アズアドッグ

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「むちゃやで、宮田はん」
 金森の声は震えていた。
「むちゃ? できるだけ穏便に済ませようとしたはずですよ、私は。勘違いしちゃいけない。 私にこんなことをさせているのはあなた方だ」宮田はスコッチを一気に飲み干し、グラスを床に 置いた。「さあ、無駄口を叩いていると、すぐにタイムリミットがきますよ」
 銃把を握る手に汗が滲むのを藤村は感じていた。トカレフの銃口から加納の鳩尾までは一メート ル。この距離で撃てば、彼が助かる見込みはまずないだろう。視界の 隅で、金森が額の汗をシャツの袖口で拭うのが見えた。
「さてと、私は決めましたよ。藤村さんが引き金を引かなかったときには、私が代わりに加納君 を撃つことにしましょう。加納君には悪いが、藤村さんに選ばれたのが運のつきだと思って下さ い。――さあ、あと三十秒」
 リボルバーの銃身がゆっくり持ち上げられ、加納のこめかみに狙いが定められた。ふたつ の銃口を向けられた加納は、カウンターに片手をついた姿勢で目を閉じた。額から噴き出した汗が 頬を伝わり、顎先からしたたり落ちた。乾ききった唇は微かに震えている。
 壁の時計が、電子音の鐘を打ち始めた。一回、二回。加納が歯を食いしばり、額の静脈が濃く浮 き上がった。五回、六回。 金森が酸欠の金魚のように口を動かした。九回、十回。ようやく口の動きに声が追いついた。
「待ってや。ちょっと、待ってや――」
 鐘は十一回鳴り終わっていた。
 藤村は人差し指を強く引いた。ガチッと小さな音がそれに応えた。
 誰も動かなかった。
 最後の鐘が、部屋に余韻を漂わせている。それが消えたとき、宮田の哄笑が溢れだした。
「いや、いや。楽しかった。こんなに楽しい晩は久しぶりだ」
 藤村は、トカレフをカウンターに置いた。内ポケットのパッケージの中から煙草を一本抜き出 しくわえる。火を点けて一口吸い込むと、軽いめまいがした。宮田の笑い声はまだ続いている。
「さすが、藤村さんだ。度胸がある。やくざでもここまで肝の座った人間はいませんよ」
 金森がもつれた足取りでソファーに近づくと、倒れ込むようにして座った。加納は、閉じていた 目を開き、宮田が笑うのを見つめていた。その目はリボルバーの銃口のように冷たく、殺意を孕ん でいた。宮田の笑いが突然止んだ。
「さあ、これで今までのことは水に流すことにしましょう。だが、次に同じ様なことが起これば こんなことじゃ済みませんよ。それだけはよく覚えておいて下さい」
 彼はソファーを立ち、カウンターに歩み寄ると、スーツから封筒を取り出した。リボルバーは 出てきたときと同じように、いつの間にか消えていた。
「ありがとうございました、藤村さん。やっぱりあなたはたいしたものだ。これはほんのアルバイト 料です」
 カウンターに置かれた封筒はかなりの厚みがあった。藤村はそれを手に取ると、内ポケットにし まった。その様子を刺すような視線で加納が見つめていた。
「さっ、皆さんお引き取り下さい」
 宮田はそう言い置くと、きびすを返しドアから出ていった。ドアが閉まるのを見てから、金森がカ ウンターへと、ふらふら歩み寄った。震える手でスコッチをグラスに注ぐと、一気に飲み干す。
「ふう、肝を冷やしましたで」
 誰にともなくそう言うと、二杯目を注いだ。手の震えは止まっていた。不意に加納がトカレフを掴 むと、床に叩き付け、肩を怒らせドアに向かった。
「ちょっと、待ちいな、加納ちゃん――」
 金森の言葉が終わる前に、加納の姿はドアの向こうに消えていた。金森が弁解するような口調で藤 村に言った。
「あんな思いをしたばっかりやさかい、気が立っててもしゃあないわな」
 藤村は頷くと、煙草のパッケージを金森に差し出した。彼はすんまへんと言って抜き取り、藤村 に点けてもらった火で、うまそうに煙を吸った。
「謝らんとあきまへんな。わてが喋ろうとしたからでっしゃろ、引き金を引かはったんは」
 藤村はそれには答えず、煙草を灰皿で押し消し、部屋を出ようと顎で合図をした。
 ちょうど最後の客が胡蝶蘭から出ていったところだった。店の女の子達が、ふてくされた顔で後か たづけを始めていた。藤村と金森は店の真ん中を突っ切って歩きながら左右を見渡したが、宮田も、 加納も見あたらなかった。表へ続くドアの前で、藤村の足が止まった。みゆきがチャイナドレス姿の ままで壁に凭れて立っていた。
「ごゆっくりだったわね」
「宮田は?」
「帰ったわよ」
「加納は?」
「出ていったわ。足もないのにどうやって帰るつもりか知らないけど」
「冷たいんだな」
「理由はこの前説明したつもりよ。――さあ、閉店の時間よ。出て行って」
 みゆきがドアを開いた。冷たい夜気が三人の間に滑り込んできた。藤村は左手でドアを支えてから、 みゆきの視線を捉えた。
「姉さんは君と似ていたのか?」
 みゆきは目を細めて曖昧な笑みを浮かべた。
「見た目はね。性格は正反対だったけど。――それがどうしたって言うのよ」
「宮田が君を抱けなかった理由を考えてみたことがあるか」
「――余計なお世話よ。さ、出て行って」
 外に出てドアが閉まると、藤村と金森は暗闇の中に取り残された。金森が長いため息を ついた。
「さあ、わては車で来たよってに、送って行きまひょ」


 
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