アズアドッグ

64


 林が床から立ち上がり、加納を撃ったばかりの銃口を藤村へと向けた。宮田の胸ぐら を掴んでいた手を離し、藤村はゆっくりと身体を起こした。
「ふざけたまねしやがって。一体どこでチャカなんか手に入れやがったんだ」
 林は悪態をつきながら俯せに倒れている加納の方へ歩み寄ると、その横腹を靴の先で 蹴りつけた。かすかなうめき声が応える。弾は急所を外れていたようだった。
 藤村に解放された宮田は、ふうと息を吐くと、テーブルに手を掛けて起き上がった。 その腕が素早く動くのが見えた瞬間、藤村は顎に強い衝撃を受けていた。かろうじて倒 れるのを堪える。だが、次のみぞおちへの打撃でたまらず膝を折った。宮田は藤村の襟 首を掴んで立ち上がらせると、そのまま激しく壁に叩き付けた。鼻が潰れ、噴き出した 血が壁を汚した。
「もうお終いだ、藤村」宮田は左の拳で藤村の脇腹を打った。「もっとゆっくりいた ぶってやるつもりだったのにな」
 壁に押さえつけられたまま、藤村は言った。
「そんなに俺が憎いか」
 返事代わりの拳。胃の裏側の辺り。息が止まる。何度かあえいだ後、ようやく肺に酸 素が流れ込んだ。歯の間から言葉を押し出す。
「……女房が逃げたのは俺のせいだといいたいのか」
 同じ場所への打撃。身体がずり落ちかける。だが、襟首を掴んだままの宮田の右手が それを許さなかった。こみ上げる吐き気をこらえて続ける。
「……子供が死んだのも俺のせいだと」
 拳の代わりに、抑揚のない声が応えた。
「あのときお前が俺を挙げていなけりゃ、小雪達は死んでなかった」
 藤村は首を捻って宮田の顔を横目で捉えた。
「お前がムショに入ってなくても、いずれ女房は逃げていただろうし、お前は彼女たち を追いかけて殺していただろう。時期が早かったか遅かったか、――それだけの違いだ」
 林がいらついた口調で横やりを入れた。
「宮田さん、さっさと片づけちまいましょう。さっきの銃声を誰かに聞かれているかも 知れない」
「銃声とバックファイヤの違いが分かる奴がいると思うか」
 宮田の突き放すような口調に林は黙り込んだ。表の道路を何台かのバイクがクラク ションを鳴らしながら通り過ぎていった。宮田はその音が遠ざかるのを待ってから口 を開いた。
「加納もあんたも今日でお終いだ。これで、すっきりするぜ」
 藤村は口に入った血を足元に吐き出した。
「粋がるな、宮田。お前が加納やみゆきを身近に置いていたのは何故だ? 小雪のことを 忘れられなかったからじゃないのか」
 しばらくの沈黙の後、宮田がふくみ笑いを漏らした。その声は徐々に大きくなり、やが て哄笑に代わった。
「おめでたいひとだ。まったく、あんたってひとは。俺が小雪のことを忘れられない?  確かにそうさ。俺を裏切った女だからな。だが、死んだ奴にはそれ以上意趣返しのしよう もない。だから、あんた達をいたぶってその身代わりにしてただけさ」宮田は声を落とした。 「おもちゃがなくなるのは残念だがそろそろ終わりにしよう」
 宮田は藤村の肩を掴んで反転させると、こめかみに鋭い一撃を放った。意識が飛びかけ る。かすんだ視界の中、林が銃を両手で支えるのが映る。真っ黒な銃口が自分の眉間に向 けられのを藤村は見た。銃口をかわせ、頭の隅で自分の声がする。が、身体は金縛りに あったかのように動かなかった。激しい炸裂音。――だが、それに伴う衝撃はなかった。 倒れたのは目の前の林の方だった。次の瞬間、壊れたドアが叩き付けられるようにして開 かれ、そこから男が飛び込んできた。
「動くな。誰も動くなよ」
 春日井はそう叫ぶと、拳銃の銃口を天井に向けたまま、素早く店の中に視線を走らせた。 そして、部屋にいる人間の位置関係を把握すると、宮田を警戒しながら、横になったまま 動かない林に滑らかな動きで近づいた。身を屈め、床に落ちていた林の拳銃を素早く拾い 上げ、スーツのポケットに落とし込む。
「ガラス越しだったからしくじるかと思ったが、うまく狙い通りにいったようだ。 しばらく利き腕は使えないだろうがな」
 着弾のショック状態から抜けでた林が肩を押さえて呻いた。そのとき、男がもうひとり ドアから駆け込んできた。ボブだった。彼は藤村の姿を見つけると、強張らせていた肩の 力を抜いた。
「大丈夫だったんですね、藤村さん」
 春日井はどこからともなく取り出した手錠を、器用に片手で林の手首にはめながらボブ を叱った。
「車で待って置けと言っただろう。馬鹿が」
「すみません。銃声が聞こえたらじっとしていられなくて」
「救急車は呼んだんだろうな」
「はい」
 春日井は立ち上がると、宮田の足元に銃口を向けた。
「後ろを向いてテーブルに手をつけ」
 宮田はおとなしくそれに従った。春日井が宮田の身体を探っていく。その間に藤村はみ ゆきの側へ行き、彼女を抱き起こした。意識を失っていたが、呼吸は安定している。無理 に起こすのをやめ、自分のジャケットを丸めて頭の下にあてがうと、再び横たえる。ボブ が隣に来て、加納の方を目で示した。
「右の鎖骨の下を弾が貫通してます。出血は少ないから大丈夫でしょう」
「分かった。――しかし、何故ここに?」
「ロンの件以来ずっと林の後をつけていたんです」
「それでここまで追って来ていたのか」
「そうです。藤村さん達がここに上がっていくのを見て、何かが起きると思って春日井さ んに連絡したんです」
 店の隅で金森がうごめいた。藤村が金森のいましめを解き、口に貼られたテープを剥が してやると、彼は大きく息を吸い込んだ。
「すんまへん藤村はん。わしは彼女をよう守りきらんかった」
「謝るのはこっちだ。こんな目に遭わせてしまって。――怪我は?」
「大丈夫や。身体は丈夫にできとるさかい」
 金森を抱え起こす藤村の耳に、春日井のだみ声が聞こえてきた。
「宮田、これでお前のやってきたことが全て表にでるぜ。――傷害。ヤクの売買。殺し。 ――一体、何年くらいこむことになるんだろうな」
 藤村は金森に肩を貸したまま振り向き、宮田の様子をうかがった。宮田はテーブルに両 手をついたままじっと前を見つめていた。彼の視線の先にはガラス窓があり、その向こう には暗闇が広がっているだけだった。藤村は宮田のその虚ろでささくれ立った横顔から目 が離せなかった。全てを拒絶しながらも、何かを痛切に求めている目。それは、藤村自身 が鏡の中で見慣れた表情だった。
 春日井に促され、宮田が身体を起こす。カウンターの方を振り返った瞬間、彼の顔に何 かに驚いたような表情が浮かんだ。そのとき響いた乾いた音が銃声だと、藤村が気付くま でにしばらくかかった。だが、春日井の動きは早かった。床に俯せたまま左手で拳銃を持ち 上げていた加納に飛びつくと、拳銃を取り上げた。宮田の身体はその間にもゆっくりと崩 れ落ちていった。操り手のいなくなった糸人形のようだった。床の上に血が滴り落ちる。
 金森を椅子に座らせると、藤村は俯せに倒れた宮田に近づき床に跪いた。胸から背中の ほぼ真ん中へ銃弾が通り抜けている。藤村は宮田の身体の下に手を差し入れ、仰向かせた。 意外にも、宮田はしっかりと目を開いていた。
「もうすぐ救急車が来る」
 宮田は薄く笑った。
「定員オーバーさ。俺は遠慮しとくよ」
 藤村は宮田が楽になるよう上半身を軽く起こしてやった。その間も暖かい血が手を濡ら し続けた。
「宮田、教えてくれ。お前は小雪さんを殺してないんだろう」
「――何故、今更そんなことを」
「どうなんだ」
 宮田は荒い息を何度か吐いた後に言った。
「あの男をおとうさんと呼んでいたんだ」
「何?」
「俺の子供があの男のことをおとうさんと呼んでいたんだ。小雪がそう呼ばせていたのさ。 あの子が笑顔でおとうさんと叫ぶのを聞いたとき、俺は憤りで目がくらんだ。――奴等を 殺したのは俺さ」
「宮田、俺のためじゃない、加納とみゆきのために本当のことを言ってくれ。彼等を過去 の呪縛から解き放ってやれるのはお前だけなんだ」
 呪縛か、宮田は呟いてから続けた。
「俺は小雪達にさんざん嫌がらせをした。どうにかして小雪の気持ちを取り戻したかった んだ。そんなことをすれば彼女の気持ちは離れていくばかりなのにな。俺は若い上に馬鹿 だった」宮田は咳き込んだ後、苦しげに言った。「そんな俺の陰に怯えて小雪が心中をし ようとしたのか、それともノイローゼ気味で火の始末を忘れちまったのか、それは分から ない。――確かに俺は直接手を出しちゃいない。だが、いずれにしても彼女をそうさせた のは俺だ。俺がいなけりゃ、小雪達は……」
 宮田の肩を抱く手に震えが伝わってきた。藤村はそれを押さえるよう手に力を込めた。 しばらくして、宮田は再び話し始めた。
「小雪と子供を亡くしてからの俺は抜け殻も同然だった。しばらくは酒にすがっていた。 俺は誰に向けることもできない憤りだけを抱えてた。そしてある日、俺は酷薄に生きてい くことを決めた。俺はそのとき思った。俺の人間としての人生は終わった。後は犬のよう に生きていくだけだ、と。――不思議なもんで、そう割り切ってしまうと、面白いように 金が手元に集まってきた。その頃、裏の商売の隠れ蓑のつもりでこの店を開いた。アズア ドッグ――自分が犬っころだということを、いつまでも忘れないために付けた名前さ。女 房と子供を殺しちまった犬っころであることをな」
 宮田はふっと目を細めた。
「なあ、藤村さん。最後の頼みだ、俺の拳銃を取ってくれ」
 藤村は宮田を静かに横たえると、テーブルの間に落ちたままになっていた銃にハンカチ を被せて拾い上げた。
「おい、藤村、何をするつもりだ」
 血相を変えて歩み寄ろうとした春日井を目で制して、藤村は宮田の側に跪いた。そして、 血塗れの宮田の手に銃把を握らせた。
「悪いな。一発も撃たない内に素人に撃ち殺されたとなりゃ聞こえが悪いからな。最後に 格好だけつけさせてもらうぜ。――離れてくれ」
 宮田は渾身の力を込めて引き金を引いた。弾は天井に穴を穿った。藤村が再び宮田の顔 に視線を戻したとき、その目は既に閉じられていた。
「馬鹿なまねを――」
 春日井が吐き出すように言った。
「いいか、春日井さん、覚えて置いてくれ。先に撃ったのは宮田の方だ。その後、加納が 撃ち返した」
 春日井の目が細められた。
「そういうことか。だが、俺はそんなことに巻き込まれるのはご免だ。俺は自分が見たま まのことを報告する。それだけだ」
「あんたが結局どうするかぐらい、俺も分かってるつもりだ」
 春日井はいまいましそうに舌打ちした。
 救急車のサイレンが遠くから聞こえ始めていた。

 
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