ルネ・マグリットはいまから約 100年前、1898年にベルギーで生まれました。
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12才のときにすでに油絵の勉強をはじめ、15才のときには、印象派の画法で作品を発表しています。 シュールレアリストの印象が強いマグリットですが、印象派風の作品も描いています。 |
| マグリットが13才のとき、母の自殺という衝撃的な事件が起こりました。 「お母さんがいない!」という弟の知らせで、マグリットは弟たちと父親と共に母親を探しましたが、彼女は見つかりませんでした。母の足跡は、家の近くの河まで続いていました・・。 入水自殺でした。 |
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サンブル川から遺体が見つかったのは、母がいなくなってから二週間以上たってからでした。この出来事はマグリットにかなり強い影響を与えました。 マグリットの作品中にたびたび現れる「死」を連想させるどこか暗いイメージは、幼い頃のこのショッキングな出来事と関係があるのかもしれません。 |
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布と、横たわる女性。 |
何もない木枠を見つめる |
マグリットはデザインや宣伝広告の仕事をひきうけながら、生計をたてていました。
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| そのころマグリットが手がけた 広告デザイン。けっこう商業チック |
19才のとき、生涯の妻となるジョルジュエット・ベルジュと結婚。彼女はたびたびマグリットの絵のモデルとなり、彼にインスピレーションをあたえつづけた女性でした。![]() |
手法こそ印象派ふうでしたが、マグリットのシュールな傾向はすでに形をみせはじめていました。
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翌年、はじめてシュールレアリストとしての作品、「迷える騎手」 (消えた騎手)をえがきます。 1927年、ブリュッセルのギャラリーで初めての個展を開催。
この時、後に親友となるルイ・スキュトネールと知り合います。 ここには3年間住み、パリのシュールレアリストたちの活動に参加。 仲間にはアンドレ・ブルトン、サルバドール・ダリ、ミロなどがいました。 (1930年のマグリットの写真。男前。)
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そしてまた、マグリットは意外と社会派。
その思想はちょっと左寄りで、
1932年にはベルギー共産党に入党。
1946年には、反政府活動のビラ編集をし、
そのビラが警察に差し押さえられた、という経歴もあります。
ちょっと画風をかえてみた時代がありました。1943ごろの、1947年までというかなり短い期間でした。「明るいシュールレアリズム」をめざしたというこの時期、彼はかなり大胆なタッチをもちいています。しかしシュールレアリストも、一般の観衆もこのスタイルに戸惑いを見せ、作品は一点も売れなかったそうです。 マグリット、面白い。ふだんはまじめな一銀行員として働き、広告デザインなどの仕事もしながら妻と平穏な生活を送っています。晩年には彼の様式も世間から認められ、壁画制作なども引きうけています。しかし、この壁画作成は実際には過去の作品の寄せ集めであり、これに対してマグリットは「よく知られた油彩画の複製」と自虐的にのべています。
ようやく自分の絵で生活できるようになったマグリットでしたが、シュールレアリストをめざした最初のころに抱いていた絵に対する楽しさや魅力はすでに失せていたのかもしれません。 1967年8月15日、マグリットはブリュッセル郊外の自宅でガンのためになくなりました。
生涯で彼の制作した絵は1800点以上にのぼります。 のこされたのは「光の帝国」のバリエーションと思われる未完の絵と、下書きだけの人物画。 マグリットは、その19年後に亡くなった妻のジョルジェットとともに、 スカールベーク墓地でしずかに眠っています。 ![]() |