アズアドッグ

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 廊下に、朝食の匂いが漂っていた。老人の笑い声が病室から聞こえてくる。外の世界よ り闇が深い分だけ、病院の朝は一層明るい。
 ロンも丁度食事を終えたところだった。藤村を見ると顔が強張った。ボブが体の調子を 訊ねている間も、ロンは藤村の顔から目を離さなかった。
「何故、刑事に事故だと言った」
 藤村の言葉を、ボブは素直にロンへ伝えた。二十四時間営業の喫茶店でコーヒーを飲み ながら、余計な口を挟むなとボブに言い聞かせてあった。今朝のことも口止めしてあ る。
「事故だから、事故だと言った」ボブはロンの言葉を言いにくそうに続けた。「なんでこ んな奴を連れてきた。……これは、僕に向かって言ったことです」
「今度は殺すとでも言われたのか」
 ボブが訳す。ロンは首を振った。何も言わなかった。
 藤村はベッドに近づいた。ボブがベッドと藤村の間に身体を入れた。いつもは陽気 な瞳に、怯えの色が滲んでいた。
 河川敷。林を痛めつけていた藤村の姿。ボブはロンを庇おうとしていた。
 何もしやしない、藤村は小声でボブに告げた。ロンが不思議そうにボブと藤村の顔を見 比べていた。藤村は言った。
「今朝、林と会った。昨日、俺がここに来たことを林に連絡したんだな」
 林という言葉を聞いて、ロンの顔色が変わった。ボブが訳すのをきいて一段と色は悪く なった。
「別に、責めてる訳じゃない。林とは話をつけた。宮田も林も俺の仲間だ」
 ロンの表情が少し和らいだ。だが、疑いの色は残っていた。
「あんたがやっていた仕事、俺が肩代わりしている。運び屋だ。あんたが病院を出るまで 手伝ってくれと宮田に頼まれた」
 完全に信用したようだった。根が純粋なのだろう。宮田のような奴にいいように利用さ れるはずだ。
 藤村はベッドの端に腰を下ろした。今度はボブも邪魔をしなかった。
「あんた、商品をくすねたらしいな。自分で使ってみたのか?」
 訳知り顔の作り笑い。自己嫌悪を押さえ込む。
 ロンは乗ってきた。嬉しそうな顔で喋り出す。ボブの戸惑った顔。何度かロンとボブの 間でやり取りがあった。ボブが藤村の顔を見た。
「すごかった、アッパー系のドラッグとしては最高の効き目だ、と言っている。……一体、 あなたやボブは何の話をしてるんですか」
 藤村はボブを無視した。あのドラッグ、何という名前だったかな、おぼつかない英語で ロンに直接訊ねる。
「Zebra」
 ロンが答えた。ゼブラ。
 藤村はボブに目配せをし、立ち上がった。
「早く怪我を治してくれ」
 言い置いて、藤村は病室を出た。ボブが後を追ってきた。
「藤村さん、どういうことなんですか。僕には何がどうなっているのか分かりません」
 藤村は歩調を緩めた。
「ロンが宮田のために運んでいた商品は、ドラッグだった。で、それをくすねたんで、 宮田に痛い目に遭わされたというわけだ」
 ボブは藤村に分からない言葉で悪態をついた。
「覚醒剤ですか?」
「いや、おそらくは合法ドラッグだろう。ロンの言っていたゼブラというクスリだ」
 外に出た。藤村は足を止めた。
「頼みがある」藤村はボブを振り返り言った。「ゼブラというドラッグがどんなものか調 べてくれないか」
 ボブは頷いた。
「会社で調べれば分かると思います…」彼は割り切れない顔で続けた。「でも、藤村さ ん、ロンがあの男達と連絡を取ったのが、どうして分かったんですか」
「ロンは宮田達が怖いんだ。――あんたのことを訊きにきた奴がいたが、俺は何も喋らな かったぜ――。ってことさ。今のロンなら、朝食のメニューさえ宮田に報告しかねない」
 ボブは首を振った。
「それで、林という男があなたに警告をしに来たということですね」
 藤村は車のロックを外した。
「林が自分の意志だけで動いたとは思えない。宮田が後ろにいる」
 自分で仕事に引き込んでおきながら、そいつが仕事のことを知りたがると、たちまち 姑息な手段で待ったをかける。いかにも宮田らしいやり口だった。
「じゃ、僕は電車で行きます。今晩、アズアドッグで」
 ボブが手を振って歩き始める。二三歩行って何かを思いだしたように振り返った。
「藤村さん、英語、発音悪くないですよ」
 藤村は苦笑いして車に乗った。
 昼までにはロンのところにも宮田達からの連絡が入るだろう。藤村とは二度と話をする な。あいつを部屋に入れるな。だが、もう手遅れだ。聞きたいことは聞いた。――ゼブラ。
 宮田に揺さぶりを掛けてやる。 

 
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