アズアドッグ

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 宮田興業の事務所は私鉄の駅前ビルにあった。周囲の建物の立て替えが進む中で、 そのビルだけは取り残され、薄汚れた外観を晒していた。宮田興業の他に入っている店子 も怪しげな会社ばかりで、ゴミのような賃料しか家主に払っていない。それが、建て替え さえできない理由だった。
 薄暗い階段を二階へ上ると、真正面に事務所の入り口があった。磨りガラスに宮田興業 と白文字で書かれたドアを、ノックもせずに押し開ける。事務机の前でパソコンのキー ボードを叩いていた男ふたりが同時に顔を上げた。部屋の中にはその男達だけのよう だった。衝立で仕切られた窓側の一角、応接セットが設えてある場所にも人の気配はな い。
「何のご用ですか」
 ひとりが椅子を離れ、事務所を見回す藤村の視線を遮るように目の前に立った。
「林は何処にいる?」
 男は椅子に座ったままのもうひとりの男と目を合わせてから、藤村の顔に視線を戻した。
「林にどういったご用件で?」
「話を訊きたいことがある」
 男は残念だというように首を振った。
「林の行方は分からないんですよ。何かあったんですか?」
「連絡を取ってくれ」
 男は陰険そうに目を細めた。そうすると、いっぱしのサラリーマンらしい風貌が消えて、 チンピラの顔がむき出しになった。
「あんた、刑事じゃないな」
「最初からそう名乗った覚えはないぜ」
 男は鼻で笑うと自分の席に戻った。
「林さんはここには寄りつかない。とっとと消えな」
 刑事が来るのを察してどこかに姿をくらました。そういうことなのだろう。
「連絡が取れたら伝えてくれ。藤村に電話しろと」
 男が再び顔を上げて、藤村を見た。
「藤村? アズアドッグの藤村か」
 彼が頷くと、ふたりの男は顔を見合わせて意味ありげな笑いを浮かべた。それまで口を 開かなかった小柄な方が、妙に甲高い声で言った。
「あんた、林さんの手の骨を折ったらしいな」
 藤村は答えず、男の顔を見返した。男は楽しくてしょうがないというように頬を崩した。
「あんた、殺されるぜ」
 藤村は肩をすくめた。
「手の骨一本と、命じゃ割に合わないな」
 馬鹿にしたような笑いが男の口から漏れた。
「あんた、分かっちゃいないな。あの件以来、若い者の中には、林さんも大したことはねえ、 なんて言い出す奴もいるんだ。なんせ、素人に連れ去られて手の骨を折って帰ってきたん だからな。今のところは正面きって林さんに楯突く奴はいねえが、このままじゃ時間の問題 さ。林さんとしちゃ、あんたにきっちり落とし前をつけさせるしか面子を立てる手はねえ。 おちおちしてると、誰かに追い落としを掛けられちまうからな。――なんせ、ここじゃ、舐 められたらお終いだからよ」
 藤村は、煙草を抜き出し火を点けた。最初に話しかけてきた男の方が鬱陶しそうな顔で藤 村の仕草を見つめていた。
「俺をやらなくても、他の誰かを殺せば格も上がるんじゃないのか、この世界じゃ」
 小柄な男は、首を振って答えた。
「言っておくが林さんじゃねえぜ、昨日の件は」
 もうひとりの方が忌々しげに舌打ちした。
「馬鹿野郎、余計なことを言うな」
「構やしねえだろう。こいつ、刑事じゃないんだからよ」
「いいから黙ってろ」
 男は藤村の顔を睨み付け、消えろともう一度繰り返した。藤村は今度はその言葉に従った。
 くわえ煙草のままビルを出て、辺りを見渡す。どこかでボブが林を待ち伏せていないかと 思ったが、姿は見あたらなかった。案外、藤村の言いつけ通りに、しばらくはおとなしくして おくつもりなのかもしれなかった。胸の辺りに落ちた灰を叩いたはずみに、ポケットの膨らみ に触れた。そこには、宮田から受け取った現金が入れっぱなしになっていた。腕時計を見る。 ちょうど十二時になったところだった。彼は路上駐車していた車に乗り込むと、国道へ鼻先を 向けた。

 
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