<北川悠仁>’s room


論として役者「北川悠仁」を語りたい!

<心の中に『子ども時代』を持つ人>
・・・・・・・・現代に生きる「ざしきぼっこ」or天使(^^;

役者北川悠仁へのオマージュとして・・。 いくつかの悠仁くん出演作品を見た印象では、
悠仁くんが、役者として才能があること、
また、制作スタッフ側が彼に、なんらかの可能性を見ていたことは
間違いないと思う。
しかし、スターを夢見る役者の卵達は数多く、
大手プロダクションの金の卵ではない悠仁くんにとって、
役者としての戦いは、かなり厳しいものであっただろう。
その嵐の中で、見えない未来のために「ひとり」戦いつづける意思が
悠仁くんにあったのか、といえば、逡巡がなかったとは考えにくいが
最終的には、二人で歌える喜びの大きさを頼みに、
役者を断念する道を選んだのだろう。
彼が「ゆず」を「音楽」を選んだことは、もちろん間違いではなかった。
彼の才能は今、華やかに花開いているのだから・・・・・。
そして、私もまた彼らの、ゆずの奏でる音楽に酔い、
世界に浸れる喜びを享受出来ていることを何よりの幸せだと感じている。

ただ、
ファンとして「ゆず北川悠仁」を愛していること、
それは間違いのないことなのだけれど、
「役者北川悠仁」を見てしまったものとして、
見捨てられたその才能を惜しむあまり
彼の演技、かれが演技することで創造し得た幻想への
オマージュとしてこのページを捧げます。



<心の中に『子ども時代』を持つ人>
・・・・・・・・現代に生きる「ざしきぼっこ」or天使(^^;

役者北川悠仁を見ることは、もはやかなわないのだろうか?
ゆず北川の歌を聞いて、彼の役者時代の思い出を聞き、
それほど期待せずに見てしまった彼の出演作品は
思いがけない驚きだった。
まさか、これほどのものとは・・・。
彼は、歌い手であると同時に素晴らしい役者だった。
あの存在感と魅力を捨て去るなんて、あまりにももったいないと思う。

役者として活動した時期が短いため数少ないのではあるが、
彼が演じる役柄の中で、はまり役だと思われる役は
常に、成就しない恋、結ばれない心をモチーフにしている。

彼が、捧げつくす思いは、いつもどこか彼方を見つめている。
孤独な世界が荒涼として続いているのだ。
唯一「ゼロウーマン/名前のない女」だけは、少なくとも、
通い合う心、支え合う思いを愛する人と、ともに抱くことができるのだが、
通じ合ったこころは、その次の瞬間には死をもって終わらされてしまう。
そして、哀しいことにその原因は、自身が蒔いた種である。
寂しい孤独感の表現は北川悠仁の本領であると思う。

が、しかし、北川悠仁が演じるとき、そこにはなぜか、
「愛らしさ」とでもいったものが顕われてしまう。
哀しくせつなく懐かしい匂い・・・少年時代・・・・
それは幻想そのものなのだけれど、
見るものに、優しく暖かく降り注ぐ「ゆめ」である。
そのゆめに、心地よく酔うとき、
北川悠仁は『役者』だなあ、と、思う。
彼は、決して天才ではなく、また、輝くような「華」に恵まれて
いるとはいえないだろう。
だからこそ、少なくとも前向きに動き出していた役者としての在り様を捨てて
路傍の歌い手であろうとする、一見、無謀な選択をする事も出来た。
そして、現在の成功を導き出したのだから、彼の選択は正しかったのだ。

けれど、けれどである、
北川の演じる少年は、実は「稀有」な存在なのだ。
ほかの誰も・・・・・、
少年といえばJ事務所といわれるそこの誰にも、演ずる事の出来ない、
美しくはかない「少年」、
彼が歌う歌の中でも繰り返される
傷つくことを恐れない、自身の弱さを隠さない、けれど、否、だからこそ
生きることに傷つき、涙し、
倒れながらもなお生き続けたいと願う・・切なく胸を打つ『けなげさ!』
存在としてはあり得ないかもしれない、
しかし、見る人がそうありたいと願うゆめの存在としての『少年』
かれは、やはり、「ゆめ」をうたう幻なのだろう。
かれが、現代に甦った『ざしき童子』なのではないかと、思うゆえんである。

彼は、昔話のざしき童子のように、
その愛らしさで、見る人に慰めを与え、
共に「笑い転げて」
そして、静かにそこに居る。

彼が、また、演じてくれる日を、
ほとんどは諦めながらも、それでも願いつづけよう、と思う。

少しは、年をとったかも、けれど、いつまでも少年である、
彼の心の中の子供時代を
見つづけたいと思うから。

Links to other sites on the Web

役者北川悠仁情報
ホームページへ戻る


このページは GeoCitiesです 無料ホームページをどうぞ