しゃぼん
公園のベンチに座って、息子がしゃぼん玉を飛ばすのを見ていた。何度膨らませてみて
も、しゃぼんはピンポン玉ほどの大きさにしかならず、ストローの先を離れたと思うと弾
けて消えてしまう。それでも息子は飽きずにストローを吹き続けた。こいつも私に似て不
器用だな、小さな後ろ姿にそう思う。
私はベンチを離れ、公園の入り口にある自動販売機でコーラを買った。
「ちょっとその石鹸水を貸してみろ」
息子から紙コップを受け取り、その中にコーラを少し垂らす。
「わあ、なにするのパパ」
「さあ、もう一回吹いてごらん」
ふう、と吹いた息が、くるっと丸まってこぶしほどの大きさになり、ストローを離れて
舞い上がる。
「すごいすごい」
息子は、しゃぼん玉をいくつも続けて飛ばした。
「楽しそうね」
いつの間にか、妻が後ろに立っていた。
「終わったのか」
無言で頷く。手に持つ小さなボストンバッグには、身の回りの細々したものが入ってい
るはずだ。これで私の家から妻のものは何もなくなった。
「これ、お願いします」
妻が差し出した紙切れには、銀行の支店名と番号が書き連ねてあった。妻は表情を和ま
せた。
「自分の口座をつくったのって十年ぶりよ。ちょっと、緊張したわ」
息子は一心に吹き続ける。しゃぼん玉は春の日差しを受けて虹色に輝く。わたしと妻は
しゃぼんのゆくえを目で追った。
ひときわ大きな玉がぱちんと弾け、虹色が消えた。
「そろそろ行くわ」
妻がふと我に返ったように言った。
「パパ、ばいばい」
妻にあらかじめ言い含められていたのだろう、息子はぐずることもなく屈託のない笑顔
で私に手を振った。
「バイバイ」
ママの言うことを良くきくんだぞ、と言いかけて言葉にできない。二人は振り向きもせ
ず、車に乗って走り去った。まるで、ちょっと買い物にでも行くというような、そんな別
れ方だった。
ベンチの上にストローとコップが残った。ストローを手に取り、息を吹き込んでみる。
しゃぼんは大きく膨らみ、つっと離れて風に乗る。それは息子がつくったものと同じ、美
しい虹色をしていた。
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