アズアドッグ

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「その子がちょっと問題のある子でな。そのまま引き取れば涼子に迷惑を掛けることになる。 だから、別れることにしたんだ」
「どんな問題なんだ」
 辰野はそれには答えず、ポテトを口に運んだ。喋りたくないことは、どんなことがあっても 喋らない。そういう頑固なところもある男だった。藤村は質問を変えた。
「何故、彼女に話してやらなかったんだ」
 困ったような笑いを浮かべた。
「それを聞けば、涼子はどうすると思う?」
 どんな問題があってもその子を一緒に育てようと言うだろう。藤村は小さく頷いた。
「涼子は俺と別れてもやっていける。だが、その子は俺が引き取ってやらないとだめなんだ」
「どういう関係なんだ、その子と。……と訊いても無駄なんだろうな」
「ああ、済まない。あまり話したくないんだ。そのことは」辰野は腕時計を見た。「そろそろ 行かなくちゃいけない。また、ゆっくり会おう」
 トレイを持って立ち上がり、近くのダストボックスに食べ残しを捨て、まだ座ったままで居る 藤村を振り返った。
「飲み過ぎるなよ」
 藤村は笑って頷いた。辰野も笑みを返すと、背を向けて店を出ていった。
 藤村はコーラを捨て、ホットコーヒーを買い直し、席に戻った。そして、今まで向かいに座って いた男が、何に巻き込まれているのかを考えた。コーヒーが冷めても答えは出なかった。後ろの テーブルで上がる女子高生の嬌声に押されるようにして席を立った。

 八時過ぎにアズアドッグへ入り、ひとりでテーブル席を温めた。誰も相手をしてくれる人物は 現れなかった。須賀見も涼子も林も、宮田でさえも。十一時になってから藤村は携帯をダイヤル した。
「胡蝶蘭です」
 舌っ足らずな女の声が出た。
「みゆきさんはいるか」
 女は誰何することもなく、電話口の向こうでみゆきの名前を叫んだ。やがて、受話器にひとの 口が近づく気配がした。
「はい」
 水商売にしては、そっけない声だった。
「今晩、家に行っていいか」
 しばらく間が空いた。声の主を探っているようでもあり、どう答えるべきかを考えているよう でもあった。あるいはただ怒っているだけかも知れなかった。
「一度抱いた女は自分の女だと思っているの。随分子供っぽい考えね」
 どうやら最後のが当たっていたらしい。
「話を聞きたいことがある。邪魔の入らないところで」
 受話器の向こうでみゆきの名前を呼ぶ声がした。彼女はいらだたしげにそれに答えてから、 藤村に告げた。
「二時に来て。部屋番号は覚えてる?」
 藤村は覚えていると答えた。彼女は別れの言葉も言わずに電話を切った。
 携帯を仕舞って席を立った。バーテンが何事かと近づいてくるのを手で制して、カウンター 越しに手を伸ばし、ダーツを取った。
 ボードに向かって何度か投げた。自転車に乗るのと同じで、一度要領を覚えてしまえば、しばらく 遠ざかっていても、極端に腕が落ちることはない。今日も調子は悪くなかった。須賀見がいないのが 残念だった。近くのテーブル席に座っているアベックが、興味深げに藤村がダーツをダブルブルへ 突き立てていくのを見ていた。もし、彼等が望むのならダーツを教えてやってもいいと考えている 自分に気付き、藤村は胸の内で苦笑した。しばらく前の自分なら考えられもしないことだった。一連の出来事 は決して愉快なものではなかったが、自分を自堕落な生活から引きずり出そうとしているのは確か だった。この調子だと、須賀見に誘われているダーツの大会にさえ出かねない。藤村はもう一度 苦笑いした。今度は表情に出てしまったようで、アベックの女の子が不思議そうに藤村の顔を見ていた。  

 
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