☆吹奏楽の歴史☆ 管楽器の歴史は大変古く、紀元前1600〜1100年頃のエジプトの壁画には、すでにラッパの吹奏が描かれています。 古代ローマにおいても大きな行事には管楽器が用いられ、トゥーバ(Tuba)・ブッキーナ(Buccina)・コルヌ(Cornu)など、 今日の金管楽器の前身であるラッパによって、軍楽が行われていました。 中世を経てルネッサンス時代に入ると、コルネット・ツィンク・トロンボーンなどを用いた応答歌唱対位法の音楽が、 ヴェネツィアにあるサン・マルコ大聖堂を拠点に演奏されるようになりました。 その中心人物はジョヴァンニ・ガブリエリ(1557〜1612)で、彼の遺した作品は今日でも金管アンサンブルの重要なレパートリーとなっています。 また、ライプツィヒをはじめとするドイツの自由都市では、この時期、王室や教会とは関わりをもたない市民音楽家たちの活動が盛んになります。 彼らはしばしば市庁舎の高い党から管楽器の吹奏を聴かせました。 ヨハン・ペツェル(1639〜1694)は、そのための作品を多数書き残しました。 18世紀に入ると、現代の吹奏楽のルーツともいうべき管楽器合奏のスタイルが定着します。宮廷楽士たちによるセレナードがそれで、 オーボエ・クラリネット・バスーン・ホルン各2本が基本的編成でした。 ハイドン(1732〜1809)やモーツアルト(1756〜1791)のすぐれた作品がこのジャンルを飾っています。 この形態は軍楽隊へもとり入れられ、プロシャのフリードリヒ大王は、7年戦争直後の1763年、同様の編成の楽隊を各連隊に配備させました。 これが近代の軍楽隊のもとになったと考えられます。 18世紀も末になると、各種金管楽器の発明と改良が進んでフルート・トランペット・トロンボーンなどが加わったほか、 トルコの軍楽の影響を受けてシンバル・タンブリン・トライアングル・各種太鼓類が採用され、軍楽隊の規模は拡大します。 1789年のフランス革命は多くの宮廷楽士を失業させましたが、この楽士たちを集めて国民軍軍楽隊が組織され、追悼の式典や市民の集会などで大活躍しました。 この軍楽隊は現在のギャルド吹奏楽団の前進といわれ、ゴセック(1734〜1829)らによって書かれたそのための作品は、現在でも広く演奏されています。 19世紀に入ると、工業技術がさらに発展し、軍楽隊とい国家的な要求の中で、管楽器の開発が進みます。 プロシャのヴィルヘルム・ヴィープレヒト(1802〜1872)がヴァルヴ・システムを考案して金管楽器の演奏能力を飛躍的に向上させたほか、 フランスでは、ベルギー出身の楽器製作者アドルフ・サックス(1814〜1894)が、サクソフォンと円錐形の管を持つ金管楽器のファミリーである サクスホルン(サクソルン)を発明しました。ソプラノからバスまで同一のシステムと均質な音色をもっているのが特徴です。 この2人の改革により、ヨーロッパの吹奏楽は大躍進を遂げました。ドイツとフランスを中心とした管楽合奏は、 イギリスに渡り軍楽隊を充実向上させ、民間にはブラスバンド(金管バンド)を誕生させます。さらに、イギリスの吹奏楽の考え方はアメリカに伝えられ、 合理的な国民性によって新しい指導のシステムやすぐれたレパートリーが生み出されて、大きな花を開かせました。 わが国では、明治2年、横浜で薩摩藩士がイギリス人フェントンから軍楽を学んだのが吹奏楽の始まりとされています。 陸海軍の軍楽隊を中心に根をおろした吹奏楽は次第に民間にも広まり、明治の末から大正にかけてスクール・バンドも編成されるようになりました。 ただ、現在のように、音楽教育の一形態としては位置付けられていなかったようです。吹奏楽活動が今日の形になったのは戦後からで、 天理高校吹奏楽部の矢野清先生をはじめとする熱心な指導者たちによって息を吹き返した吹奏楽の響きは、荒廃した社会のなかで大衆から強い支持を得ました。 さらに経済力の向上とともに編成も充実し、アメリカから合理的な指導法や新しい作品も導入されて、今や日本は世界でも屈指の吹奏楽大国となっています。