同じ政党のはずなのに「派閥」同士の抗争はあたかも与党と野党との小競り合いのようです。むしろ、互いの手の内を知り尽くしているぶんより陰湿なものかもしれません。そしてマスコミでさえ堂々と「○○派■■」がどうしたとか平気で放送してるんですよね。俺にとってはこれが不自然でならないんです。どんな組織にも派閥があるのは確かでしょうが、ああまであからさまに対立するならよっぽど解体してそれぞれがそれぞれで政党なりを結成すれば良いと思うんですが。なんだかわからない人々がなんだかわからない志の下で絶対多数の力を借りてとんでもない法案をどんどん国会通過させてしまうのだから恐ろしいものです。派閥間の抗争に手を取られ国の政治が滞るようではそれこそ本末転倒というものです。派閥抗争がやりたいのならそれが好きな政治家達を集めて「派閥抗争の会」とでもいうようなものを結成して後”趣味”としてやってもらいたいものです。。。


「受験生の心構えの項」
別名3年生0学期(?)とも言われるらしい2年生の3学期を迎え、いわば受験生予備軍とでも言うような立場になりました。その中で最近とみに思う事は受験生としての本当の心構えとは何だろうということです。当然教師達に言わせれば1年間遊びを忘れて一心不乱に勉強に打ち込めとでも言うのでしょうが果たして本当にそれが正しいと言えるのだろうか?もちろん志望大学のランクを高く設定すればするほどそのための犠牲も大きなものとなっていくのでしょうが、勉強する事だけが高校生活のすべて、大学への通過点のみが高校の役割ではないはずです。中にはそういった人も居るのかもしれませんがそれでは寂しく人と接することのない高校生活になってしまいます。そういったコミニュケーションの不足が一連の短絡的な犯罪へとつながっているのではないかとも考えられます。当然自分の希望を叶えるためにはそれに見合うだけの努力が必要です。しかし1年間完全に勉強だけに打ち込んで2度とはこない18歳の時期を他に全く目もくれずに勉強だけにというのはずいぶんともったいないような気がしてきます。そういった楽しみは大学に入ってからなどというのは俺は間違っていると思います。次のチャンスを待つなどという姿勢ではチャンスはきっと永遠につかめないでしょう。またある程度の余裕を持つのでなければきっと効率も悪くなってしまうと思います。っということを考えてもやはり受験生の1年間も受験生だから、とか受験生らしく、というのではなく今までと同じように自然体で過ごすのが一番かな?と思っているわけです。


「新しい教科書の項」
ここの所新しい教科書がずいぶんと物議を醸しだしていますが今回のテーマはそれです。例えばアジア各国で非常に非難の的となっている歴史の教科書。まずはこの問題からいきましょう。まずはっきりと言いたいことは、俺のような世代は戦争の真実を何一つ知らないと言うことです。実際に戦時中に生きていたわけでもないし戦後まもなくの貧しさの中で育ったわけでもない。あくまで様々な資料などを通じて知った知識しか持ち合わせていないわけです。ですから捏造だ歪曲だと言われても実際どうなのかと言うことはわからないのです。一見無責任のようにもとれますがそれが現実なんです。しかし、過去知り得た知識を駆使すると日本がアジア各国に与えた被害は真実のものであり今回のような件において各国が不快感を持つのは当然承知できたはずの事だと思っています。当然自国の歴史を美化したいという心理が働くのも当然でしょうがそれにより同じくアジアに在る他の隣人諸国が持つ不快感をもっと考慮すべきであることを強く言いたいと思います。しかし俺が今回本当に取り上げたいのはそのことではないのです。本当に取り上げたかったものというのは、新教育要領において「ゆとり教育」の名の下大量の削られた教科書の中身なのです。文部科学省の掲げるゆとりある教育により人間性を育てるという教育理念、確かに理解でき崇高な理想ではあると思いますが現実を見ておらずまた手段が適切でないと言わざるを得ません。ただ難解だという理由だけで教科書の中身を次々に削ってしまったら物を深く考える人間などできるわけがないのです。ゆとり教育とは決して教育内容自体を削り授業進度に余裕を持たせることではあり得ないのです。型にはめ画一性を求める現在の教育システムを根本から見直し生徒の求める知を共に考える場としての教育を提供すべきなのです。削られた教科書の内容として例えば小学校での電卓の使用や1桁以下の小数の不使用などがあるそうですが、基礎的な計算を学ぶべき小学校のうちから電卓を使い初めてしまっては計算の構造自体が分からなくなってしまうのではないでしょうか?なんだか拡散的でまとまりのない内容になってしまいましたが要するに今回採用された教科書については首をひねらざるを得ない点が非常に多くあると言うことで、いまいちまとまってはいませんが今回はこの辺で。また機会がありましたらいずれ続きを書いていきたいと思います。


「異常支持率の項」
何だかとっても久しぶりの駄文更新ですが、さて今回とりあげるのは題名見れば一目瞭然かとも思いますが小泉内閣の支持率についてです。はっきりいって異常すぎます。正確な数字は知りませんが発足以降殆どずっと80%以上を維持しているたかと思います。最近また支持率をあげているようですのでもしかしたら既に90%ぐらいにまで達してるかもしれませんが。それにしても異常な数値です。もちろん全国民を対象に調査を行ったわけではありませんがそれにしても国民の8割以上が1つのものに賛成の意を表すなんて異常現象としか言えないと俺は思います。明確な根拠があるわけではありませんが俺が思う正常でなおかつ国民の信頼がある支持率というのはだいたい60〜70%辺りが妥当ではないかと思うんですが。明確な根拠があるわけではないのでこのことについてはこれ以上言及しませんがさて、この異常な支持率の背景にあるのは一体なんなのでしょうか。そこで俺が原因として考えるのは日本人の体質なんです。つまり流行に流されやすい体質ということです。即ち今回のこの小泉内閣支持率というのも一種流行なのではないかと言うことなんです。元々政治家の中では国民的人気は高かったようですが、火付け役となったのは総裁選時のマスコミの報道でしょう。マスコミ全体が小泉応援団のような様相を呈した事により国民感情に火がつきこの空前の小泉支持率を「創り出した」のだと思います。さらには前内閣総理大臣である森氏があまりに国民のひんしゅくを買ったということも一因としてあげられるでしょうしかし、この異常な小泉支持率には不信感を持たざるを得ません。なぜなら人気だけだ独断専行し小泉氏という実像が置き去りにされているような気がしてしまうからです。また、小泉首相自身も総裁選時の過激な改革論は日々後退しむしろ国会においてもその場しのぎとしかとれないような答弁を繰り返すような有様になっていると思うのですが。先日偶然俺が見た国会中継の最中も何を聞かれても「ただいま調査中です。」とか「それについては研究の余地がある。」など実際ではどうするのか、といった具体論はなりをひそめ改革については「聖域なき改革」という言葉のみが取りざたされ具体的な改革論についてはトーンダウンしてしまっているようなのですが。閣僚についても同様に多々問題があると思います。例えば塩川財務大臣や田中外務大臣がその代表でしょう。塩川財務大臣は自らの発言について忘れてしまった、などと言ってお茶を濁してみたり、田中外務大臣に至っては本来共同でその職務につくはずの外務省との対立を深めてみたり。外務省との対立については一概にどちらが悪いとも言えないので必ずしも田中外務大臣のみに責任があるとは言えませんが、結果的にそれにより職務が滞っているあるいは遅れているのですからこれは最早外務大臣の責任以外の何者でもありません。またこれも以前報道されていたことですが、国会で野党議員が小泉首相や田中大臣やその他閣僚などを批判するような答弁を行うとその議員の元には大量の抗議文が寄せられると言うのです。これについては驚きのあまり声も出ませんでした。国会というのは議論の場なのですから反論や批判がでるのは当然のはずなのです。むしろそれらが出ないことの方が議会が形骸化し事実上の独裁状態が進行するというわけでむしろ危険が多いはずなのに。小泉内閣が本当に構造改革なり何なりを口だけではなく「実際」に行ってその結果支持率が上昇するならまだしも就任時から何も行っていないのに相変わらず異常な支持率を維持しているというのはやはり何とも警鐘を鳴らすべき事態であると言わざるをえないのです。

  

「アメリカの軍事行動の項」
え〜、、、アメリカがまた凄いことをやってくれました。パキスタン・インドに対する経済制裁を解除し事実上両国の核保有を追認した格好になったようです(汗)最早言葉がないんですが。。。そもそも両国に対する経済制裁の発端となったのは彼らの核実験に対するものだったわけで今回アメリカの軍事行動に協力するからといってそれを解除するのは甚だ検討違いなわけです。その点ではアメリカに追随して同じく制裁解除を明言した日本も同じですが。確かに既に核保有国となっているアメリカの非核保有国に対する一方的な核実験禁止の押しつけというのも十分自分勝手なんですが今回の事はさらに身勝手と言わざるをえませんね。テロ犠牲者の方が何の罪もなく、不合理なテロに巻き込まれて亡くなったのはもちろん悼むべき事なのですが、その報復のみを最優先としさらなる核拡散を生む結果になるとは。さすがわ究極のエゴイズムの国アメリカです(汗)世界の警察を自称するだけのことはある、、、わけない(苦笑)これってアメリカ独特なのかは知りませんがいわゆる司法取引の影響が色濃く出ている結果ですね。要は別の犯罪者殺すの手伝うから自分の罪を許して、という感じで(極論ですが)タリバン政権とかなり親密な関係にあるらしいパキスタン政府が今回のアメリカの軍事行動に協力する意図もきっとその辺りあるんじゃないでしょうか。でも例え今回の攻撃が無事に成功して首謀者他側近数名を殺害出来たとしても、彼らにとってこのアメリカとの武力衝突はむしろ聖戦(?)という意識が強いようなので死ねば当然殉教者に祭り上げられ英雄視され、さらなる志気を高める結果になるでしょう。また今の所はアメリカと真正面から衝突しても勝算があるのか正攻法を取る方針のようですが、正攻法でかなわないとわかれば必然的に再び水面下の動き=テロへと戦術を変更してくるわけです。この方法ではそれこそイスラム原理主義者やテロリズムに賛同する人間を最後の一人まで根絶やしにしなければテロの撲滅は不可能である事を強く主張しなくてはなりません。「目には目を、歯には歯を」「テロリズムには軍事行動で報復を」これでは紀元前のバビロニアから2000年以上何の進歩もしてないことになってしまいます。ブッシュ大統領はこれが「21世紀の戦争だ」などと力強く叫んでいましたが、21世紀になった今こそ「テロリズムには対話と相互理解を」で解決しようとは思わないのでしょうか?科学技術は数千年分進化し、恐らくはアフガニスタン全土を、一国を焦土と化すことも可能なくらい進歩しました。一方では精神的には数千年間全く進歩が見られないのでしょうか?数千年前と同じくやられたことをそのままやりかえすしか脳がないのでしょうか?今現在アメリカでブッシュ大統領が過去最高の支持率を記録していることを鑑みればその答えは必然と言わざるを得ませんが。しかし、今は自国が攻撃されたという衝撃により一時的に感情的になり攻撃衝動のみがその象徴として高まっているのだと思いたいところですね。時がたち冷静になれば新世紀を迎えた今暴力は暴力しか生まないという悪循環に一刻も早くアメリカ合衆国が気づいて対話による平和的解決に方針転換してくれることを望みます。

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