アズアドッグ
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地下の来客用駐車場にセダンを突っ込んで、ガラス張りのエレベーターホールへと入った。
壁に取り付けられたパネルのテンキーに、みゆきの部屋の番号を打ち込み、しばらく待つ。
彼女の声がスピーカー越しに聞こえてきた。電話のときほど不機嫌そうではなかった。
応答の後、電子音とともにロックが解除され、自動ドアが開いた。
彼女も部屋に帰って間がないようだった。薄いピンクのスーツを着けて、店で発散させている
匂いをそのまま身に纏っていた。彼女は藤村をドアの中に入れると、ピアスを外しながら
さっさと長い廊下をリビングへと向かった。
藤村がリビングに入ったときには、彼女はソファーに座り、長い足を伸ばしていた。どう
したら自分の身体が美しく見えるかを知り尽くしている女の座り方だった。
「疲れているの。話があるのなら早くしてもらえないかしら」
藤村はソファーの向かいにあるサイドボードに背中を預けて、煙草を取り出した。火を点けて
おいてから、ガラストップのテーブルに乗っている灰皿に目をやった。
「今日は、灰皿をきれいにしてるんだな」
「それがどうしたって言うの」
彼女もつられたように煙草を出した。
「この前来たときは、吸い殻が随分溜まっていた」藤村は肺に流し込んだ最初の一服をゆっくりと
吐き出した。「その中にはケントの吸い殻もあった」
彼女は少し興をそそられたようで、先を続けろとでもいうように煙草を挟んだ手を動かした。
「金森のオフィスにもケントを吸っている奴がいる」
しばらくの沈黙の後、みゆきが噴き出した。
「ねえ、ひょっとして妬いてるの。その男と私が関係あると思って?」
藤村は笑わなかった。みゆきもすぐに笑いを消した。
「ケントなんて珍しい煙草じゃないわ」
「ああ、ケントは珍しくない。だが、先がほんの少し焦げただけの吸い殻なんて、そうあるものじゃない」
みゆきは、真意を探るようにじっと藤村の顔を見つめた。そして、小さくため息をついた。
「弟なのよ、あいつ」
藤村はソファーに近づき灰皿に灰を落とした。
「彼に、煙草の吸い方のアドバイスをしたのは君ということか」
みゆきは首を振った。
「そんなことまで聞いたの。……でも、残念ながらそれは姉のことよ」唇を微かに歪めた。「あの子は私の
言うことなんか聞きやしないわ」
彼女は座り直し、空いたスペースに腰を下ろすよう、藤村に目で促した。
「姉さんとあの子はふたりとも出来が良かったから、仲良しだったわ。私はこんなんだから除け者よ、昔から」
「それでも彼は、ここに遊びに来ている」
みゆきはまた首を振った。
「お目付役みたいなものよ。私がろくでもないことをしていないか、チェックしに来るのよ。たとえば――」
藤村は彼女の言葉の後を取り、続けた。
「たとえば、変な男を引っ張り込んで、クスリを飲みながら快楽に浸っていないか、とか」
そういうこと、と彼女は言った。その目に、ようやく和んだ色が浮かんだ。藤村は彼女の横に腰を下ろした。
「彼は宮田とはどういう関係なんだ」
「私が宮田に紹介したのよ。あの子に頼まれて」彼女は煙草の煙を天井に噴き上げた。「今はそれを後悔してるわ」
藤村が口を開きかけるのを制して彼女が続けた。
「私と宮田の関係なら訊かないで。この前も言ったと思うけど、話したくないのよ。ただ、これだけは教えて
あげるわ。――あいつと身体の関係はないのよ。一度、私を無理矢理犯そうとしたけど、途中で役に立たなく
なったの。それ以来、私には指一本触れようともしないわ」
「それでも、ここの家賃は奴が払っている」
「そうよ。気に入らない?」
「いや、俺には関係のない話だ」
「そうね」みゆきの声音が冷たくなった。「もう、いいかしら。休みたいんだけど」
藤村は煙草を灰皿で押しつぶし立ち上がった。
「あの子に伝えて頂戴」みゆきも煙草を置いて立った。「余計なことはしないで、って。私は今の生活が
気に入ってるの。邪魔をして欲しくないのよ」
「彼が何をするって言うんだ」
「知らないわ。でも、ろくなことを考えていないのは確かよ。巻き添えを食うのはごめんだわ」
「分かった。伝えておこう」
藤村はみゆきの部屋を出た。エレベーターが止まり、静かに扉が開くと、中からあふれ出した冷気
が、藤村の頬を凍り付かせた。
無理もなかった。十二月はもうそこまで来ていた。
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