アズアドッグ
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藤村はパッケージから煙草を抜いた。それはフィルター近くで折れ曲がっていた。地面に転
がったときに潰してしまったのだろう。そのまま唇に挟む。
「加納、その銃を渡せ」
「何故だ?」
「お前が持っていても使いこなせない。違うか?」
みゆきが宮田のために動いていると加納は思いこんでいる。銃を持たせたまま彼をみゆきに会
わせるのは危険だった。
「確かにあんたの方が使い慣れているだろう。だが、金森さんを助けるつもりのない奴に銃は渡
さない」
藤村はフロントガラスに煙を吹きつけた。白い帯は渦を巻きながら消えていった。
「いいだろう。だが、これだけは言っておく。みゆきは宮田とグルじゃない。それは頭に入れて
おけ。お前が先走って動けば俺が迷惑する」
「それはこっちのセリフだ。あんたが姉貴に惚れるのは勝手だが、巻き添えを喰うのはごめんだ
ぜ。姉貴は宮田の仲間に決まってる。俺は好きなようにやらせてもらう」
吸い差しの煙草を唇にぶら下げたまま、藤村は須賀見の横顔に目を走らせた。そこには何の表
情も浮かんでいなかった。ヘッドライトが照らし出す路面を、ただじっと見つめているだけだった。
藤村は目を逸らすと、もう一度、後部座席に話しかけた。
「さっきの男の声、聞き覚えはないか」
「えっ?」
「宮田に聞かされたテープの声。忘れた訳じゃないだろう」
加納は眉間に皺を寄せた。あの夜に聞いた声を思い出そうとしている。藤村はゆっくりと煙草
をふかして待った。やがて、加納が呟いた。
「そんなはずはない」
「俺は奴の声をその前にも一度聞いている。金森さんのところから出た途端にチンピラにからま
れたことがあってな。そのとき後ろから俺を殴った奴がいた。そいつの声だ」
「何故だ。奴は宮田の仲間なんだろ?」
「違う。奴は宮田を出し抜こうとした方の人間だ。強請屋さ」
「……どういうことなんだ」
煙草を灰皿でもみ消す。
「俺達がこの車に乗り換えた後、みゆきが連絡したのは宮田じゃなくて強請屋だったのさ」
藤村は新しい煙草を抜き出した。「端からみゆきは強請屋と繋がっていたんだ」
「嘘だ。姉貴が宮田を裏切るはずがない。姉貴にはあの店やマンションでの暮らしが全てだったん
だ。みすみすそれを失うようなまねをするはずが……」
「みゆきにしてみれば、宮田へのちょっとした反抗だったのさ、強請屋に手を貸したのは。
ここまでことが大きくなるのは誤算だったんだろうがな。彼女が胡蝶蘭から俺達を助け出したのも、
お前や辰野が口を割るのを怖れたからさ」
加納がはっとしたように顔を上げた。
「俺の名前を辰野が知ったのも、姉貴が教えたからか?」
「おそらくな。お前を脅せばいくらでも情報は手にはいるとでも言ったんだろう」
「畜生、ふざけやがって」
藤村は加納の悪態が尽きるのを待って言った。
「確かに、みゆきがお前を売ったのには違いない。だが、宮田の指示で動いているんじゃないのは
これで分かっただろう」
「ああ、分かったよ。だから姉貴には手を出すなと言いたいんだろう。――しかし、あんた、さっき
あの男に殺されかけたんだぜ。姉貴の仲間に」
「奴が俺達を殺そうとするとは、みゆきも考えていなかったんだろう」
「ふん、あんたもとんだ甘ちゃんだな。姉貴のことを何も分かっちゃいない」加納は言って、腕を組んだ。
「さっきの男、辰野、姉貴。三人が俺を利用して、宮田の客から金を巻き上げていた訳か。――
俺とあんたを始末しちまえば宮田もそれ以上は追求してこない、あの男はそう踏んでいたんだろうな」
「宮田は俺と辰野がつるんでいたと思いこんでいたからな。俺とお前がいなくなれば、後は辰野だ
けだ。彼は現職の刑事、宮田もうかつには手が出せない」
須賀見がハザードを点けて車を左に寄せた。サイドブレーキを引くと、藤村に向かって言った。
「もうすぐ店に着くぜ。例の春日井とかいう刑事に連絡をしなくていいのか」
「ああ、いずれは自分達で精算しなくちゃならないことだからな。俺と宮田のことにしても、加納と宮
田のことにしても。今夜を先送りしても、いつかその日は来る」
須賀見は頷くと、後部座席に声を投げた。
「坊やもそれでいいんだな」
「ああ、警察なんかに邪魔をして欲しくはないね」
「分かった」
車は再び動き出した。信号を左折し、しばらく走るとアズアドッグが見えてきた。窓から明
かりが漏れている。車は店の下を通り過ぎてからゆっくりと停まった。
「気を付けろよ」
「ああ。済まなかったな、変なことに巻き込んで」
藤村と加納は車から降りた。須賀見は小さく手を挙げると、車の流れの中に戻っていった。
車のテイルライトを見送った後、加納は店の窓を見上げた。喉仏が大きく上下に動く。
怒り、怯え、憎悪。ごっちゃになった感情がその横顔に浮かぶのを藤村は見た。
加納は窓から逸らした視線で藤村に一瞥をくれると、拳銃の膨らみを確かめるように押さえ、足早に
アズアドッグの階段へと歩き始めた。
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