アズアドッグ

38


 ロンのアパートはすぐに見つかった。藤村は外階段を音を立てずに上り、ボブから聞いた 部屋番号のドアをノックした。微かな気配が薄いドアの向こうで動いた。
「俺だ」
 藤村が低く言うと、施錠が解かれ、内側にドアが開いた。部屋に一歩踏み入れると、嗅ぎ 慣れた臭いが鼻を突い た。ボブの電話を受けたときから予見していたものの、実際にその空気に触れると身体が強 張るのが分かった。血の気の引いた顔で突っ立っているボブの側を抜けて、臭いの元に近づいた。
 ロンはパイプベッドいっぱいに身体を伸ばして横たわっていた。その胸にはアーミーナイフ が垂直に刺 さっている。刃は深くロンの身体に埋まっていたが、チェックのシャツに滲んだ血はそれほ ど多くはなかった。見開かれたまぶたの奥で、青い瞳が意志のこもらない輝きを放っていた。 その目の回りは青黒いあざに囲まれ、鼻はおかしな具合に曲がっていた。だが、顔に血はついて おらず、それが凄惨な印象を和らげていた。
「説明してくれ。何があったのか」
 藤村の言葉に、喉仏を何度も上下させてから、ボブは応えた。
「ロンが午前中に退院したんで、その祝いで飲みに行く約束 をしていたんです。ドアをノックしても返事がないので入ってみたら……」
 ボブはロンの死体の上に視線を泳がせた。
「鍵は掛かっていなかったのか」
 ボブは頷いた。藤村はベッドに近づきロンの手首を掴み、軽く持ち上げた。既に硬直は始 まっている。死後三、四時間は経っているようだった。藤村はそっと手を離すと、ボブの方 を振り返った。
「何故、俺を呼んだ」
 ボブは目を伏せた。
「僕の代わりに警察へ連絡して欲しいんです」
「どうして自分でしない?」
 首を振ると、強い口調で答えた。
「あいつに復讐するんです。警察に時間を取られたくない」
「――林のことか」
 ボブは頷き、唇を噛みしめた。
「何故林の仕業だと?」
「ロンは林に会うのを怖がっていました。きっと、何か具合の悪いことを 隠していたんだと思います。林はそれに感づいていて、ロンが退院するのを待ってから、彼を痛め つけ、殺したんだ」
 藤村は大理石のように白くなったロンの顔に、もう一度目をやった。――異国でのく だらないつき合いを断つ決心をし、ようやく自分の国へ帰ろうとしていた男。
「ここに残る気はないぜ」藤村はハンカチを引っ張り出すとボブへ放った。「俺も今、警察に付き 合っている暇はない。触ったところを拭いておけ」
 ボブは戸惑いながらも藤村の言葉に従った。

「車で来たのか?」
 連れだって部屋を出てから藤村が訊くとボブは首を振った。
「電車で来ました。――ねえ、僕はやっぱりロンをあのまま放っておけない」
「分かっている。いいから、おとなしく歩くんだ。その先に車を停めてある」
 藤村は渋り続けるボブを乗せると車を出した。しばらく口を開かずに走り続けてから、コン ビニの前に停めた。藤村は目で待っておけと告げてから車を降り、公衆電話のボックスに向 かった。近くの派出所の番号を調べ、ダイヤルを回す。若い男の眠そうな声が出た。藤村はロンの アパートと部屋番号を二度読み上げてから、そこに死体があることを教えてやった。受話器の向 こうの声は本気にしていないようだったが、それでも結局は調べにいくことになるだろう。 誰何する声を遠くに聞きながら、彼は受話器をフックに戻した。
「もうすぐ、警官が行く。ロンのことは彼等に任せておけばいい」
 運転席に戻り藤村が言うと、ボブは小さく礼の言葉を呟いた。だが、その強い眼差しはフロン トガラスの向こうへ注がれたまま動くことはなかった。
「アズアドッグへ行くぜ」藤村は煙草に火を点け、サイドブレーキを外した。「お前は夕方から ずっとアズアドッグにいた。それでいいな」
 指紋がきれいに消せていたとしても、いずれはボブも警察に事情を訊かれるだろう。そのとき のために、今晩の居所ははっきりさせておく必要があった。
 それっきり黙り込んだ二人を乗せたセダンは、街灯もまばらな夜の道を、咳き込むようなエンジ ン音を響かせながら走り抜けていった。

 
39