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横溝 『ドグラ・マグラ』読んで、頭が変になっちゃったらしいんだね。だから、おれはまだ相当感受性が強いなと思って、安心したよ。(笑)
小林信彦編『横溝正史読本』(角川文庫) |
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日本の本格探偵小説の三巨峰として、夢野久作の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、そして中井英夫の『虚無への供物』を挙げることに、それほどの異論がでるとは思われない。
笠井潔「完全犯罪としての作品 −中井英夫−」 (『物語のウロボロス 日本幻想作家論』所収) |
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表紙 アトリエ絵夢 志村敏子 |
| 「巻頭歌」 |
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| 九州帝国大学精神病科第7号室(真夜中) |
目覚めた「わたし」 |
| 九州帝国大学精神病科第7号室(翌朝) | 若林博士による説明 |
| 第7号室〜精神病科本館〜第7号室 |
若林博士による実験・1 |
| 精神病科本館教授室 |
若林博士による実験・2 |
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巻頭歌 胎児よ 胎児よ なぜ躍る 母親の心がわかって おそろしいのか (本文154頁) |
| 少女: |
「わたし」の許嫁であり、結婚式前夜に「わたし」によって殺害、その後生き返ったモヨコである。 「わたし」が返事をする事により、キチガイでない事が理解され、二人してこの病院から退院することができる、と呼びかける。 |
| 若林鏡太郎: |
九州帝国大学法医学教授であり医学部長。 精神病科の主任教授であった正木敬之の 急死により、暫定的に精神病科の主任教 授も兼任する。 |
| 正木敬之: |
九州帝国大学精神病科前主任教授。 本年2月赴任。7月、解放治療所完成。 一ヶ月前の10月20日死亡、と同時に治療所閉鎖。 |
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更に、その人間を発狂させた犯人にたいする、記憶力までも消滅させ得るような時代が来たとしたら、ほとんど検察、調査の不可能な完全犯罪が、世界中のいたるところに出現する事になり、この種の犯罪に対する予防と検出探索方法の研究を、極度の秘密を厳守しつつ研究をしていたが、この理論を応用した犯罪事件が勃発した。 |
| 若林博士による説明: |
「わたし」のたった1人の従姉妹であり、許嫁。 6ヶ月前の大正15年4月26日に結婚する予定であった。 *正木博士の死んだ時期からすれば、今は11月でなければならず、一ヶ月の矛盾が生じる。これは何故か? 夢中遊行と自我忘失を繰り返しており、夢中遊行の状態では、一千年前の先祖になってしまう。 少女の慕っている、義理の兄が「わたし」の一千年前の先祖ということになっている。 自我忘失状態では「わたし」が許嫁であることは覚えているが、自分の名前や「わたし」の名前も覚えていない。 *「わたし」が目覚めた時に、少女はハッキリと「モヨコ」と名乗っている。これは何故か? |
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胎児よ胎児よ何故躍る 母親の 心がわかっておそろしいのか という「巻頭歌」(230頁)で始まる『ドグラ・マグラ』の内容 は以下の通り。 ……「精神病院は此世の活地獄」という事実を痛切に唄いあらわした阿呆陀羅経の文句…… ……「世界の人間は一人残らず精神病者」という事実を立証する精神科学者の談話筆記…… ……胎児を主人公とする万有進化の大悪夢に関する学術論文…… ……「脳髄は一種の電話交換局にすぎない」と喝破した精神病患者の演説記録 ……冗談半分に書いたような遺言書…… ……唐時代の名工が描いた死美人の腐敗画像…… ……その腐敗美人の生前に生写しというべき現代の美少女に恋い慕われた一人の美青年が、無意識のうちに犯した残虐、不倫、見るにたえない傷害、殺人事件の調査書類…… (236頁) |
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大学時代より『狂人の解放治療』の準備を行う。 20年もたてば、スバラシイ精神病患者が現れ、精神科学が最高の学問となる、と予言。 卒業論文『胎児の夢』はその文体・内容からして物議をかもしたが、のちの精神病科主任教授、斎藤寿八博士(当時は助教授格)の強力な推薦により卒業論文中の第一位となる。 正木博士は卒業式の当日、式に欠席したまま行方不明に。 その後の正木博士は、八年間欧州を巡り、墺・独・仏三国で学位を取得。 大正4年、帰朝。 全国の精神病院をまわり、一方で「各地方の精神病者の血統に関する伝記、伝説、記録、系図等を探って、研究材料を集め」る。(本文259頁) 又、精神病者虐待や精神病院の実情を『キチガイ外道祭文』として民衆に唄い広めるものの、世間から黙殺。 目的は、精神病者虐待や精神病院の実情を告発するものというより、『狂人の解放治療』の実験に対する準備事業ではなかったか? 大正13年3月26日。 恩賜の銀時計をとりに九州大学に現れる。 その際『脳髄論』なる論文を持ち込む。 斎藤博士により約1年ばかりかけて審査考究された結果、正木博士に学位を授与することに決定された。 学位授与後まもなく、大正14年10月19日斎藤博士変死す。 葬式に現れた正木博士、斎藤博士の遺志を取次いだ総長自ら後任を要請される。 大正15年10月19日、「わたし」と少女が過去の記憶を回復し、結婚生活に入ることで完成するはずの実験が、悲劇的な出来事によりいきづまる。 翌20日、正木博士自殺。 現在はそれから1月後の11月20日である。 |