社内に怒鳴り声が響いた。
日頃の鬱憤をはらすかの様なとても悪意に満ちた声。
上司の理不尽な怒りの塊が今日も獲物を見つけた!
怒られていたのは、中村という男だった。
この中村という男はきわめて成績優秀な男だ。
年も仕事をする上で最も油の乗り切った三二歳。
つい昨日も今月の営業成績トップ賞をもらったところだ。
しかし怒られていた。
斉藤部長に怒られていた。
再び怒鳴り声。
「お前は仕事をなめてるのか!商談の時間に遅れるとは何様のつもりだっ!」
間髪を入れずに
「もし、それが原因で契約が取れてなかったらどう責任をとるつもりだったんだ!」
そして皮肉な目つきで
「お前最近少しばかり成績がいいからって調子に乗ってるんじゃないか?」
立て続けに出る文句に感心して中村は思った。
客に遅れるという電話はしたし、しかも送れたのはほんの十分足らずだ。
客にも十分すぎるほど謝ったし、満足のいく契約も取れた。何がいけない?
その上、遅れた原因は斉藤部長!貴方にあるんじゃないですか。
あんたが朝からくだらないことで説教するから、遅れたんじゃないか。
どんな理由で怒られたっけ?…そうそう、机の上が整理されていないとか何だとか、
よくもまぁそんな理由で三十分も説教したもんだなぁ。
「約束に遅れたらいけない何てことはなぁ、小学生でも知ってるんだ、お前は一体何歳になったんだ?いい年して子供みたいな間抜けなミスするな!」
斉藤の説教はまだ、しばらく続きそうだ…
中村は、今日は帰ったらカワイイ彼女に愚痴をこぼしながらイチャイチャしようと思った。

 時計が5時を過ぎた頃に斉藤は帰り支度をしながら思った。今日も一日怒りっぱなしだった、どうしてウチの社員どもは、あぁバカばっかりなんだ?何でもっと気を使って仕事をしない?まったく最近の若い者は…。斉藤は中村の説教を皮切りに、事務の中橋に電話の応対が悪いと怒り、新製品の企画書を持ってきた津村にこんなくだらないことをしたいなら他の会社に行ってしろ、と怒り、タクシーで客先に向かった営業の川村に電車の切符の買い方を知らないのか?と怒り、経理の井村に経費の使いすぎだ、着服してるんじゃないか?と怒り、挙げ句の果てに目の前でつまづいた藤堂にちゃんと歩け!と怒った。
疲労にイライラしながら会社を後にし駅に向かう途中、「百円でいいからくれませんか?」と言ってきた物乞いに「ふんっ、情けない奴だプライドがないのか?」といいながら、そいつの足下に千円を投げ捨てた。

 おおかた会社が定時を迎えるこの時間、オフィス街の連なるこの駅周辺は会社帰りの人間でごった返す。近くに高校も多い為学生達の姿も多く見える。
人混みに向かって、くそっ!邪魔だっ!と思いながら、コンビニの前にたむろする学校帰りらしい女子高生の集団に目を留めた。大声で携帯で「えっ?聞こえない、電波悪い!」と喋る奴もいれば、「C組のユミコって、二股かけられてたらしいよ、相手の男チョーむかつかない?」「えっ、マジで?それってチョーやばくない?」と、暗号で喋っている顔が黒い宇宙人もいる。
斉藤はその集団に向かって「ふんっ、頭の中がカラッポのアホ共が、通行人の邪魔をするなっ!自分で金も稼げないくせにいっちょ前にでかい面するなっ!」と、聞こえるか聞こえないかぐらいの声でその集団に向かって吐き捨て通り過ぎた。
後ろの方で「何、今のー?チョーむかつかない?」「おやじサミシィんだよ、あれじゃぁ誰も相手にしてくれないから、文句言うぐらいしか出来ないんだよ。」「ってゆーかぁ、チョー気持ち悪くない?油ぎっしゅで…臭そぉー!」「ってゆうか、絶対臭いって!」「ははは、やだぁー」と、聞こえてきたが聞こえないふりをした。心の中で女子高生の集団は怖いと思った。

斉藤は駅のそばまで来て、ふとタバコの本数が少なかったことを思いだした。
自動販売機に小銭を入れようとした時に後ろから、ふいに声をかけられた。
若い男の声、
「すみません、神様について少し喋りませんか?神様はいつも私たちのそばにいて、全ての行動を見守っていてくれています。我々が受ける全ての困難は…」
それを遮る斉藤の声、説教魔の暴走
「ふんっ、何が神様だ!そんな存在を信じてるから、貴様のような若造が自分で何も考えられない能なし人間になるんだっ!そんな奴が私みたいな高尚な人間に喋りかけるなっ!」
若者は一瞬、戸惑った様子を見せたが、すぐにおだやかな表情で
「あなたは今、相当な人間不信に陥ってるようですね、でも、それは神様が与えてくれた試練なのですよ、我々はそういった試練をみんなで克服していこうと…」
またまた、それを遮る斉藤の声
「ふんっ!ばからしい。相手にしてられるかっ!」
その言葉を浴びせられると、若者はペコリと頭を下げてどこかに行ってしまった。
斉藤は少しすっきりした顔で、自動販売機に小銭を入れた。

ようやく電車に乗ろうと改札口に向かった。
定期券を取り出し改札をくぐろうとするその時、
ちょうど改札から出てきた人とぶつかってしまい、定期券を落としてしまった。
「!何をするんだっ!きさっ…」
続けて文句を言おうとした斉藤の口が止まった、表情も固まり、目だけが大きく見開かれた。
ぶつかってきたのは、とても美しい女子高生だった。そう、斉藤が声を無くしてしまうぐらい。
黒目がちの瞳、鼻筋は通っていたが大き過ぎることなく、バランスよくついている。
アゴのラインも左右対称になめらかなカーブを描いており、歯並びも良いだろう事を感じさせた。見るからに柔らかそうな唇には薄いピンクのリップクリームが塗ってあり、少ししめったように、艶があった。
目尻が少し上がった大きな二重の目が、どこか猫のような印象を思わせ、幼さを感じさせた。
透き通るような白い肌は、どこまでも透明で、ふれたら壊れてしまいそうだ。
少し茶色い髪は肩ぐらいまでで、その髪はサラサラと、とてもいい匂いを運んできた。
完璧だ!そりゃ、言葉を無くしても仕方がない。
言葉を無くした斉藤の目に追われるまま、その女子高生は斉藤の定期券を拾うと、
「ごめんなさい」
と、すまなさそうに言って定期券を手渡し、街の方に歩いていった。凄くゆっくりとした足取りだった。
足が動いた。斉藤の足が女子高生に向けてずかずかと近づく、女子高生の肩をつかみ
「ちょっと待ちなさいっ!」
怒鳴り声にも似た大きな声だった。
女子高生が振り向くと同時に、口早に
「え……援助交際しないか?金ならある。」
斉藤の心臓は、斉藤自身の耳に聞こえてきそうなぐらい、大きくそして早く鼓動を打っていた。



つづき