Mr.ベルトルッチコーナー



イヤー、暗殺の森面白かった!!ただちょっとストーリーを把握するのに苦労しましたが・・・。僕は、ベルトルッチのストーリーを理解するときになぜか、英語の文法を訳すときと似たようなものを感じました。(またおかしなこといっちゃったよ・・・)英語というのはご存知のように I am pretty(私は です かわいい)というような語順です。普通に考えたら、こんなものは意味も分かりません。しかし先人たちは、きちんと自分たちに都合のいいように英語を訳しました。それと同じようにこの映画は、シーンとシーンの時制が(初めは回想のような形をとっている)複雑になっていて、言葉にたとえていうなら今は主語なのか熟語なのか、はたまた修飾語なのかが分からなくなってきます。今はいったいどこなんで何をしているのか?そんな疑問が所々で出てきます。果たして、それは僕の映画を見る目の稚拙さから来ているのでしょうか?



・暗殺の森
先ほども少しばかりこの作品には触れましたが、この作品は素晴らしい!素晴らしい!!素晴らしすぎる!!!(ちょっと嘘くさくなっちゃったかな?)
ですがそれほど素晴らしいにもかかわらず、この映画はなんの賞もとることができませんでした。なぜでしょう?実はこの映画が公開された1971年は、世界三大映画祭の中でカンヌをのぞいては、公式受賞作品の選出をしなかったのです。(その背景は知りません。ご存知の方がいらっしゃいましたら、BBSに是非お書き下さい)でも忘れてはいけないのは、賞を取ったからといっていい作品だとは限らないということです。逆に言えば、賞を取らなかった作品でも素晴らしいものはたくさんあります。「戦場のメリークリスマス」などは、その代表的な例です。
では肝心の評論に入りたいと思います。
まずこの作品に象徴的に使われているのが“深いブルーのイメージ”です。次に書く予定の「ラストタンゴ・イン・パリ」もそうですが、撮影はビットリオ・ストラーロという人がやっています。この人のテクニックは、色と色彩を象徴的(シンボリック)に使うことで抽象性を獲得しています。僕は二時間ほどの間、画面から目が離せなかった、というより人間であることすら忘れて、画面に釘付けになりました。(その道では、おそらく誰も彼のテクニックには及ばないでしょう。)ストーリーは、「幼少時自分を犯そうとした男を殺したマルチェッロは、その罪の意識から逃れるためにファシストとなり、パリ亡命中の教授暗殺に荷担する」(僕がビットリオ・ストラーロの技術に魅了されていたあまり、ストーリーに確信が持てないので、「」の中は、“ヨーロッパ映画 1895−∞ 共同通信社”より引用させていただきました)
十五歳にしてこんなことを書くのもなんなのですが、その“官能性”についても少しふれておきたいと思います。この映画の中での重要なシーンをになっているものの一つに、ラブシーンがあります。そのシーンがまた美しい!!少し悔しいのですが、そのシーンは「愛のコリーダ」よりも美しかった。
こんなもんで、この作品のレビューはよろしいでしょうか?