アズアドッグ

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「座ってくれ。しかし、一体どうしたっていうんだ。こんなところで」
 藤村は辰野に勧められるまま腰を下ろした。
「昼間は暇なんだ。いつもこうしてぶらぶらしている」
 そうか、と呟き辰野はテーブルの上に目を落とした。
「すまなかったな。あのときは、まったく役に立てなかった。もっと早くにお前に会って謝っておきた かったんだが…。ちょっと俺の方もばたばたしててな」
「お前が気に病むことは何もない。酒を飲んで事故を起こして、当然の結果になったまでだ」
 コーラを一口飲む。妙に甘ったるかった。辰野が顔を上げ、目をまぶしげに瞬かせた。
「署内で、どう言われているか、お前自身が一番良く知っているだろう。――飲酒事故を起こしておきながら 上手く立ち回り、懲戒免職を免れて退職金まで手に入れた奴――」眉が一層垂れ下がった。「ひどい話じゃ ないか」
「身から出た錆というやつさ」
 辰野は首を振った。
「お前は飲酒運転をしていたことを認めて、それ相応の罰を受けるのを望んでいた。だが、署内の事情が それを許さなかった。あの頃、うちの署は問題を抱えていたからな。――ひとつは、凶器を持っていない 窃盗事件の容疑者を警官が射殺してしまったこと。もうひとつは、刑事が改造拳銃を自宅に所持していたのが発 覚したこと。――そこに、お前の事故が起きた。三件が全て一週間の内の出来事だ。お偉いさん達は、問題の 数を減らしたかった。だから、お前が事故を起こしたとき、一滴の酒も飲んでいなかったこ とにして処理しようとした」肩を小さくすくめた。「幸い、署内の人間以外に、事実を知っているものはいな かったからな」
「最後の判断は俺がした。誰も責めることはできないさ」
「いや、お前が随分抵抗したことは聞いている。飲酒運転をしていたことを前提に処分を受けたいと言い 張ってな。そうなんだろ」
 辰野は藤村が答えるのを待った。が、藤村はレジに出来た列を黙って見つめているだけ だった。辰野はまた目を伏せ、小声で言った。
「後悔していないのか」
 あれ以上我を通せば、世話になったひとにまで迷惑を掛けることになった。 結局、上の意向を受け入れた。後に残ったのは割り切れない思いと、苛立ちだけだった。自棄になった末、 ふと気が付けば、アズアドッグで毎晩酒を呷る自分がいた。
「後悔? するわけないだろう」
 辰野は強張らせていた肩の力を抜いた。
「相変わらずだな、藤村は」
 藤村は苦笑いを噛みつぶした。
「それより、辰野、お前こそここで何をしているんだ。勤務時間中だろう」
 一瞬、顔を緊張がよぎった。が、それはすぐに穏やかな表情の下に隠された。
「ちょっと、時間が空いてな。晩飯代わりに食っておこうと思ってさ」
 トレイの上のハンバーガーを目で示した。そして、しばらく黙り込んだ。何かを話すのをためらって いるのが藤村には分かった。藤村は辰野が口を開くのをじっと待った。
「家に帰っても晩飯がないもんでな」目がテーブルの上で泳いだ。「実は、涼子 と別れたんだ」
 女子高生の集団が、笑い声を上げながら、近づいてきた。彼女たちが側を通り過ぎるのを待ってから 藤村は言った。
「何故なんだ」
「俺の勝手だ。涼子には申し訳なく思っているんだが」
「彼女は納得したのか」
 辰野はおどけた様子でポテトをつまみ上げ、口にくわえた。
「ああ、理由も説明しなかったのに、承諾してくれたよ」
 頬に自嘲が浮かんだ。藤村はコーラの入ったカップを弄びながら、どうやって辰野から話を引き出すかを考えた。 だが、藤村が口を開く前に辰野が話を継いだ。
「涼子は、俺と結婚する前に、お前とのことを話してくれたよ。それを知っても俺の気持ちが変わらないの なら結婚して欲しいといってな」
 藤村の脳裏にホテルのベッドの上で、身を硬くしてすわっている涼子の姿が鮮やかに蘇った。まだ六月だとい うのに妙に蒸し暑い夜だった。その頃は涼子をドライブに連れていくのが 辰野の役目で、酒場を連れ回すのが藤村の役目だった。カクテルを飲んでバーを出るまでは、いつもと同じ夜 だった。だが、駅に向かう道で涼子は急に立ち止まり、藤村を見上げたまま動かなくなった。その夜がふたりで 過ごした最初で最後の夜になった。
 涼子と婚約することになったと、辰野から聞かされたのは、それからわずか二週間後のことだった。
「別れてしまった後にふと思ったんだ。あいつはあの事を負い目に感じていて、俺が離婚を切り出しても 理由さえ訊かなかったんじゃないか、ってな」
 辰野がふたりのことを知っていたのは意外だったが、涼子の性格を考えれば、むしろ自然なことではあった。 変なところで義理堅く、隠し事のできない女だった。藤村は返す言葉を見失ったまま、辰野から目を逸らし、 表通りを行き交うひとに目をやった。
 辰野はカフェオレをストローで吸ってから、さりげなく言った。
「実は、子供を引き取ることにしたんだ」
 藤村は辰野の顔に視線を戻した。
 

 
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