衝撃のハエデビュー ナイキャッチ! いもおさん 甲子園 遠足 燃えているか 合唱コンクール 体育祭 マラソン大会 お菊さん やっこ兄さん いつも笑顔をくれる 近眼だったと思いたい 暴走教師 人体の不思議 がんばれ 全国区 ねずみ返しはありません 夢で会いました
衝撃のハエデビュー
同じクラスだったM君。 教室に飛来したハエ(蜂だったかも)を手で捕獲しようとする。 その動きは狩人、あるいは得物を狙う猫のよう。 笑、いや衝撃とともに彼の雄姿はクラスメイトの脳にくっきりと刻み付けられたのでした。
ナイキャッチ!
ソフト部の練習時の話。塁間でキャッチボールをしていたときのこと。 ソフト部の顧問だったのかなんだったのか、地理の先生が練習に参加していました。 そのとき私は一塁にいて、本塁からの送球を受けようとしていました。 そのときです。 先生の投げたボールがベースのすぐ手前でバウンドし、私の腰の辺りに飛んできました。 私はそのボールを足で、キャッチしました。太ももと太ももの間で。 内股で立ってたのでしょうか、バウンドしたボールは微妙な位置で静止していました。 笑うしかありませんよね。一番私が笑っていたように思います。 でもとても恥ずかしかった。
いもおさん
ほんとにどうでもいい話です。と前置きしておきます。どうでもいい話なのに忘れられないんです。 一年生の陸上競技会でのこと。 県鶴の陸上競技会は三ツ沢競技場で行われます。 初夏のあっつい日差しの中、走ったり投げたり跳んだりするわけです。 行事の運営には様々な委員会や部活が活躍しますが、 会場アナウンスは放送部が担当していたのでしょうか。 「二年○組、いもおさん、至急表彰台前に来てください。」 この妹尾さんはどうやら優秀な陸上選手らしく、その後何回も呼び出されていました。 「いもおさん」と。
甲子園
ここらで少しいい話を。いや、少しは、いい話を。 私たちが入学した年は、甲子園開催80周年記念大会だかなんだかで、 神奈川県の出場枠が一つ増やされた年でした。 そしてそんな幸運な年に、さらに幸運なことには、 その年の県鶴野球部には優秀な選手がそろっていました。 甲子園常連校のような超優秀な選手がいたわけではありませんが、 県立高校としてはめずらしく優秀なチームで、特にピッチャーに優れた選手がいたということです。 そして県鶴野球部は、ついに38年ぶり(だっけ?)の快挙、(確か)ベスト16入りを果たします。 甲子園予選はまだ授業のある時期に始まるので、私はその様子を見ていません。 ただ新聞などでその快進撃を知るだけでした。 それでもあの時、学校中が何となく明るく、うきうきしていたような気がします。 先生方はホームルームで嬉しげに野球部の活躍を生徒に報告し、 生徒たちもそれを嬉しげに聞いていた、そんな感じです。 そして、ベスト16入りを果たした次の試合相手は古豪・Y高。 この試合だけ、類似スポーツということでソフトボール部も観戦に行くことができました。 確か場所は横浜スタジアムだったはず。 当時、高校生活にも慣れ、ソフト部の自由な空気に触れたことで、徐々に本性を現しつつあった私。 力の限り応援しました。 Y高攻撃時:「今のはストライクだろー!」 県鶴攻撃時:「ボールボール!ボールだよ!」 吐き捨てるように:「審判どこ見てんだか!」 もちろん応援団のコールにあわせて応援もしましたよ。 でも記憶に残ってるのはこっちの方なんですよね・・・。 しかし、有志応援団、ブラバンの懸命な応援も空しく、県鶴野球部は敗北しました。 敗因はエースに負担がかかり過ぎたからだとか、打撃力の差だとか、色々ありましょう。 それでも唯一全国大会に出場できるのが写真部という県鶴にあって、 野球部は本当によくがんばった、本当に奇跡のような快挙を成し遂げたと思います。 彼らのおかげで私は甲子園というもののもつ不思議な魅力というか、力というものを知ることができました。 一年間のこの時期だけ、学校中を浮き足立たせ、野球部員をかっこよく見せ、 南ちゃんに憧れる野球部のマネージャー志望者を増やすもの。 インターハイにはない特別なものが甲子園(予選)にはあるということを、 この年の野球部は高校一年生の私に教えてくれました。 その後、神奈川県からはエース松坂擁する横浜高校ともう一校が出場し、 様々なドラマを作った横浜高校が甲子園で優勝を飾りました。
遠足
県鶴の遠足はクラスによって目的地が違います。 マザー牧場だったり、相模川?だったり、遊園地だったりします。 私のいたクラスは読売ランドに行くことになりました。 遠足といっても現地集合、現地解散ですから、ほとんど一日遊びに行くようなもの。 私もまっちゃんやコスタリカ帰りのKさんたちと思う存分楽しんだ、はずです。 しかし、忘れっぽい私は一年の遠足のことをほとんど覚えていません。 ただ一つ覚えていることは、 小雨の読売ランドの中を巨人の選手がランニングしていたことだけです。
燃えているか
という訳で有志の話です。 「有志」というのは学校のありとあらゆるイベントで大活躍する男子生徒たちのことです。 私の記憶では「有志」という単語が出てきたのは甲子園の有志応援団のときからだと思いますが、 その後合唱コンクール体育祭、文化祭とおよそ舞台が組まれるときには必ず登場していたようです。 私は彼らとは交流がなかったので、 「ああ、またやってるよー。元気だなー。」ぐらいの思い出しかないのですが、 今考えると彼らは県鶴のなんと言いますか、華とでも言うべき存在だったのかな、と思います。 火事と喧嘩が江戸の華であるような感じです。よく分かりませんね。私もよく分かりません。 うーん、強いて言うなら「ああ、またやってるよー。元気だなー。」の後に、 県鶴のイベントはこうでなくっちゃな、とつく感じですか。 そうそう、有志といえば一年の合唱コンクールのとき、 やっぱり有志っぽい方々が出場して、「Stand By Me」を歌ったことがあります。 その間奏の時、有志の一人が進み出て「Stand By Me」の歌詞の和訳を朗読し、 身悶えするような感覚に陥ったことが懐かしく思い出されますね。 これは多分先代の有志の方だと思いますが。ほかに思い出せない・・・。 何はともあれ、彼らの何かをしよう!という熱意にはいつも圧倒されたものでした。 人を集め、計画を練り、物資を調達し、準備をし、練習をし・・・ 大変でしょうにがんばっていたんだろうなあ。 ああ、もう書くことがない。 結局私にとってその程度の思い出なのですが、それでも県鶴の一部として忘れられない人々なんですよね。 県鶴の、私にはないものを持っていた同級生たち。今でも相変わらず熱意を持って生きているようです。 先日届いた県鶴のみのチェーンメールの冒頭にはこうありました。 燃えているか、お前ら。
合唱コンクール
県鶴には合唱コンクールというものがあり、音楽クラスの生徒は必ず出場します。 私も音楽クラスだったので出場しました。 歌ったのは「大地の子」?「大地の歌」?そんな感じの曲だったと・・・ しかし私が覚えていることはただ一つ。 舞台上までが鳩のふんで汚染されていたということだけです。 何気にショックだった。
体育祭
我が母校の体育祭は、OBや保護者が見に行くようなものではない。 整列、入場行進、そんなものはありません。 全校生徒整列と先生が呼びかければ、 楕円形に作られた観覧席から生徒がざわざわとフィールド内に侵入します。 蟻地獄の砂が、すり鉢状の巣の底へずり落ちていく情景を思い浮かべたのは私だけでしょうか。 何気にショックだった。
マラソン大会
毎年冬にマラソン大会が行われます。私、大嫌いでした。 この世で何が嫌いって、長距離走ほど嫌いなものはないんです。苦しい長い救いがない。もう最悪。 三学期は体育の授業でもマラソン、部活でもマラソン、拷問でした。 そんな苦しみに耐え続ける日々もマラソン大会で終わる。 マラソン大会は私にとって最後にして最大の難関でございました。 私遅いんだよー、一緒に行こうねーなどと言っていたクラスメイトたちはいつの間にか遥かかなたへ。 気がつけばすでに周回遅れ。もうやる気も失せます。初めからやる気なんてなかったようなもんですが。 もう冬の三ッ池公園の景色を楽しんじゃいましたよ。 三ッ池公園にはアヒルと鴨がいました。特に鴨はうじゃうじゃいましたね。 そうして逆チャンピオンに近い順位でゴール。 ―――やっとマラソンの授業から開放される! その喜びも束の間、すぐさま来年の苦しみを思って憂鬱になる私。 さらに追い討ちをかけるように、休んだ授業のマラソン補習が私を待っているということが判明するのでした。
お菊さん
ソフト部に入って最初の夏。最初の合宿。 このとき私の最初のあだ名が誕生しました。(確か最初のはず) あ、ちなみに私おじょうの正式名称は「d_ojou・nabona・okiku」です。冗談です。 このときまっちゃんが持ってきた心理ゲームの本、これが事の発端でした。 「お友達のイメージを次の花に当てはめてください。」 そんな設問だったと思います。 心理ゲームは無難にゆきこさんは百合、もげこは向日葵、 けいちゃんはカーネーション、そんな感じで進んでいきました。 そして私は、菊。 このゲーム、当てはめた花でその人に対して抱いているイメージがわかる、 とかそんな感じのものだったはずです。 この設問の診断結果を私は覚えていません。 しかしぴったりだったのか何なのか、私=菊という方程式に一同大受け。 かくして私の初のあだ名は、井戸端で皿でも数えてそうなクラシックなものになりましたとさ。
やっこ兄さん
やっこにいさん。分かる人には分かる。 覚えてますか?あのもんじゃ屋さんを。 やっこ兄さんは、ほっぺの赤い黒髪の若者だった・・・。気がする。
いつも笑顔をくれる
あれは一年の冬のことだった。やっこ兄さんのもんじゃ屋さんで飲み会をしたその後日。 できあがってきたあの二枚の写真は、いつも私の心を和ませてくれます。
近眼だったと思いたい
ある日の放課後、部員みんなで三ッ池公園をランニングしていると、 ソフト部ジャージ姿の私におじいさんが話しかけてきた。 「何部ですか?」 「ソフトボールです。」(見れば分かるじゃん。) 「先生ですか?」 「えっ」 ショック・・・・・・!!!見れば分かるじゃん! 分かる・・・よね?
暴走教師
音楽最初の授業。 びしっと決めるのが好きそうな某先生は、おもむろにピアノを弾き出した。 ショパン「木枯らしのエチュード」 「お前ら、音楽と聞いて、 『この曲は君のために弾くよ』 とかやりたいと思ってんだろ。ははは」 誰も思っていません。思っているのは先生だけです。 最初からスピード出しすぎ、ちょっとすべり気味の某辺先生。
人体の不思議
ラーメン先生、どうして、ブラウスの肩部分が濡れているのですか。それは腋の汗ですか。 我らがソフト部キャプテン永遠の悩み。(←言いすぎ) とりあえず、汗の目立つブルーのブラウスは着ない方がいいよ、と言ってあげたかった。 どじょう亭管理人一生の不覚。(←嘘)
がんばれ
もりお先生! 苦しげに絞り出すような声の校内放送、でも最後まであきらめない先生。 がんばれ!先生が放送するたび心の中で応援していたのは私だけじゃないはず。
全国区
県鶴で甲子園に出るくらい全国区な部活が一つだけあります。 写真部です。 その名も写真甲子園に出場したことがあるらしい。 どこまでも文科系な学校です。
ねずみ返しはありません
ソフト部合宿は学校で行われます。 宿泊施設?神奈川県の一体どこにそんな金があるというのです。 神奈総の冷房費エレベーター維持費を捻出するため県鶴のトイレ修理すらけちっているというのに。 宿泊したのは教室。 寝る場所は机をくっつけて作った即席ベッド。 机ですから非常に高さがあります。高床式とでもいいましょうか。ねずみもびっくりですよ。しかも軋むし。 落下してもいいように脇には椅子が備えてありましたけどね。登るための階段という説もありますが。 お風呂は宿直要員が使う風呂、或いは山の下の銭湯。 調理はセミナーハウスという名のプレハブ小屋のガスコンロで。 洗顔歯磨きはトイレの水道でどうぞ。 大災害の際、学校が避難場所になる理由が分かった気がする4日間でした。
夢で会いました
合宿一夜目。机の軋みがうるさくて眠れない私。 誰かが寝返りを打つたびに軋む、あるいは机同士がぶつかってこんこんと音を立てます。 一向に眠れず展転としていると、隣で眠っていた子がむせたのか咳をし始めました。 苦しそうです。ついに起き上がって咳き込み始めたので私も起き上がって声をかけます。 「大丈夫?むせた?何か飲む?」 「うん、大丈夫・・・」(むせながら) 咳はしばらくするとおさまり、彼女はまた横になりました。そして私もいつの間にか眠ったようです。 翌朝、隣の彼女に私は声をかけました。 「喉は大丈夫?昨日夜中、そうとう苦しそうだったけど」 「え?そう?」 「覚えてないの・・・?!」 私は夢の中の彼女に会ったのでしょう。