アズアドッグ



「名前は?」
 男に意識があるのは、息づかいで分かっていた。だが、男は応えなかった。藤村は靴で男 の手を踏んだ。男は声を出さない。藤村は足に体重を掛けた。
「お前ら、何してるのか分かってんだろうな」
 奥歯を噛みしめたまま男が言った。
 ここしばらく雨は降っていない。土はコンクリートのように硬かった。革靴の下で嫌な 音がした。ボブが顔を背けた。
「名前は?」
 藤村は力を緩めなかった。
「…林」
 藤村は足を除けて、一歩下がった。男は、自由になった手を動かし、呻いた。
「宮田の指図か」
 目が暗闇に慣れてきていた。男は藤村の目をまっすぐ見ていた。
「郷田に頼まれただけだ」
 藤村は右足で男の脇腹を蹴り上げた。両手を地面についたまま男は吐いた。呪いの言葉 が続く。
「何て言ったんだ。もう一度言ってみろ」
「ぶっ殺してやる」
 同じ箇所を蹴りつける。男は地面を舐めた。
「刺された男はどんな仕事をしていた」
「知らん」
 絞り出した声。
 二度、三度、足を使う。四度、五度……。
「藤村さん」
 ボブの声。足を止めた。林は動かなかった。
 仰向けにして瞼をこじ開ける。
「宮田があの男に運ばせていたのは何だ」
 血の滲んだ唇がゆっくり動いた。
「く・た・ば・れ」
 藤村は林から身体を離した。
「連れてくる奴を間違えた」藤村はボブに言った。「チンピラの方を痛めつけるべき だった」
 今までは、こんな簡単な判断を誤ることはなかった。アズアドッグでの無為な生活 が、藤村の勘を鈍らせていた。
「行こう」
「こいつはどうするんですか」
「放っておく」
 藤村は運転席に乗り込んだ。
「彼はどうして何も喋らないんですか。あんなに痛い思いをしているのに」
 助手席に座ったボブが首を振りながら訊いた。
「目の前の痛みより怖いものもある」
 ボブはため息をついた。
「結局、ロンが刺された訳は分かりませんでしたね」
 藤村は車を出した。砂利道からアスファルトの上へ。車が大きくバウンドした。
 彼は煙草をくわえ、火を点けた。激しかった血の流れを、ニコチンが緩めていった。
「ロンは運び屋だった。商品に手を出した。宮田が怒った。郷田という男にロンをやらせ た」
 ボブは黙っていた。藤村の言葉を噛みしめていた。しばらくして、ボブは言った。
「藤村さんはどうしてそんなことを知っているんですか」
「俺は、宮田の店で働いている。アズアドッグは宮田の店だ」
 ボブは前を向いたまま動かない。街灯が規則的にその横顔を照らした。
「藤村さんは、宮田という男の仲間なんですか」
「仲間にあんなことをすると思うか」
 ボブは首を振った。
「僕には分からない。ロンのことも、藤村さんのことも」
 藤村は車の時計を見た。午前四時。
「ロンともう一度会いたい。付き合ってくれ」
 ボブは肩をすくめた。
「いいですよ。でも、一度家に帰りましょう」
「駄目だ。朝一番に病院へ行きたい」
「分かりました」ボブは、今晩何度目かのため息をついた。「時間はまだありますね。どこ かでコーヒーを飲ませて下さい。思い切り濃いやつを」


 
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