アズアドッグ



 待合室の長椅子、老婆がうたた寝をしている。その隣にボブは座っていた。彼は藤村を見 つけて手を挙げた。
「病室は二階です。いきましょう」
 ボブは看護婦に笑顔を振りまきながら廊下を歩いていった。
 二階の個室。ロナルド・マクラフリンと、下手くそな字で書かれていた。
「ヘイ、ロン」
 ボブはすたすたと病室に入り込み、ベッドのカーテンを開けた。藤村は距離を置いて立 ち止まった。ボブの言葉にベッドの上の男が応えた。かすれてはいたが、元気そうな声だ った。傷が浅かったのだろう。藤村のところからは、半開きのカーテンが邪魔になって男 の顔は見えなかった。
 ボブはひとしきり話をした後、目で藤村を呼んだ。藤村はベッドの足元に立った。男が 怪訝そうな顔で藤村を見た。ボブが説明した。男が二度、三度頷いた。藤村を思いだした ようだった。
「ロンは、日本語苦手なんです。ちょっとした単語しか分からない」
 藤村はロンの枕元に近づき、封筒に入れた見舞金をテーブルに置いた。それが何かは分 かったようで、ロンは笑顔を浮かべて礼らしき言葉を呟いた。藤村は更にポケットボトル を取りだし、備え付けの引出の中に忍ばせた。ロンは今度は社交辞令抜きの笑顔で応えた。
「ボブ、ちょっとロンに訊きたいことがあるんだ」
 ボブは頷いた。
「宮田のために何の仕事をしていたのか訊いてくれ」
「宮田? 誰ですか」
 藤村は黙ったままボブを見つめた。ボブは首を振ると、訳してロンへ伝えた。宮田の名 前を聞いて、ロンは笑顔を消した。藤村の顔を見る。何かを小声で言った。
「宮田とどういう関係だと、ロンは訊いている」
「ちょっとした知り合いだ」
 ロンは首を振って、鋭い口調で言葉を続けた。
「ロンは宮田のために仕事をしたことはないと言っている。それに、宮田に関することは 何も話したくないそうです」
「いいだろう。質問を変えよう。何故、誰に刺されたのか訊いてくれ」
 僕もそれを知りたい、と日本語で言ってから、ボブはロンに伝えた。ロンは冷めた青い 目で藤村を見て話した。遅れて、ボブが訳す。
「前の晩、女とホテルへ行ったそうです。それがあの男の女だったらしいんです」
「わかった」藤村は窓の外へ目をやった。銀杏の葉が風に激しく揺れていた。「最後に もう一度訊いてくれ。宮田に頼まれて何を運んでいたのか」
 ボブは不満げにロンへ伝えた。ロンの答え。訳さなくても藤村にも分かった。
「もう帰ってくれとロンは言っています」
 ボブも藤村の態度が気に入らないようだった。
 藤村は名刺を出してテーブルの上に置いた。名前と携帯の番号だけが刷られた名刺だ った。
「酒を飲んで、気分が良くなったら電話してくれ」
 ロンは藤村を見ようともしなかった。藤村はボブを残して病室を出た。
 駐車場。ドアに鍵を差し込んだとき、誰かが藤村を呼んだ。
「こんなところで何をしているんですか。藤村さん」
 春日井と呼ばれていた刑事だった。
「知り合いの見舞いに来ただけだ」
「金髪の知り合いかね」
 黙って春日井の顔を見つめる。彼は続けた。
「宮田に頼まれたのか」
「何を?」
「さあな」
 藤村はドアを開けて車に乗り込んだ。春日井がドアに手を掛けた。
「あの外人、いまさら、あれは事故だったなんてぬかしやがる。よっぽど上手く言い含め たんだな。藤村さんよ。金か、それとも威しか」
 藤村は応えないまま、キーを差し込み、エンジンをかけた。春日井がエンジン音に負け ず、声を張り上げる。
「宮田に言っとけ。そのうちご自慢のスーツが必要ないところに連れていってやるって な」
 ドアを強引に閉め、ウインドウを少し降ろす。
「言いたいことがあったら、自分で言うんだな」
 アクセルを踏み込む。バックミラーに、春日井の歪んだ顔が一瞬映って、消えた。