生きる
2000年7月
生きるってなんだろうか?思春期の人間のほとんどが考えることだろう。で、例にもれずきっしゅんも考えてみる。とかなんとかいくら考えても答えのでるものじゃないんだよね。それでも「なんのため?」と自分に問いただしてみる。なんとも哲学的な話になるが「生きるためにいきてる」と言った人がいるらしいがきっしゅんは「どこかのだれかに与えられたなにかを成し遂げるため」じゃないかと思っているがこれも穴だらけの哲学だと自分でも思う。説明しようとするとすべてが「人それぞれの」の言葉でくくられてしまうし、成すことが見えてる人はほんの一握りだと思う。きっしゅんも見えてはいない。というわけで話はもとにもどりまたなにかしらの哲学が思い浮かぶも結局、穴しかみえない・・・。繰り返しだ・・・。それが若いってことなのか?
あーもうやめやめ、話を変えましょう。生きることを考えていると自然と話は「死」へと向かっていく、それは生きることが自然で死は一生に一度だけ経験するものでありその後への恐怖、不安がうずまいているからだ。実際にきっしゅんは小学校の時「命」についてなんでもいいから思うことを書かされた。そのときも自然と考えは死へと向かっていって筆はそれをきちんと書き記していた。生きることはあまりに存在が薄く死と比較しなければ表現しずらかったんだろうね。今思うとなんてことさせるんだと思うがこういうことをして命や死に対する意見を交換しあい、いかに尊いものかを知れば人殺しなんかできないはずなんだろうね。
結局生きるってことについてはなにもわからないけどせっかくどこかの誰かにもらった命だから「生きる」ことを楽しみたいと思う。・・・そっか!「楽しむため」これが生きるってことなのかもしれない。
余談だがいつか死や命についても語ろうとは思う。
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