アズアドッグ

19


 名刺に刷られた住所を頼りに訪れた場所には、薄汚れたマンションが建っていた。外壁には幾つもの ひび割れが走り、雨染みが気味の悪い模様を描いている。
 公衆便所のような臭いのするエレベータに乗り、四階へと上がる。箱を降りると、目の前に404と 書かれたドアがあった。表札は掛かっていない。藤村はインターホンを押して待った。ドアの向こうで 気配がするまでしばらくかかった。ロックを外す音に続き、ドアが薄く開く。チェーンは掛かったまま だった。
「だれ?」
若い男の顔が覗いた。
「金森さんを訊ねてきた」
「名前は」
「藤村だ」
 一度ドアが閉まり、チェーンを外してから、もう一度押し開けられた。
 藤村は男に続いて部屋に入った。ワンルーム。フローリングの床は、本来なら靴を脱いで上がるべきなのだろ うが、誰もそんなことは気にしていないようだった。藤村も土足のまま上がり込んだ。男は藤村にかまい もせず、壁際に置かれたデスクに戻り、パソコンのキーボードを叩き始めていた。藤村は視線を男の背中から 部屋の中へと移していった。デスクはふたつ。その上にはパソコンが一台ずつ。ベランダへ続くガラス戸の側 には安っぽいカラーボックスがあり、フロッピーディスクや、雑誌が乱雑に突っ込まれている。デスクと反 対側の壁には、簡単な調理ブースがあり、電気コンロとポット、コーヒーメーカーが置いてあった。 その下、壁の窪みには備え付けであろう小さな冷蔵庫が納まっている。
 藤村は再び男の背中に視線を戻した。
「金森さんはどこだ」
 藤村の問に、男は振り向きもしなかった。
「食事。すぐ戻ってくる」
 ジーンズにブルゾン、肩の下まで伸ばした髪。まだ、二十五にはなっていないのだろう。学生と言われれば そう思えるし、チンピラだと教えられればそれも納得できる。そんな印象の青年だった。
 藤村はベランダに近づき、内ポケットから煙草を抜き出した。ガラス戸をわずかに開いてから、煙草に火を 点ける。彼が吐き出す煙は、冷たい風がすぐにかき消していった。
「いつからここで働いている?」
 男は何も聞こえなかったかのように、キーボードに指を這わせ続けていた。藤村は空いている方のデスクの 椅子を引き寄せ腰を下ろした。
「金森さんとはどういう関係だ」
 男はちらっと藤村を見ると、人差し指を唇の前に立てた。パソコンの画面上では、藤村には訳の 分からない文字列が、激しくスクロールしていた。
 表のドアが開く気配がし、部屋の淀んだ空気が揺れた。
「なんや、鍵が閉まってへんがな」
 すっとぼけた声を上げながら、金森が部屋に入ってきた。
「おう、藤村さん。来てくれはったんやな」着ていた革ジャンを脱ぎ捨て、部屋の隅へ放り投げる「待ってて や、今、コーヒーいれるよってに」
 意外に軽快な動きでコーヒーメーカーをセットしていく。手を動かしながら首だけ回す。
「加納ちゃん、挨拶は済ませたんかいな」
 加納と呼ばれた男は藤村の方を向くと、加納です、よろしく、と呟くように言った。言葉に力は無かったが、 目の色は強い意志を感じさせた。
「すんまへんな、愛想無しで。パソコンに詳しいから言うて宮田はんが連れてきてくれた子なんやけど、なんせ 人当たりが悪うてな」
 口振りほど、加納のことを持て余している風ではなかった。むしろ、気に入っているのではないかと、 藤村には思えた。
 コーヒーの香りが濃く漂い始めた。金森は両手に持ったカップを藤村の前のデスクに置き、壁際に立て掛けて あったパイプ椅子を開いて腰を下ろした。藤村はカップを手に取った。
「つまり、彼はあんたのお目付役ってことか」
 金森は目を丸くした。
「このぼんが?……なるほどなあ。どうなんや、加納ちゃん、そういうことなんかいな」
 加納は画面に目を据えたまま、口の端を曲げて笑っただけだった。金森もつられて笑いだした。
「まあ、それはないんと違うかな。わても、監視をつけられるほど悪いことはしてへんし。それに、もしスパイ やったらもう少し愛想のええ奴を寄越すんと違うか」
 そう言ってひとり頷くと、コーヒーを飲み干した。
「それより、藤村はん、あんたや。宮田はんはあんたに仕事を手伝わせてやってくれ言うんやけど、正直、何を 頼んだらええんかわかりまへんのや。どっちかいうたら、あんたがわてのお目付役なんかと思ったんやけどな」
「それこそとんだ見当はずれだ」藤村は部屋をもう一度見渡した。「ところで、商品はどこに置いてあるんだ?」
「ああ、ここには置いてまへん。あんなもんをこってり置いてるところに踏み込まれでもしたら、言い訳きき まへんがな。わてらがやってるのはあくまで個人輸入の代行やから、依頼を受けとる以上の商品があるとお かしな話でっしゃろ」
 代行サービスであれば、本来なら、客の依頼を受けてから輸入の手配を取ることになる。ただ、毎回そんなこ とをしていれば、手間も金も余計にかかる。一括輸入しておき、注文があれば小出しに売るというの が彼等のやり方のようだった。
「そんな心配をするということは、警察にパイプを持っていないんだな」
 金森は大きなあくびをした。
「さあ、どうでっしゃろ。宮田はんのことやからそのぐらい確保しとっても不思議ないけど、話を聞いたこと はないわな。……そういえば、藤村はんも警察にいてはったらしいな。もし、手入れの情報でも入るんやったら よろしゅうにお願いしまっせ」
「あいにくだがそっちの方では役に立ちそうもない」藤村はカップに口をつけた。「しかし、荒稼ぎをしてい る割にはひどい部屋だな」
 金森は首を振った。
「確かに、今はゼブラで稼いでますけどな。ほんのいっときやで、金になるのは」金森は加納が使っているパソコ ンを顎で示した。「うちと同じ様な商売をしているところがどれだけあるか分かりまっか。ざっと、五十はあ りまっせ。何の商売でも一緒やけど、値段のたたき合いはすぐに始まるよってにな。儲けになる期間は限られ てますんや。いかに早くヒット商品を見つけて、いかに早く手じまいするか、それがこの商売の秘訣でっせ」
 藤村は二本目の煙草に火を点けて、金森の言葉を反芻した。金森は喋り続けた。
「まあ、うちとこも最初は結構儲けたけど、ならせば大した額じゃありまへんわ」
「じゃあ、宮田は何故そんな仕事に関わっているんだ。もっと他に儲け口はあるだろうに」
 一瞬、金森の目が泳いだ。が、すぐにいつもの落ち着きを取り戻した。
「一発ものがあるよってに。ゼブラの初めの頃がそうや。一回、いい思いをすると忘れられんもんやからな、 人間っちゅうやつは」

 
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