アズアドッグ



 宮田が頬に笑いを貼り付けて近づいて来る。ピンストライプの黒いスーツ。藤村のいつ ものテーブル。向かいの席に、宮田は腰を下ろした。
「藤村さん。ご苦労様。確認しましたよ」
「トランクの鍵を付け替えていたのか」
「ええ、物騒ですからね。別に、藤村さんを信用していない訳じゃないんですよ」
 胡蝶蘭から家に帰っても、藤村は寝付けなかった。昼過ぎから飲み始めた。テーブル にあるのは、今日二本目のボトルだった。
「この商売、スピードが命ですからね。早速、捌きにかからせてもらいますよ」
「あんたが仕切っているのか、この仕事」
「ええ、もちろん」宮田は珍しく煙草を出して火を点けた。メンソールの香りがテーブル の上を漂った。「私が仕切ってちゃ、おかしいですか」
 藤村も煙草を出した。メンソールを嗅いでいると気分が悪くなる。
「あんたにしちゃ効率の悪い仕事だ」
 煙を噴き出し、宮田は笑った。
「藤村さん、あなた誤解している。確かに以前、藤村さんのお世話になったときにはやば いこともしていましたよ。でも、あれは組の中でしょうがなくやらされていたことですか ら。今は組とも切れて、まっとうな商売しかしてませんよ」
「いいだろう。で、どうやって売り捌くんだ」
 目を細める。
「おや、興味を持って頂けたようですね、この仕事に。でも、いくら藤村さんだとは いえ、すぐに全てを教える訳にはいきませんよ。ルートを作るのにそれなりに苦労もし ていますしね。いずれお話しできるでしょう。……そうだ」
 彼は内ポケットから封筒を取り出した。
「これ、収めて下さい」
 テーブルに置くと、席を立った。
「また、お仕事お願いすると思います。そのときはよろしく」
 カウンター越しに、バーテンに声を掛けてから、宮田は店を出ていった。
 テーブルの上の封筒。二三十枚は入っていそうな膨らみだった。
 宮田が今まで座っていた椅子に、突然誰かが腰を下ろした。藤村が見上げると、見覚え のある顔があった。昨日、トイレのタイルで伸びていた顔。
「柔道チャンプ」男は笑った。屈託のない顔だった。「昨日はすみません。迷惑か けました」
 少しアクセントはおかしいが、きれいな発音だった。
 藤村は黙っていた。
「僕、いつもはあんなことはしない。彼女、あんまりチャーミングだったんで我慢できな かったんです」
 堂に入った弁解口調。
「でも、あと三分待って欲しかった。水を掛けるの」
 藤村は思わず苦笑した。
「日本語、うまいんだな」
「ええ、僕、日本の商社に雇われています。もう、三年住んでいますからね。女の子、 口説くのにも困らない」
 確かに、髪型は軍人のようだが、目は穏やかな色をしていた。
「で、何か用なのか」
 男は首を振った。
「昨日のお詫びがしたかっただけです。僕、この店気に入ったから、出入禁止になると困 ると思って」
「ここは誰でも自由に出入りできる店だ。誰かが誰かを止めるなんてできやしない」
 男は嬉しげに頷いた。
「それ、とてもいいことです。……言い遅れました、僕、ボブ・ターナーといいます」
 差し出された手を藤村は握った。
「藤村だ」
「よろしく、藤村さん。藤村さんはここの責任者ですね」
 藤村は頷いた。ボブの顔から笑みが消えた。
「僕、教えて欲しいことがあります。いいですか」
「何だ」
「一昨日、この店で刺された男がいました。その男が何故、誰に刺されたのか知りたいの です」
 藤村は通りがかったバーテンにグラスを持ってくるように言いつけた。バーテンは、ボ ブを怪訝そうに見た。
「何故、そんなことを知りたいんだ」
「刺された男は僕の友人です。彼が何故あんなことをされたのか知りたいのです」
「それで昨日ここに来たのか」
 ボブは頷いた。
「バーテンに訊いたけど何も教えてくれない。しょうがないから酒を飲んでいると、彼女 が声を掛けてきた。彼女に誘われてトイレに入った」ボブの顔に笑みが戻った。「僕の悪 い癖ね。女のひと大好き」
 藤村は笑わなかった。
「俺は何も知らない。バーテンたちもそうだ。ここで訊いて回っても何も分からないよ」
 ボブは肩をすくめた。
「残念。そうですか。あきらめます」
 バーテンがグラスをテーブルに置いていった。藤村はグラスにバーボンを注いだ。
ボブの前に押しやる。
「ありがとう」
 ボブはグラスを傾けた。
「あの男は何をしている奴なんだ」
「軍人さんです」ボブは二口目でグラスを干した。「でも、一ヶ月前に辞めたはずです。 今は何をしているのか分かりません」
「今、どこの病院に入ってるんだ」
「大学病院です。今日もいったんだけど、会えなかった。明日は会えると、かわいい看護 婦さんが教えてくれました」
 藤村はゆっくりと煙草の煙を吐き出した。
「明日、見舞いに行くのなら、一緒に行かせてくれないか」
「もちろん、OKです。ロンも喜びます」
 ボブは藤村が入れた二杯目の酒を、勢い良く呷った。