アズアドッグ
4
バーテンたちが帰った後、藤村はひとり店に残っていた。ダーツを弄びながらターキー
を啜る。須賀見と話をしたおかげでいくらか気分は良くなっていた。
カウベルが鳴った。この時間に店に来るのはひとりしかいない。
「やあ、藤村さん。捕まってよかった」
今日の宮田は黒いスーツを着ていた。緋色のシャツでなければ葬式帰りといっても分か
らないだろう。
「昨日は迷惑かけましたね。でも、どうってことはなかったでしょう。警察もあんなちん
けな事件に関わっている暇はないですからね」
宮田は話しながらカウンターの中に入ると、ミネラルを取りだしキャップを開けた。水
を含み、酒を味わうように口の中でしばらく転がしている。
「ミネラルだ」瓶を置き、首を振った。「水道水を入れて置けとバーテンどもに言ってあ
るんだが」
宮田はカウンターに座ったままの藤村を見た。
「最近は、言いつけを守らない奴が多くて困ってるんですよ。昨日の奴もそうだ……。
そうそう、今日はその件で藤村さんと話がしたかったんです」
宮田の目は新しいおもちゃを与えられた子供のように輝いていた。
「昨日の外人がやっていた仕事なんですが、あんなことになったんで、後がまが必要
なんです。で、私も考えたんですが、信頼の置ける人物となると限られてましてね」宮田
は細身の身体を藤村の隣のスツールに乗せた。「藤村さん、是非あなたにやって欲しいん
ですよ」
「しくじると、刺されるのか」
声を上げて、宮田は笑った。
「まさか、藤村さんを刺そうなんて奴はいませんよ。そんな馬鹿な奴はね」こいつが爬虫
類のように感じられるのは、瞬きをしないせいだ、と藤村は気付いた。
「仕事といっても車を転がすだけなんですよ。実際にやることはね。この仕事に必要なの
は免許証と、ある資質だけなんです。口が堅い、信用できるという資質です。でも、これ
が案外難しい。だが、藤村さんなら問題ない。どうです、いい条件を出しますよ。前任者
の五割り増しだ」
藤村はグラスをカウンターに戻した。
「どんな仕事なんだ」
頬の傷跡を歪ませ、宮田は笑った。
「ホテルの地下駐車場に停めてある車を他の場所に動かすだけです」
「その車には何が載ってるんだ。クスリか? それとも銃か?」
「ふふ、藤村さんも冗談が好きだ。刑事をしていたひとにそんな仕事を頼むと思い
ますか? 全く、悪い冗談だ」
「それじゃ、どうしてこそこそする」
宮田は首を振った。
「藤村さん。私はビジネスマンですよ。ビジネスにはライバルがいるんです。そいつらを
出し抜かなきゃ儲けは手に入らない。そのためには人目を忍ぶことも必要だ……。分かり
ますか」
ビジネスマンという言葉に藤村は失笑したが、宮田は気にもしていない様子だった。
藤村は言った。
「いいだろう。話を戻そう。その車には何が載っている」
宮田は推し量るように藤村の目を見つめた。くさい芝居だ。藤村は思った。どうせ端か
ら話すつもりで来ているのだ。
「あなたは信用できるひとだ。いいでしょう。車にはクスリを積んであります」宮田は藤
村が何も言わないのを確かめてから続けた。「クスリといっても非合法なものじゃない。
正真正銘のクスリですよ」
どうです、とでもいうように、宮田は両手を開いて見せた。藤村は鼻で笑った。
「クスリ自体は非合法でなくても、存在するシチュエーションによっては違法性が生じる
こともある」
「さすがによくお分かりだ。だが、これは全く問題ありません。どこをつつかれても痛く
ない。そういう仕事です」
「輸入品か」
宮田の頬から薄ら笑いが消えた。
「藤村さん、詮索はしすぎない方がいい。合法行為ということが分かればそれでいいで
しょう」
宮田はポケットから車のキーを取り出し、カウンターの上に滑らせた。それは藤村のグ
ラスに当たって止まった。
「酔いを醒ましてからかかってくれればいいですよ。飲酒運転で捕まってもらったらそれ
こそ台無しだ」椅子を立った。「おっと、気を悪くしないでくださいよ。決して、皮肉で
言ったんじゃない」
一瞬、藤村の頭に半年前の情景が浮かび、消えた。
「駅前のエル・グランド・ホテル。白のクラウン。ナンバーは7223」
スーツに着いた塵を神経質に指先でつまみ取りながら言った。
「で、車は二丁目の店の駐車場に突っ込んでおいて下さい。ロックだけは忘れずに。キー
は改めて回収に来ます」
宮田は藤村の肩を軽く叩いた。
「あなたを雇っていて良かった。私たち、きっといいパートナーになれますよ。これが小
手はじめの仕事だと思って下さい」
藤村は答えなかった。
宮田はひとり頷くと、いつものように軽い身のこなしで店を出ていった。
藤村はグラスとボトルを片づけた。カウンターの上にはキーだけが残った。彼はしばら
くそれを見つめた後、指先で拾い上げた。キーは凍らせてあったかのように冷たく、皮膚
に貼り付いた。
店の照明を落とすと、再び、事故の光景が蘇った。車に伝わる震動。助手席の叫び声。
藤村は記憶を閉め出すと、店のドアに鍵を掛けた。
外はひどく冷え込んでいた。
まだ、地下鉄の始発が走り始めるには時間があった。頭を冷やすには充分過ぎる時間
だった。
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