アズアドッグ

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「どうするつもりだ、俺達を」
 加納が男の方に首を捻りながら訊いた。
「黙っていろ。すぐ終わる」
 銃口は藤村の背中に据えられていた。男の息づかいが荒い。藤村は男に気付 かれぬよう、わずかに腰を沈めた。大抵の人間は引き金を引く前に息を止める。その瞬間 に銃口をかわすしかない。藤村は背中に神経 を集中した。男がゆっくり息を吸い、吐いた。そして、呼吸が止まる。――その瞬間、電子音が 鳴り響いた。携帯のベル。男の気が逸れる。藤村は地を蹴り、横に飛んだ。地面に転が る藤村を銃口が追う。藤村は腰の銃を引き抜き、転がりながら引き金を引いた。激しい炸 裂音。男が足を払われたようにして倒れた。加納が男に飛びつく。馬乗りになり、 男の顔面に拳を降らせる。銃が男の手を放れ雑草の上に落ちた。
「もうやめておけ」
 藤村の言葉に目覚めたように、加納は腕を止めた。拳は赤く染まっていた。
 須賀見がふらつきながら、藤村に歩み寄る。魂の抜けたような顔だった。
「大丈夫か、藤村」
「ああ、なんともない」
「……しかし、本当に殺そうとするとはな。本気なんだな奴等は」
 藤村は頷き、手に持った銃を見下ろした。銃身が裂けていた。派手な音はこのせい だった。ハンカチで銃把を拭き、暗闇へと放り投げる。どさっという音が遠くか ら聞こえた。
 藤村は倒れている男の側に膝をついた。弾は男のふくらはぎを貫通していた。大した 出血ではない。加納に殴られた顔の方が問題だったが、いずれにしても放ってお いて死ぬほどの怪我ではなかった。男の懐を探り始めた藤村の横で、加納が身を屈めて銃 を拾った。
「どうするつもりだ」
 加納は男の頭に銃を向けた。セーフティーは外れたままだった。藤村は加納の目を見た。 それは怒りに澱んでいた。
「姉貴が俺達を売ったんだな」
 男はぴくりとも動かなかった。藤村が言った。
「無駄だ。聞こえちゃいない」
「あんたは黙ってろ。――そこを退け」
 引き金にかけた人差し指が細かく震えている。
「よすんだ」口を開いたのは須賀見だった。「そんな奴を殺してどうなる。宮田だけじゃ なく、警察からも追われることになるんだぜ。宮田と片を付ける前に警察に引っ張られても いいのか?」
 加納の目から熱気が退いていった。銃を地面に向ける。だが、彼はその銃を捨 てずに腰にさした。須賀見はそれでいいとでも言うように頷くと、クラウンに近づいた。 運転席に身体を突っ込み、キーを抜き取ると、オーバースローで投げ捨てた。
「これで、息を吹き返してもついて来れないだろう。さっさと行こうぜ」
 加納は拳の血を拭いながら、シーマの後部席に戻った。藤村も助手席に収まる。結局、男 の懐にめぼしいものはなかった。名前さえも分からない。ハンドルを握った須賀見に藤村は 訊ねた。
「さっきの電話は?」
「俺の携帯だよ。おかげで命拾いしたぜ」須賀見はおどけた笑みを浮かべた。「誰だか 分からないが、感謝しなきゃな」
 車は工場の門を出て右に曲がった。国道へと下っていく方向だった。
「さあ、どうする。坊やの言う通り、のんびりしているわけにもいかなくなったんじゃな いか。あのボルボの女の子は、向こう側についていると思った方がよさそうだぜ」
「いや、今晩はへたに動かない方がいい。悪いがあんたの家に泊めてもらえないか」
 須賀見は押し黙った。車はカーブを抜けて国道と交わる交差点で停まった。須賀見がハンドルを 指先で叩いた。
「藤村さん、まさか、怖じ気づいたんじゃないだろうな」
 国道を流れていくヘッドライト。藤村は助手席のウインドウ越しにその光の軌跡を見つめた。
「どう思ってくれてもかまわん。だが、俺は今晩動く気はない」
 突然、加納が笑い出した。
「聞いたかい。藤村さんはさっきのやり合いですっかりぶるっちまったのさ。金森さんが どうなろうと知ったこっちゃないってわけだ。――さあ、俺は行くぜ。ここで降りる」
 加納がドアに手を掛けたとき、藤村の携帯が鳴った。加納の動きが止まる。
「いやあ、藤村さん。つかまってよかった」
 携帯を握り直す。
「――宮田」
「さっきは妙な邪魔が入っちまいましたね。どうです、これから話の続きをしませんか」
「ふざけるな」
「ふざけてなんかいませんよ。――そうそう、あなたに会いたいっていうひとも一緒にいるんです がね。それでも私に会う気にはなりませんか」
 手のひらにじわりと汗がにじむ。
「おや、信じてもらえませんか。じゃあ、ちょっと電話を代わりましょう」
 擦れるような音。乱れた息づかい。そして、かすれ声。
「藤村さん?」
 みゆきだった。胸の内で舌打ちをする。
「そこはどこだ」
「アズアドッグよ」
「分かった。宮田と代わってくれ」
 笑い声を漏らしながら宮田が電話に出た。
「と、いうことです。来てもらえますね」
「三十分あれば着く」
「待ってますよ」
 電話を切った。加納が勢い込んで訊ねる。
「宮田なのか? 何て言ってきたんだ」
 藤村は携帯を仕舞い、シートに背を預けた。
「お前の姉さんが宮田に捕まった。今から会いに行く」
 加納は一瞬息を飲んだ後、甲高い声で言った。
「あんた、馬鹿じゃないのか。罠に決まってるだろう。姉貴は宮田とグルなんだぜ。それが 分かってて何故会いに行くんだ」
 藤村はそれには応えず、須賀見に向かって言った。
「アズアドッグの近くで降ろしてくれ」
 須賀見は頷いた。藤村は後部席を振り返った。
「お前は来るな。先に車を降りろ」
 加納は首を振った。
「何故姉貴にこだわるんだ? もしかしてあんた姉貴に惚れてるのか」
 返事のないのを肯定と受け取ったのか、加納は肩をすくめた。
「どうかしてるよ、あんた。あんな女に……」
「少し黙っていろ。いいか、お前は駅で降りて始発を待つんだ。どこでもいいから 宮田の目に付かないところに行って姿を隠していろ。辰野とも連絡は取るな」
 加納は鼻で笑った。
「そうはいかない。きっと金森さんも捕まって、奴等と一緒にいるはずだ。俺も行くぜ」
「仮に金森が捕まっていたとしても、アズアドッグにいるとは限らないぞ」
「宮田のことだ、利用できそうな手駒は近くに置いておくに違いない」加納は腰の膨らみを 押さえた。「奴に思い知らせてやる」

 
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