アズアドッグ
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ボブが店の奥から歩いてきた。カクテルグラスを右手に持っていた。
「今のが宮田という男ですか」
彼は今まで宮田が座っていた椅子に掛けながら藤村に訊ねた。藤村は目で頷いた。
「嫌な感じの奴ですね。それにスーツの趣味も悪い」
「いつ来たんだ。気付かなかった」
「つい、さっきです。藤村さんが彼と話しているのが見えたので待ってたんです」彼は
カクテルを一気に飲み干した。「藤村さんの顔付きを見て、相手が宮田だろうと思いまし
た。まるで、イグアナのような顔ですね、彼は」
ボブは空になったグラスをテーブルの端に寄せ、ジャケットの内ポケットから折り畳ん
だ紙を取りだした。紙を広げて藤村の方に押しやる。そこには「ウェブドラッグセンター」
という文字が大きくプリントされていた。
「インターネットで捜しました。国内未承認薬の個人輸入を代行しているサイトのプリント
アウトです。そこに『ガルポネラ・マスター』という薬が載っているでしょう」
彼が指さす先を藤村は見た。薬の名前の後に、簡単な説明文がつけてある。――アッパー
系ドラッグ。アメリカでは長距離トラックの運転手に人気がある。ヤセ薬としても用いられ
ている――
「それが、ゼブラのことです。ドラッグを扱っている他のサイトに、別称として書かれていま
したから間違いないと思います」
藤村は、ページの下の価格表を見た。
「一瓶五十錠入りで五万円か。いい商売だな」
藤村の言葉にボブが頷いた。
「一時期は例のインポテンツ用の薬がインターネット上を賑わしていたようです。かなり荒稼
ぎをしたひともいたと聞いています」
「柳の下のどじょうか……」
ボブは意味が分からなかったようで、片方の眉を上げてみせた。
藤村は過去の記憶を辿った。確かにこういうケースだと、個人輸入の代行という形態を
守っている限りは違法性はなかったはずだった。しかし、個々人の依頼無いまま、販売目的
で大量に仕入れたとなると話は別だった。ただ、それが露呈したとしても、覚醒剤を取り扱
うことに比べればはるかに罪は軽いに違いなかった。
「宮田が売りさばくとすれば、やはりインターネットを使っているんだろうか」
「そうでしょうね、それが一番手っ取り早いと思います」ボブは近くを通りがかったバーテン
にカクテルの代わりを頼んだ。「しかし、藤村さんはどうしてこの薬のことを気にするんです
か。まるで、刑事みたいです。まさか…」
藤村は笑って答えた。
「勘ぐりすぎだ。ちょっと気になることがあるだけだ。だが、これでお終いだ。ボブももうこ
の件は忘れるんだ。ロンのこともあきらめた方がいい」
ボブが気色ばんだ。
「あきらめる? それはどういうことですか」
「ロンは宮田達から逃れることはできないだろう。あれだけびびってるんじゃどうしようもな
い。これ以上、ロンに関わり合えば、ボブ、お前もやっかい事に巻き込まれる」
ボブは目を伏せた。
「だからといって、ロンを放っておくわけにはいきません」
藤村は灰皿の上でくすぶり続けていた煙草を荒々しく潰した。
「お前は林に顔を覚えられている。あいつらがどういう人間なのか知らないんだろう。少し
腕っ節が強いだけじゃどうにもならないんだぜ。この店も今日を最後にしろ。ロンにも近づく
んじゃない。分かったか」
ボブは弱々しく首を振った。バーテンが新しいグラスを置いていった。ボブはそれに目もや
らないまま立ち上がった。一度口を開きかけ、閉じた。藤村に背を向け、そのまま歩き始めた。
広い背中がドアの向こうにゆっくりと消えていった。
藤村はバーテンにボブが残していったカクテルを片づけさせ、自分のグラスにバーボンを
注いだ。琥珀色の酒は、藤村の口腔の乾きを癒やしていった。ボブの置いていった紙をもう
一度読んだ。だが、目は文字を追っていても、ボブが最後に見せた淋しそうな顔が藤村の頭
からは離れなかった。
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