アズアドッグ
24
チャイムを押すと加納がドアを開いた。金森の姿は部屋の中になかった。壁の時計を見る。午後二時。
「昼飯にしちゃ遅いな」
「今日は出てこないと思いますよ。金森さんなら」
パソコンの画面から目を離さずに加納が答える。藤村はベランダの方に行き、椅子に座った。
昨夜痛めた脇腹が疼いた。ガラス戸を薄く開き、煙草に火を点けながら言った。
「金森という男、商才はあるのかい?」
加納は小さく首を傾げた。
「何故そんなことを?」
「如才ないというには、ちょっとばかしひとが良すぎる感じだ。案外、商売が下手な奴だという気が
する」
加納は笑った。皮肉のこもっていない加納の笑顔を見るのは初めてだった。
「当たっていますよ。かなり抱えているみたいです」
「何を?」
「借金ですよ」
加納は画面から目を離し、藤村を見た。
「この仕事にも乗り気じゃなかったらしいんですが、宮田の舎弟だった男に借金してて、断りきれ
なかったみたいです」加納は言葉を切ると、開かれたガラス戸に目をやった。「何故いちいち開けるんですか?」
藤村は肩をすくめた。
「部屋に煙がこもると迷惑だろう」
加納は片方の眉を持ち上げ、懐から煙草を取り出した。ブックタイプのマッチで火を点ける。
「金森さんも僕もスモーカーです。遠慮はいりませんよ」
金森の話題を出したことで、加納は打ち解けたようだった。歳は親子ほど離れている
が、加納と金森は気を許しあっているのだろう。加納はくわえた煙草を二三度ふかすと、すぐにアルミの
安っぽい灰皿の上で押し消した。
「うまく吸えないわけじゃないんですよ」藤村の視線を感じたのか、加納は少し照れたように言った。
「ガキのときにいきがって煙
草を吸ってたら言われたんです。フィルターの近くまで吸うと身体に悪いって。それ以
来ちょっとふかしたらすぐに消す癖がついちまって」
藤村は何も言わず、灰皿を見ていた。ケントは珍しくない。だが、先っぽが少し灰になっただけのケ
ントの吸い殻となると話は別だった。藤村は灰皿から視線を上げ、加納を見た。
「宮田の紹介でここに来たんだったな。奴とはどういう関係なんだ」
加納の目から親しみの色が消えた。彼は椅子の上で身体を回すと、再びキーボードを叩き始めた。藤村は
しばらく加納の横顔を見つめた後、ジャケットのポケットからフロッピーを取り出し、デスクの端に乗せた。
加納はそれを横目で捉えたが、何も言わなかった。
「宮田に預かった。新しい顧客データらしい。金森に渡してくれと頼まれたんだが、君に渡して
おいても差し支えないだろう」
加納は頷き、フロッピーを一番上の引出の中にしまい込んだ。
「宮田は、ここ以外にも顧客の開拓ルートがあると言っていたぜ。君は知っているのか」
加納は小さく首を振った。もう、何を訊いても無駄なようだった。藤村は灰皿で煙草を潰し、立ち
上がった。
「じゃあ、また明日な」
加納は口の中で小さく言葉を返しただけだった。
藤村はマンションを出て、裏道に停めておいた車に乗り込んだ。エンジンをかけ、車を建物の正面に回す。
マンションのエントランスが見える場所に車を停め、エンジンを切った。
シートを倒し、身体を低くしておいてから、FMをつける。ヒットチャートのトップテンに自分の
知っている歌手がひとりも入っていないことが分かったとき、ようやく加納がマンションから出てきた。
アーミー風のジャンパーを着て、両手をジーンズのポケットに突っ込み、前屈みで足早に歩いて行く。藤村は
エンジンをかけてフットブレーキをゆっくり緩めた。徐行しながらしばらく加納を追った後、駅に向
かっているのが分かると、彼を追い越し駅前の駐車場に車を突っ込んだ。加納が駅の階段を上り始めたのを
見てから、車を下り、後を追う。駅は勤め人達で混み始めていたが、背の高い加納を見失う心配はなかった。
加納は二駅乗ってから、電車を下りた。駅前の繁華街をぶらぶらと下っていく。本屋に入ると、週刊誌を
捲り始めた。だが、その視線は文字を追っておらず、いかにも上の空という感じだった。立ち読みをしている間、
加納は何度も腕時計を覗いた。三十分ほど時間を潰した後、向かいの
バーガーショップへと彼は移動した。加納がトレイを持って店の中程の席に腰を下ろすのを見てから、藤村は
本屋へ入り、加納の動きが分かる位置に立った。適当に本を手に取りながら加納の動きを目で追う。加納が
また腕時計を見た後、席を立ちトイレに向かった。藤村も自分の時計を確認した。五時ジャストだった。
加納が動いてからしばらくすると、奥の席に座っていた黒っぽいスーツを着た男もトイレへ入っていった。
やがて、加納が席に戻った。彼はそのまま座らずに、トレイを持つと、食べかけのバーガーをゴミ箱に捨て、
店を出てきた。彼はまた前屈みの姿勢で駅の方へと歩き始めた。
藤村は加納の後ろ姿を見送ってから、二分待ち、バーガーショップへと入っていった。グレイのスーツを
着た男の後ろ姿はまだそこにあった。藤村はレジでコーラだけを買うと、その男の方へと近づいた。遠目で
見たときは確証が持てなかったが、近くで見る猫背の後ろ姿は間違えようがなかった。藤村は男の側に立ち
男が顔を上げるのを待った。男は手元のポテトに落としていた視線を、藤村の方へ向けた。目が大きく開か
れた。
「藤村、藤村じゃないか」
藤村は男の向かいに腰を下ろした。
「久しぶりだな、辰野」
広い額の上にの柔らかな巻き毛。八の字に垂れ下がった眉。縁無しの小さな眼鏡。今にも
泣き出しそうに瞬く気弱な目。だが、顔からは想像も付かない芯の強さを持っている。それが藤村の知っている
辰野という男だった。
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