アズアドッグ
1
アズアドッグのテーブル席に座り、藤村は客の動きを目で追っていた。
このパブは外人客に人気がある。キャッシュ・オン・デリバリーのシステムが彼等に
受け入れられた結果だった。客の多くは都心から流れてくる在日ビジネスマンだが、
週末になると基地の人間や、素性の知れない男達も集まってきた。
淀んだ煙の中、ジム・モリソンが歌っている。その声は、詩を朗読しているかのよ
うに抑揚がなかった。
不意に長いカウンターの端で、女が耳障りな笑い声を上げた。彼女の細い腰は隣のス
ツールに座った白人の腕の中にある。外人に目がない女達。それはこの店には欠かせな
い備品だ。――男と女と酒。ここで、もめ事の起きない夜はなかった。支配人という肩
書きだったが、実際はそうしたいざこざを片づけるのが藤村の仕事だった。
細身のスーツを着た宮田が、客の間を縫って滑るように近づいてきた。
「やあ、藤村さん、ご苦労さまです」
藤村の前に腰を下ろす。アズアドッグの経営者。以前、藤村が逮捕したこともある男。
彼は藤村の手に握られたグラスを見て薄笑いを浮かべた。
「相変わらずですね。きつい酒は身体に悪い」
「子供がクスリをやるよりはいいだろう」
「ふふ、また古い話を蒸し返すんですね。……ところで、この仕事、気に入ってもらって
ますか。もし何でしたら他の仕事を都合しますよ。遠慮なく言って下さい」
いつもは藤村を苛つかせる言葉を投げつけていくだけの宮田が、今日はやけに上機嫌
だった。
突然、店の奥で怒声が上がった。サラリーマン風の日本人がスツールに座った赤ら顔の
白人に何かを喚いている。白人は体格からすると米兵だろう。
藤村が立ち上がりかけるのを、宮田が右手を上げて制した。
「おっと、まだ話の途中だ。座っていて下さい。藤村さん」
宮田は、騒ぎの方を振り向こうともしなかった。藤村は座り直した。
「ねえ、いい仕事じゃないですか。なにも問題が起きなけりゃ、こうして座ってるだけで
金になる。チンピラを挙げるために汗をかいて歩き廻るよりはずっといい。違いますか」
奥の騒ぎが大きくなった。グラスの割れる音がして、女の悲鳴が続いた。
「でもね、せっかく割のいい仕事を与えてやっているのに考え違いをする奴もいるんです
よ。そういう奴らは必ずしっぺ返しを食う」
宮田は喉の奥で笑った。白い傷跡のある右頬が小刻みに震えた。
再び女の叫び声。日本人の男の手にはナイフが握られていた。白人が立ち上がると、男
がその身体に突っ込んでいった。一瞬の沈黙の後、悲鳴と怒号が店を満たした。ジム・モ
リソンまでもが叫び始めていた。
「商品を掠めてやがったんですよ。殺しはしませんがね、見せしめは必要です」
宮田は藤村の目を見つめたまま低い声で言った。
「何故、わざわざ自分の店でやる?」
藤村は訊き返した。わずかだが、自分の声がかすれているのに苛つく。
「これぐらいの事件は、店のいい宣伝になります」宮田は立ち上がった。「警察が来たら
あなたから説明してやって下さい。女を巡る、よくあるいざこざだと。……元警官の話な
ら誰も疑いはしない」
宮田は来たときと同じように静かに姿を消した。藤村は残っていたターキーを空けてか
ら立ち上がった。
白人は床に座り込んで腹を押さえていた。顔は青ざめていたが大した出血ではない。日
本人はナイフを握ったまま立っていた。地味なスーツを着ているが、中身はそこらのチン
ピラだ。そいつは藤村と視線が合うと微かな笑みを頬に浮かべた。――どうだ、俺、うま
くやっただろう。
藤村は一歩踏み出し、その顎を殴りつけた。男は倒れ、動かなくなった。
彼は、バーテンに命じて、客を送り出させた。やがて、最後の客が消え、店は
上映が跳ねた後の映画館のように虚ろになった。藤村
はスツールに座り、何杯目か分からなくなったターキーを呷った。背後に暗闇が貼り付い
た窓ガラスには、グラスを手にした男が映っている。その顔には生気のかけらさえなかった。
突然こみ上げた苛立ちに、藤村はグラスを床に叩き付けた。だが、肉厚のグラスは砕けもせ
ず、床の上を跳ねていっただけだった。
聞き慣れたサイレンが、遠くから聞こえ始めていた。
2