「みみずく亭」で
頼めば泊めてくれるという噂を聞いて「みみずく亭」を訪れたときには、もう日が暮れ
かけていた。分厚い木の扉を、肩で押し開ける。客は居ない。いかにも南部の男という様
子の親父が私を値踏みするように見た。ひげに覆われた顔の中で、青く丸い目だけがよく
動く。店名の由来が分かった気がした。
「あんた日本人だね」
一杯目のビールを飲んだ後、親父が言った。
「そうです。分かりますか?」
親父は返事もせず奥へ行き、木の板とキャンディーの缶を手に戻ってきた。カウン
ターに置いた板の上に缶の中身を空ける。転がり出たのはキャンディーではなかった。
「あんた『ショウギ』はできるかね」
「ええ、でも」
親父は私の言葉を手で遮り、慣れた手つきで駒を並べ始めた。
立て続けに三局相手をさせられた。親父は駒の動かし方だけ知っているという程度の腕
前だった。
「二十年近く前に、ここに泊めた日本人が教えてくれたんだ」親父は勝負の後に、ベーコ
ンとポテトを炒めてくれながら言った。「半年ほど、ここに居たんだがね。出ていくとき
に、その駒を置いていったのさ」
駒はきれいな飴色をしている。
「あんたも急いでいないんだろう。しばらく泊まっていけばいい」
翌日から、朝は芋畑で働き、昼は将棋を指し、夜はベーコンを炒めた。私は勝ち続けた。
そして、十日目の対局が終わった後、今から発つと親父に告げた。
「ずいぶん急だな」
親父が缶に駒をひとつずつ放り込む音がやけに響いた。私は盤上に残っていた駒を拾い
集め、記憶を呼び戻しながら並べていった。
「『ツメショウギ』って知ってますか」
親父は首を振った。私が説明すると親父は盤上にじっと見入った。
「手強そうだな。今晩からゆっくり考えることにするよ」
私はまとめた荷物を肩にして、カウンターの向こうの親父へ礼を言った。
扉を引き開けたとき、親父に呼び止められた。
「おい、『ツメショウギ』の答えを聞きたくなったらどうしたらいい」
「次に来る日本人に聞いてみて下さい」
親父がひげの中から白い歯をのぞかせ頷いた。
運良くトラックに拾ってもらい、バスへ乗り継ぐ。おんぼろのシートに腰を降ろした途
端に気が付いた。持ち駒に桂馬を一枚忘れてる。あれじゃ何年経っても詰む訳がない。
親父がひげをいじりながら駒をにらんでいる姿が浮かぶ。こみ上げてきた笑いを、私は止め
られなかった。黒人の運転手が目を丸くして振り向き、ひょいと肩をすくめた。
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