天使を見失った夜



「無言電話がかかってくるのよ」
 俺の胸の上に頭を乗せたまま彼女が言った。まだ収まりきらない激しい 鼓動が彼女の耳にも伝わっているはずだ。
「無言電話? 誰からだい」我ながら間の抜けた質問だと思い、すぐに 言い直した。「誰がかけているか心当たりはあるのかい」
 彼女が頭を動かして俺を見上げた。
「ええ、多分あのひとだと思うの」
 あのひと、というのがさっきまで話題になっていた巨漢を指しているの は熱気でふやけた脳でも分かった。
「だって、他には思い当たるひとがいないんだもん」
 彼女が喋るたびに、尖ったあごが胸に当たりくすぐったい。
「なぜ、奴は君の電話番号を知ってるんだ。俺だって知らないってい うのに」
「分からないわ」
 彼女は俺の上から滑り降りると、バスローブを着てベッドに座った。 身体を捻り、ハンガーに掛けた俺の上着のポケットから煙草のパッケージ を抜き出す。唇に浅くくわえた煙草にジッポで火を点けると、横になった ままの俺の口にそっとそれを挟み込んだ。母親が赤ん坊におしゃぶり をくわえさせるときのように優しく。彼女自身は煙草を吸わないけれども、 一度、彼女にお願いしてから、いつもこうしてくれるようになった。つま り、俺だけへの特別サービスというわけだ。
「いつ頃からなんだい。電話がかかり始めたのは」
「二週間前からよ。ちょうど、私があのひとと会わなくなった頃」
 俺は煙を天井に向かって吐いた。
「まっ、電話がかかってくるだけだったら、もう少し我慢してみたらどう だい」
 彼女は激しく首を振った。
「だって、ただかかってくるだけじゃないのよ。私が部屋に帰った途端に ベルがなるの。きっと、どこかで私が帰るのを見ているんだと思うの」
 俺は反動をつけてベッドに起き上がった。
「本当かい? そりゃ、ちょっとやばいな」
「ねっ、そう思うでしょ。だから、お願い……」彼女は上目遣いで俺の 顔を見た。「今晩、私の部屋に来て」
 俺は思わず彼女の目を見返した。
「それはお誘いの言葉と受け取っていいのかい」
 彼女との付き合いはもう半年以上になるが、俺もいまだに彼女の手と口 しか知らない。その一線を越えるにはもってこいのチャンスだ。。
「リュウさんならそんなこと言わないと思ったのに」
 彼女の口が尖る。俺は慌てて言い足した。
「冗談だって。あいつをとっつかまえて、二度とエンジェルにつきまとう なと言い聞かせればいいんだろ。おやすいご用さ」