ゆず論考 ===================================

「ゆずはアイドル?」(99/05/12)

ゆずは雑誌「明星」に載っている、確か「JUNON」にも載っていたはず。
そして、ゆずのライブは若い、本当に若い女の子たちでいっぱいである、
彼らの登場は甲高い歓声で迎えられ、その一挙手一投足に悲鳴が上がる。
そこではコスプレの趣きをもつビデオ映像まで映し出されている。
J事務所のノリを思い出させられることさえある、おままごとのような・・・、
ゆずはアイドルなのだろうか?

翻ってアイドルとはなんだろう。
アイドルとは、可愛らしいもしくは魅力的な人であって、
彼が歌うとき、歌うことはファンにアピールする手段として選ばれている。
アイドルの提出する魅力とは、常に彼らのキャラクターであり、そのルックスである。
そしてそれは決して恥ずべきことではないはずだし、
アイドルであれば、その己の価値に誇りをもつべきだと思う。
自身の外見なりイメージなりが商品として、十分に価値があるからこそ、
彼らは売れているのであり、受け手に必要とされているのだから。
受け手によってそのキャラが欲されていること、
そのこと自体が、アイドルの存在意義である。
アイドルの目的は受け手の欲望に合致するイメージ、キャラクターを送る事で
自身はその代償を受取ることであると思う。
その代償は必ずしも金銭とは限らず、賞賛であったり新たな仕事の可能性で
あったりするだろう。
歌うことはアイドルにとって受け手に送りつけるイメージのひとつにすぎないものである。

ゆずは、現在、そのキャラクターによって、
ほとんどアイドルのような受取られ方をしているが、
彼らがどのように可愛らしく女の子受けする外見をしていたとしても、
彼らはアイドルではないだろう。
何故なら、彼らは、歌いたいひとたちであるから。

彼らは可愛らしいルックスを見栄えよくするために歌を歌っているのではない、
女の子が賞賛するから歌いたいのでもない、
ただ、歌いたいから歌う、
歌わずにはいられないから歌っているのだ。

ゆずが今現在、受け手にとってはアイドルとして機能しているとしても、
二人はアイドルに終わることは出来ないだろう。
ただ「歌いたいから歌う」という一点のために。
肥満児であったという北川がもしまた肥満することがあっても、
岩沢がヒゲの生えたムサイ男に変身したとしても、
彼らは歌い続けるだろう。
アイドルとしてのキャラに負ぶさることのない歌いたいという欲求のためにのみ
歌い始めた二人なのだから。

今後、もしも、人気の下降という運命が待っていたとしても、
ゆずは歌わずにはいられないだろう。
ゆずはそこがたとえ誰もいない場所であったとしても歌うだろう、
歓声を受けるためにではなく、聴く人の居なくなった路上であったとしても。
人気の絶頂にある今もふたりは常に、
そういう必死さを送り続けているように感じる。

ゆずは賞賛される喜びをもう知っている、
望まれ、欲望されることもまた歓びを生むものだ、それは麻薬にも似ている。
失うことは絶望に近い。
そのために命を賭け、命を才能をすり減らしていく人も多い。

けれど、ゆずには歌いたいという願いがある。
歌いたいという願いは彼らを惹きつけて離さないだろう。
歌うことでしか表現できない思いを抱いているからこそ、
ゆずは歌いはじめたのだから。
賞賛され欲望されることをたとえ失っても彼らには帰るべき故郷がある。
それは歌うことだ。
彼らにとって、歌うことはすべてであり、
二人で歌うことだけが生きる希望なのだ。

『不満をいだき、悲しみにうたれ信じることにくじけそうになっても
   あなたを思い歌いつづけていく・・・・・・・それだけがぼくのすべて』
                                     by北川悠仁


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