吹奏楽部小史
松高創立70周年記念誌 および、創立80周年記念誌より
ブラスバンド誕生
 昭和35年、県下で2番目、15人編成のブラスバンドが応援団の中に発足した。当時の応援団の顧問酒井徹先生が、応援団長だった下境捷正氏に声をかけ、設立のはこびとなった。酒井先生の意図は、野球応援をセンスあるものにして新風を吹きこむこと、松高生の意気を高揚させること、そして松高を文化の発祥地にするということであった。
 森江進先生を顧問に活動を開始したものの初めてのことで不安も多く、小川町立大河中学校(現小川西中)の小林俊雄先生の指導助言をお願いした。部員は、放課後になると楽器を携えて大河中へと通った。休み無しの練習で迎えた初舞台は、川越初雁球場での野球応援の演奏であった。
 ブラスバンド発足記念の第二応援歌も制定され、運動部の応援を中心とした活動が展開されてゆく。因みに第二応援歌ならびに校歌の前奏は小林先生の作曲である。
昭和40年代
 昭和40年6月27日、第1回定期演奏会(以下、定演と称す)を松高講堂で開催する(4回まで同所)。不安と緊張の中、無事に演奏ができて定演は緒につき、開催時期も概ね6月と定まり今日に続く。41年応援団より独立し吹奏楽部となり、翌42年埼玉国体で演奏する。国体当時の楽器の一部は最近まで使用されていた。
 昭和44年、第5回定演をヂーゼル機器(現ボッシュ・オートモーティブ・システム)体育館で開催(6回も同所)。同年吹奏楽コンクール県大会(以下、コンクールと称す)高校二部(35人編成)に初参加し、活動の目標が定演とコンクールとなった。
 昭和46年、第7回定演を川越市民会館で開催する(13回まで同所)。他市での開催で楽器の運搬等大変だったが、OBの西沢高信氏の指導のもと部員の努力が実り、スケールの大きい演奏会となった。
 演奏の実力も漸いに向上して、昭和48年にはコンクール第一部(50人編成)に出場。翌49年には銅賞に初入賞し、次は銀更に金そして関東大会へとの意欲に燃えて練習に励んだ。
昭和50年代
 昭和52年、音楽担当の八木原宗夫先生が着任され、顧問をお願いした。先生は部の第5期生でもあり、吹奏楽の指導経験も豊富で、顧問イコール常任指揮者という体制がここに整ったのである。
 昭和53年、第14回定演を東松山文化会館で開催(以下今日まで同所)。コンクールで銀賞獲得と大きな前進をする。
 昭和54年、第1回クリスマスコンサートを東松山文化会館で開催(以下今日まで同所)。冬の定演として市民にも親しまれているこの演奏会の開催には顧問の星山春雄先生の力に負うところが大きい。
 翌55年、コンクールで待望の金賞獲得。以後9年連続金賞入賞、部に言うところのV9の幕開けとなる。
 昭和56、58の両年は全国高校総合文化祭の吹奏楽部門の県代表として、秋田、山口の大会に参加している。
 昭和58年のコンクールでは金賞受賞、関東大会出場校にも選ばれ、念願の関東大会で演奏し銀賞となった。翌59年にはアンサンブルコンテスト県大会(以下アンコンと称す)に初出場し銅賞に入賞した。
昭和60年代から平成5年まで
 昭和60年のコンクールから第1部と第4部(人数指定なし)に出場する。4部は1部に出場しない下級生の奨励と経験のためにと考えての出場であったが、見事金賞となった。同年アンコンでサックス4重奏が最優秀賞獲得で関東大会に出場し、金賞となった。コンクールの金賞と合わせて、華々しい成果を上げたこの年は折しも部創立25周年にあたり、クリコンでOBとの合同演奏、記念式典の挙行、記念誌の発行と盛大に活動を繰り広げた。
 しかし、吹奏楽部を持つ学校が年毎に増え、県のレベルが高くなってきていた。昭和63年にはコンクールで金賞に入ったものの翌平成元年には銅賞となり捲土重来を誓った。
 平成3年、13年間指導をしてくださった八木原先生が転任となり、音楽担当に松本紀夫先生が着任、顧問をお願いする。松本先生の指導の下、新しい時代の洗練された音楽を合言葉に、日々工夫を凝らして練習に励んでいる。コンクールは平成3年銀賞、4年金賞最優秀賞受賞、惜しくも関東大会出場には成らなかったが、充実の一途である。

(以上、70周年記念誌より転載)

松本先生を迎える

 全国の吹奏楽レベルが飛躍的に向上し始めた平成3年4月、それまで長年顧問としてご尽力いただいた八木原宗夫先生がご栄転となり、後任に実兄でいらっしゃる松本紀夫先生をお迎えした。「新しい時代の洗練された音楽」を合言葉に指導を始められた。
 平成4年夏、コンクール県大会で伝統の華麗なる響きを披露し、最優秀賞を受賞、悲願の関東大会へ足をかけたのだが、あと一歩及ばずで夢は果たせなかった。前代未聞の「ダメ最優秀」とはこのことである。同年11月、学校創立70周年記念式典では祝賀演奏を担当し、華を添えた。

 平成5年夏、本県で開催された第17回全国高等学校総合文化祭・吹奏楽部門に県代表として参加し、会場となった武蔵野音楽大学に松高サウンドを響かせ好評を得た。翌平成6年には記念すべき第30回定期演奏会がOBの賛助出演を得て盛大に開催された。この年我が部は総勢96名という大所帯となり、活動はさらに幅広いものとなっていった。

 平成9年夏、奈良県で開催された第21回全国高等学校総合文化祭・吹奏楽部門に4年ぶりに県代表として参加し、文化連盟賞という栄誉を得た。翌平成10年10月、本県で開催された全日本音楽研究会において研究演奏部門を担当し、全国から参加された先生方の前で堂々と演奏を披露した。

佐藤着任

 平成12年4月、13年春にご勇退なさる松本先生の後任として、28期OBである私、佐藤が着任した。伝統あるこの部活の顧問となるにあたり「温故知新」の精神を大切にし、かつ、本校建学の精神である「文武不岐」を実践すべく、活動時間の徹底と内容の充実を一層図るよう努力してきた。

 平成13年夏、創部以来初であろう校外合宿が部員から発案され、新潟県湯沢町を舞台に実現することとなった。コンクール直前のこの合宿は、練習場所を変えることで気分転換にもなり、集中力も高まった。同年冬に行われた県アンサンブルコンテストではクラリネット四重奏が金賞を受賞し、駒を進めた西関東大会では並み居る強豪校の中で見事銀賞を受賞し、16年ぶりの悲願を達成した。

 創部40年余、定期演奏会も平成16年に40回を迎えた。部員たちは伝統と光輝を胸に少人数ながら日々努力精進している。

 吹奏楽部に栄光あれ!
 

(以上、80周年記念誌より転載)