路上という伝説


ゆずは、ゆず自身でさえ、驚くほどの速さで坂道を上り詰めています。
そこに痛みや苦しみがないはずはなく、
けれど、自らが望んだ道、
苦しみもまた、望んだ苦しみであることを覚悟して
彼らは笑いながら痛みにさえ耐えているのではないでしょうか。

昨日を振り返ることは出来ても、
昨日には決して誰も戻ることはできない。
選び取った今日を、明日のために生きぬくこと、
ゆずは自ら、そう歌い、そして、生きぬいているのだと思います。

彼らはプロになることで、
無邪気な歓びを多分、多く失ったでしょう。
平穏で自由な時間も心も、今は、かつてに比べたら
ほんとうに少なくなってしまったのではないかと思います。

けれど、プロになることは彼らが選んだ道であって、その責任もまた重いのです。
そして、プロになることで得た「幸福」もまた多くあるはずです。
会う事もかなわなかった恵まれたスタッフに出会えたことも、
そしてそのスタッフの助けを借りながら、満足のいくライブを催行することが出来ること。
音の一つ一つに満足できるCDを創ることが出来ること。
それは自分たちの音楽を一人でも多くの人に届けたいと願うミュージシャンにとって、
無上の喜びであるに違いないのです。

彼らは、ひとりでも多くの人に自分たちの音楽が届くことを願って
日日を生きているのだと思います。

明星、anan等に取材されることも、意図したわけではないのに、
ゆずにアイドル的魅力が始めから十分に備わっていること、のゆえでしょう。
彼らの持ち味の中に、女性の心を惹き付けるもの
(それこそがアイドル性というものですが)
が存在していることは明らかなのです。
そして、その商品力に明星等の芸能誌が目をつけてしまうのは商売として至極
当たり前のことだと思います。

私は、彼らがアイドルになってしまうことを憂い
路上でつかんだ幸福感の喪失を悲しむ思いを否定する気はありません。
その感動を共有した方にとって、そのことはなにものにも代えがたい大切なことなのだと思いますから。
けれど、今、ゆずの受け手(聞き手)は、松坂屋の前に集まった7000の人数ではありません。
万単位、いえ、数十万のもしくはもっと多くの単位の人の心に、彼らの歌は届いています。
そして、いやもおうもなく「裸」にされていく悲哀も、苦しみもあるのです。
雑誌という媒体、TVという媒体に出ていくという行為が人の心にどんなに大きなプレッシャ-を与えていくかと
いうことを思うとき、繊細な二人の心を案じずにはいられません。

この怒涛のような運命の激変に耐えながら、
ひたすらに平常心を失わないように努め、
『歌うこと』で、精一杯に生きているゆず

彼らが今後、どのような歌を作るのか、作れるのか、
それは、運命との闘いでさえあるはずです。

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