アズアドッグ



 藤村は窓際に立ち、ヘッドライトが路面を照らしていくのを眺めていた。バーテン達は 帰り、店には藤村ひとりだけだった。午前二時。表を走る車の量も減っていた。
 ボブは店に現れなかった。もうここには来ないのかも知れない。藤村はそう考えながら 、自分が何故そんなことを気に掛けるのか分からなかった。
 今日も飲み過ぎていた。彼はグラスの温いバーボンを流しに空けた。ボトルを棚に戻し、 カウンターに残った水滴を拭う。息苦しいほどに立ちこめていた、香水、煙草のにお い、男達の体臭、全てが薄くなり、消え去ろうとしていた。
 店の明かりを落とし鍵を閉めた。
 幅の狭い階段を下り、表に出る。煙草をくわえて、コート の襟を立てた。駐車場へ歩き始めた藤村の前、男の影が塞いだ。藤村は立ち止まり、暗 闇に男の顔を透かしてみた。見覚えのない顔だった。
「藤村だな」
 男が言った。藤村は応えなかった。いつのまにか背後にもひとの気配があった。二人、 三人、あるいはもっと。
「なるほど、いい身体をしてる。郷田が奥歯を二本持ってかれたのも分かるぜ」
 後ろにいた男が、勘に触る笑い声を上げた。
「ついてこい」
 男が背中を見せ、歩き始めた。藤村はその後に従った。
 駐車場。薄暗い街灯。藤村を囲んだのは四人だった。
「硬い飯が食えねえって、郷田が泣いてんだよ」男が言う。「あんたに殴られて歯がいか れちまったんだ」
 腹を刺されて横たわるロン。その側で笑っていた男。
「あの野郎も同じ目に遭わせてやってくれって、郷田が言うんだよ」
 男が目配せした。右側に立っていた男が藤村に殴りかかった。藤村は腰を落としてかわ す。話をしていた男以外が交互に殴りかかってきた。ガードを高く上げて、拳を受けなが ら隙を見てジャブを放った。男のひとりが腹を抱えて蹲った。死角。足払いをくらう。バ ランスを取るために右腕が泳いだ。頬に拳。半回転して地面に倒れ込んだ。男達の足。頭 をかばい、身体を丸める。背筋に革靴がめり込んだ。脳に電気が走る。思い切り転がって、 自動車のボンネットに手をつき立ち上がった。背筋を伸ばすと、もう一度電気が走った。
「まだだ。このぐらいじゃ、俺が郷田に怒られちまう」
 男が含み笑いをしながら言う。しゃがみ込んでいた男も立ち上がり、車を背にした藤村 をゆっくりと囲み始めた。
 右側にいる男に体当たりし、そのまま倒れ込む。他の男の蹴りをかわして立ち上がる。 殴りかかってきた男の腕を取り、背負い、投げる。男は地面の上でうめきを漏らした。 一瞬の油断。話をしていた男がいつのまにか藤村の背後に立っていた。羽交い締め。半端 な力じゃなかった。腹を、胸を、二人の男の拳が交互に藤村を打った。腰が落ちかける。 後ろの男がそれを許さなかった。意識が遠のく。不意に男の腕が緩んだ。身体をねじって 逃れる。男を見ると、頭を押さえてかがみ込んでいた。その後ろに大きな影。ボブ。思わ ず声が漏れそうになった。
 残った男がボブに殴りかかっていった。だが、最初からボブの身体に気圧され、動きに 迷いがあった。ボブは長いリーチを使って、男二人をアスファルトの上に倒した。一瞬の ことだった。
 藤村は倒れた男達の身体を探った。誰も得物は持っていない。
 倒れたままのおしゃべりな男の髪を、藤村は掴み、持ち上げた。
「ちょっと、付き合ってもらおうか」
 男は応えなかった。ボブに頭を殴られ、半分気を失っているようだった。藤村は車のド アを開け、ボブに言った。
「この男と一緒に後ろに乗ってくれ」
 ボブは頷いた。彼は男を後部座席に乱暴に押し込んだ。
 車を出す。ヘッドライトが倒れたままの男達を舐めていった。
「あんなところで何をしていた」
 藤村が前を向いたまま、訊いた。
「あなたに会うつもりで来たんです」ボブは言った。「昼間のことが気になってました」
 信号。車を停める。
「助かったよ。礼を言う」
 バックミラーの中でボブが頷く。
「ロンは友達。でも、ロンは本当のことを話さない。藤村さんが訊いたことに答えな かった。何かを怖がっている。何かを隠している。藤村さんはそれを知っている。僕は それを聞きたい」
 青。アクセルを踏む。蹲っていた男がうめき声を漏らした。
「こいつら、何者ですか」
「ロンを刺したやつの仲間だ」
 ボブの身体が強張るのが分かった。藤村は続けた。
「俺はこの男に訊きたいことがある。それが終わったら、この男はお前にやる」 フロントガラスに虫がぶつかり、体液が滲んだ。「だが、こいつはやくざだ。後でお前に 何があっても責任は取れない」
 河川敷。車を突っ込む。ヘッドライトを落とし、エンジンを切った。ボブが男を引きず り出し、草むらに落とす。藤村も外に出た。今になって身体が痛み始めていた。
 川のせせらぎが聞こえる。だが、それも藤村の中で蠢き出した何かを鎮めはしな かった。忘れかけていた感覚が、徐々に蘇り始めていた。
「これから訊くことに答えるんだ」藤村は男の側に立ち、言った。「答え方によっては、柔 らかい飯さえ噛めない歯になる」