アズアドッグ

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 涼子が残していったグラスを、バーテンが片づけていった。藤村は新しい煙草に火を点け、 彼女の残り香を消した。
 カウンターの女達は、代わる代わる媚びた笑い声を上げていた。しばらくすると、彼女達 は、気に入った男とペアになり、店のあちこちのテーブルに分かれていった。昼間は普通の OLなのだろう。だが、こういう遊び方を覚えてしまえば、一度痛い目に遭うまでは、自分 からやめることなどできはしない。
 宮田が店に入ってきた。細身の身体に濃い紫色のスーツを着けている。
「藤村さん、大丈夫ですか」
 薄ら笑いを浮かべ、宮田は藤村の向かいに座った。
「林の奴が、とんでもないことをしちまったようで、この通りです」宮田は頭を下げた。「あ いつもまだ若いんで、弟分があなたに殴られたときいて頭に血がのぼっちまったみたいです」
 彼は目を上げて藤村の顔を見た。
「まったく、最近の奴は礼儀ってものを知らないから、あんなことになるんです。まあ、あい つも手の骨にひびが入ってたようですから、ちょっとは懲りたでしょう。藤村さんも、あ いつの怪我と、私の顔に免じて、今回のことは水に流してやって下さい」
 藤村はそれには応えず、煙草をふかし続けた。眼球のかたちのまま丸く膨らんだ瞼の下で、 宮田の目が徐々に細くなった。まるで、カメレオンの目だ、藤村はそう思った。
「ただ、藤村さん、仕事に興味を持ってもらうのは結構ですが、話を聞きたければ直接私に 言って欲しいもんです。それだけは、覚えておいて下さい。藤村さんとは永い付き合いをさせ て欲しいと思ってるんですから、お互いにフランクにいきましょうよ」
 藤村は紫煙を宮田の頭の上めがけて吐き出した。
「あいつがこのままおとなしく引き下がるとは思えないな。若い連中のいる前で車に連れ込ま れ、痛めつけられて帰ったんだ。それも素人にだ。面子が立たないだろう」
 宮田は首を振った。
「林はああ見えてもインテリなんですよ。腕っ節だけのチンピラじゃない。自分がどうするべ きかはわきまえている男です」
「いいだろう、俺ももうあの仕事のことは探らないようにする。あんたが俺を信用して、自分 から話してくれるまではな」
「さすがは、藤村さんだ。物わかりがいい。……なに、すぐに私の方から色々相談させてもら うようになりますよ。あなたの経験、度胸、頭、全てが私には必要なんですから」
 宮田は席を立った。きれいに撫でつけられた頭髪が、照明の下でゴキブリの羽根のように 光った。
「そうだ、明日の夜、胡蝶蘭に来てもらえませんか。次の仕事の話をしましょう。……十一時 に来て下さい。ここは、彼等にまかせておいたらいい」宮田はバーテン達を顎で示した。「 彼等も藤村さんが仕込んでくれたおかげで随分しっかりしてきたようですしね」
 藤村はグラスを口にあてたまま頷いた。宮田は頬の傷をひきつらせて笑うと、きびすを返し、 店を出ていった。
 宮田が自分の言葉をどこまで信用したのか、藤村には分からなかった。ただ、今、あの仕事 から遠ざけられてしまうわけにはいかなかった。
 理由はふたつ。
 ゼブラはどこかで辰野に繋がっているかもしれない。辰野がはまってしまっていること、そ れは同時に自分が警察から逐われることになった遠因でもあった。何が起きているのか、起き ようとしているのか、確かめたかった。辰野のためなのか、涼子のためなのか、自分のためな のか、それは分からない。在職中に染みついた刑事根性がそうさせているだけなのかもしれな かった。いずれにしても、林を痛めつけることによって深入りしてしまったからには、後戻り もできない。宮田がどう言おうと、林が簡単に藤村のことを忘れるはずがない。中途半端で手 を引くのは余計に危険だった。
 もうひとつの理由は金。藤村には金が必要だった。その金の出所がどんなに汚いところで あったとしても関係ない。免罪符を買うには、まとまった金が必要なのだ。いつの時代でもそ れは同じことだった。


 
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